眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

時が訪れるのを待つ

ちょっともう、どうしようもないほどに調子が悪い。東京に来てからというもの、安穏とした時間を過ごせていない。コロナウイルスで世間がざわざわしているのも調子が悪い一因かもしれない。でももっと奥深くのほう、根幹の大事なぶぶんがどうにもやられているので、今もってうまくいかないと考えている。それは「寂しい」という、生まれてこのかた悩み続けてきた課題である。地元に暮らしていたときは家族に囲まれながら暮らしていたので、安心感に満ち溢れた精神状態を持続でき、「寂しい」という問題を考えずにいられた。しかし、一人暮らしを再度スタートし、それも実家暮らしの温かさを身に染みて感じた一年間を通してからの一人暮らしなので、一人というものの圧倒的な寂しさでいっぱいいっぱいになっている。と思う。「自分は一人でいることに対して別に劣等感を抱かないし、それを馬鹿にするような人間は心の貧しい人間だと思っている」という考えは今でも私の根っこにあるものだし、揺らいでもいない。でも、まだまだ慣れない新しい職場(といっても二年前にいた職場なのであるが)やしょうもない雑務、中止や延期になるライブ、栄養が偏った食生活、息苦しい満員電車、終わりの見えないコロナウイルスとの戦い。それらが複雑に絡み合って、現在の弱気な私を形成している。安定剤は毎日服用しているし、先日から運動を始めているし、夜の読書も欠かしていない。自分の心が上向いていく努力をしているが、どうしてもまだまだ心は萎みきっている。もうこれは仕方のないことだと諦めたほうが良さそうな気がする。今まで生きてきた中で、こうしたどうしようもない不調というものはたびたび私を襲ってきた。そのたびに私が行ったことは、「時が過ぎるのを待つ」というシンプルだけど効果的な対処である。調子が悪いのはもう私の手には負えない。どうあがいてもすぐには良くならない。それなら下手に体を動かして体力を消耗するくらいなら、安静にして時が来るのを待っていたほうがいい。明けない夜が来ることはない、と信じている。今までの経験上、一か月は不調のままで終わるだろうと予測される。そして、四月は四月で季節の変わり目なので、まだ不調は続くのではないかとも思う。五月の連休が明けた頃くらいには、気負わないで日々を暮らしていけているのではないかな、と楽観的だけれどそう思っている。こういう問題は考えてもきりがないので、その時が来るのを待つしかない。待っている間、「ちょっとしんどいな」と思えば好きなものに逃げ込めばいいし、別に無理して働かなくてもいい。でも今私が勤めている職場は今までに比べると温すぎるくらいに平穏なので、仕事が嫌で嫌で病んでしまう、ということもないとは思う。ただ、やることがなさすぎたり、単調すぎて頭がどうにかなってしまいそうになることはあるかもしれない。その時はその時に考えよう。今は今、楽しいことをできる限り頭に思い浮かべて、生をのばしていければいい。