眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2020年6月7日(日)

「君が信じるまでずっと 冗談を交えながらもっと
やりたい事も行きたいとこも 叫ぶよ 音のない暗号文で」

 

昨日は久しぶりの外出をして心が落ち着いたので、今日は一日中家にいた。朝は最近早く起きてしまう傾向にある。今日も8時に起きてしまい、パソコン関係でちょこちょこやっていたら昼前になっていた。昨日から観始めた「ハイバイ、ママ!」を2~4話観た。交通事故で死んで幽霊になった女性が、産んだばかりの娘の事が気になって仕方がなく、神に暴言を吐いたら49日間だけ生き返ることが出来た、その間に元居た場所に戻ることが出来たらそのまま現世に留まることが出来る、という話。思っていた以上に現世で生きている人に見つかるスピードが早く、これだと16話も持つのだろうかと不安になってくる。次回辺りでドラマのピークが来てしまいそうだけれど、大丈夫だろうか。

 

 

最近はドラマばかり観てて、本を全然読んでいない。そのことに対して若干の後ろめたさがあったので、昨日買ったばかりの阿久津隆「読書の日記」(2018)をこつこつ読んだ。どこの誰だかよく分からないような人の日記をネットで読むのが好きで、そ延長線上でこの本を読み始めた。ズイショに挟まれる野球の話は退屈であったが、日々読んでいる本の話や、それと生活の話、外れの喫茶店を引いてしまった時の残念感を克明に描き出していて、すいすいと読んでしまった。1,000ページ以上もある本だけれど、今月中には読み終えてしまうだろう。そして、いつかは挑戦してみたいと思っていた海外文学に、挑戦するなら今なんじゃないか、とこの本を読んでて思った。エアコンの駆動音しか聞こえない場所で本を読み続けられるのは幸せである。ただ、体力が衰えてきているので、30分も読んでいたらくたくたになってしまった。長時間の読書にも耐えうるだけの体に磨き上げていきたいのだが、運動なんてものから遠く離れた場所に来てしまったので、リハビリがてらにリングフィットアドベンチャーをやってみるのもいいかもしれない。最後にやったのが1カ月前くらいだろうか、それくらいに記憶が曖昧な5月である。

 

 

昨日今日と雨が降ると言っていたので、それを真に受けていたけれど、昨日は外出しているときはなんとか持ちこたえていたし、今日はずっと室内にいたので、雨が降ったのかどうかはよく分からなかった。一日中室内に居て、スマホを弄らないようにしていると、外部の刺激的なニュースが頭の中を邪魔しないので、精神が健康的になる。惰性でTwitterを眺めているけれど、これを機会にすっぱりとやめてしまうのもいいかもしれない。10年前は限られたネット空間の中を行き来するだけだったけれど、そういった生き方の方が私には合っているのかもしれない。遠い世界の話や、日本の政治の話とか、そういったことはリアルタイムで知っておいてそんなことはないのだろうけれど、それを受け止められるほどの余裕が私の中にはない。自分の生きることでいっぱいいっぱいなので、まずは自分の生が整ってから外部の情報を取り入れていく、というスタンスを守ったほうがいいのかもしれない、とふと思った。

 

 

ずっと家に居て、好きなことだけしていると、時間の流れがよく分からなくなってくる。家には時計の類が一切ないので、時間を知りたいときはスマホを起動させなければならない。ただ、家に居て体が弛緩している状態のときはスマホを触るのが億劫なことが多く、そういうときは時間を知らないまま時間が流れていく。そうすると、時間の伸び具合が伸びたり縮んだりすることがよくあって、それが面白くて時計を家に置いていない節もある。早起きした今日は一日が長いのだろう、と思っていた。途中で昼寝を挟むことなく、一つの事が飽きたら違う一つの事、それがまた飽きたら違うこと、というようにせわしなく何かに取り組んでいたらあっという間に一日の終わりが近づいている。これでよかったのかな、社会と接点を持った方がこれからの人生をいい方向へ導いてくれるのではないんじゃないだろうか、なんて一瞬思、一瞬で(いやそんなことはないか)とやんわり否定した。今日はこの過ごし方が最適だったし、たぶん来週の休日もこんな感じで時間を過ごしていくのだろう。と思うと私は一生、結婚をすることなく一人で行き続けるという未来が過るのだが、それが悪い生き方だなんて誰かに言われたのか?それは世間が勝手に決めつけた『幸せな人生」の古いお手本であり、今は別にこっこんをしなくても幸せになれないとかじゃない。そもそも、幸せな生き方が出来る人は結婚をしてもしなくても幸せになれるだろう。幸せ/不幸せの理由を結婚の有無で決めつけるのは穿った考えである。ただ、ドラマでラブシーンを眺めていると「恋人くらいいてもいいんじゃないか」と思ったりする。が、こんな状況で気軽に人に話しかけれないし、気軽に街コンなどが開催されるような日常が戻ってくるのは結構先の話になる様な気がしている。

 

 

スポーツ選手のルーティーンかのように、毎日毎日同じものを朝昼夜食べているけれど、別にそれを意識したわけではなくて、単に料理をするのが面倒なだけ、外食をするのにはちょっと怖いだけ、であって、これからコロナが落ち着いてきたらがんがん外食に行ってみたい気持ちはあるけれど、自粛期間に芽生えてしまった節約根性が抜けそうにないので、当分は刺激の少ない食事をえんえんと繰り返していきそうな気分である。 

 

 

明日からまた退屈な平日がやってくる。5日間頑張れば、土曜日にとっておきのご褒美が享受できる(はず)ので、それを支えになんとか時間が過ぎていってくれればいい。