眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

悩むのが馬鹿らしくなった

ついさっきまで「これからの人生をどうしていくのか」ということを悶々としながら考えていた。答えのない問いをえんえんと考え続けてくると気分が滅入ってくる。絶対的な答えが無いことは分かっているのに、ついつい考え続けてしまうのは私が真面目過ぎるからだろうか。先ほど、インスタでとある人のトークを聴いていたら悩むのがどうでもよく思えてきた。真剣に考えすぎていた、ということに気付けた。生きてて出会う問題に真剣に取り組むのは良いことだけれど、考え続けて暗くなってしまうのは宜しくない。将来を良くしていきたい、ということを考え続けて現在が苦しめられたら本末転倒ではないか。現在を積み重ねていって未来があるわけで、現在を楽しんでいなかったらそれの地続きである未来が明るいわけがない。人生なんて、ある程度はテキトーに生きたほうが生きやすい。そんな当たり前なことを、日常のしょうもないことに揉まれているとついつい忘れがちになってしまうのだ。加工されていない、その人が絞り出した声を聴いていたらそんなことを思い出してほっとした次第である。