眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

久しぶりに文章を書く

しばらくの間、文章を書くことが出来なくなっていた。それは長期休暇による生活の乱れが要因でもあるし、コロナ疲れが要因でもある。書くことがなくなってしまったし、書くことに飽きてしまったのだ。毎日、お昼近くまで睡眠を取り、さっさとご飯を食べてだらだらしているとまた眠りに落ちる。夕方くらいに目を覚まし、ぼーっとした頭で早めの夕飯を取り、そのあとだらーっとしているとまた眠気に襲われるので、抗うことなく眠りに落ちる。こんな生活を続けていると生きることがあやふやになってくる。前がよく分からなくなるし、今まで歩いていたスピードとか方向を見失ってしまう。要は、こんな変化のない生活に飽きてしまったのだ。

 

 

本来だったらライブにたくさん参加する予定だった。しかし、コロナのせいでそれらは全て中止になってしまった。外に出てもお店なんて空いてないし、「自粛」なので、たいした用事もないのに外に出るのはどうも居心地が悪い。ということで家にいる時間がとても長いのだけれど、「おうちじかん」というものを満喫できているのかというと、そうでもない。外で遊び尽くした後に「室内でののんびり時間」が活きてくるのであって、単体での「おうちじかん」がずーっと続いていくことはストレスでしかない。こんなことなら、まだ会社に行っていた時の方が変化に富んでいて刺激があった。それがいい刺激か悪い刺激かはさておいて、いろんな感情を持ちながら時間を過ごしていた。今はただただ「ねむい」「おなかすいた」を繰り返している。それ以上の高度なことを考えるような余力が残っていない。今回のことを機に、私は引きこもりという生活が合っていないことが分かった。

 

 

あと3日経てば仕事が始まる。「まだ自粛期間なのに」と憤る気持ちもあるけれど、「早く仕事がしたいな」と思う自分もいる。こんな時期に収入が安定しているということは非常に恵まれていることなのだろう。ただ、そんな幸せな状況に置かれていることをしっかりと感謝するほど、私の気持ちはシャキッとしていない。明日もどうせ昼過ぎまでだらだらと睡眠を貪り、あっという間に日が暮れて、何事もなかったかのように1日を終えてしまうのだろう。それでもいい。こんな生活でも、続けられるだけまだマシな方なんだって、自分に言い聞かせている。