眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

くだらないと思うからくだらなくなる

だめだだめだ。だめだと思うから余計にだめに思えてくるのだ。具体的な話はあまりしたくない。思考の海の中をのんびりと泳いでいたい。疲れたから行動を制限する、そして自動的に思考が始まる。自分が今置かれている状況を冷静に見つめる。そこまで悪くはないと思う、良くもないけれど。だれもが不干渉を装っていて、自分が自分の事件でいっぱいいっぱいなのだ。家に帰っても一人なので、声を発する機会が殆どない。ないからどんどん自分の内側と向き合いたくなる。今まで、どれだけ考えていなかったのかを思い知る。私は直感と反射で生きてきたんだ。それは喜ばしくないもので、自分の人生を生きているという感じがしない。上で生きている人間どもにうまいこと使用されている感じがする。でもどこまで突き抜けてしまったところで、誰かに生かされているし、誰かが発信した情報で一喜一憂しているのだろう。それはもうそんなものだと諦められればいいんだろうけれど、そこまで心が柔軟に出来ていない。自分の足で立って、自分の手で自分の人生を切り開いて行きたいと思っている。それが悪いことなのかな?普段、人と話す際に自分の本当の考えを話すことは滅多にない。いつも、当たり障りのないことばかり話していて嫌になる。でもそれを繰り返していると、当たり障りのないことが私の意見であったかのように思えてくる。今まで私が大事にしてきた信念ってそんなに大事なものだろうか?他人のくだらない話に合わせて、そのまま何も考えないで、反射で話しているほうが生きているの楽じゃないか?楽じゃないのかい?こんな面倒で生産性皆無のことを考えてしまうくらいに、わたしは私を生かしてあげたいのであった。