眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

299日目「優雅にしかも堂々と休み、軽々と泳ぎ、生き生きと遊び、狡猾に潜み、懸命に格闘する」

さて何を書こうか。どんなことを書いてもいい。どれだけ時間をかけたっていい。誰かに咎められることのない今のこの状況を、人は「幸せなボーナスタイム」と呼ぶのでしょう。先ほど、大学の先輩と夕飯を食べてきた。

 

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その人と会ったのが先月の13日なので、40日ぶりの邂逅となった。今回は前々回と同じように、金曜日に夕飯を共に食べようという趣旨のもとに集まった。両者、辛いものが大好物。そこで、名駅にあるおいしい辛いお店でラーメンと小袋を食す。金曜日の夜、ということで人はそこそこ並んでおり、「30分以上は並ぶか」と覚悟していたが、回転率が高いようで、20分ほど先輩と喋っていたら中に入れました。隣がうるさくてしょうがなかったこと(居酒屋じゃないのでそこまで騒がしくしないでほしい、みっともないな)を除けば、非常に愉快な夕食になった。各々、直近一か月の出来事を共有、共感、新たな発見を繰り返す。ビールこそ飲まないものの、仕事で全然喋らなくて殆ど機能していなかった喉がフルスロットルで調子よく動く動く。面白いな、毒っ気のない人と話していると、知らないうちに身に纏っていたとげがぽつりぽつりと抜け落ちていくようで、すごくリラックスしてくる。ああ、どうかこのままこの楽しい時間がいつまでも続けばいいのになあ。あまりにも隣が五月蠅いので、ご飯を食べ終えたらすぐに店を後にした。このまま解散するのは惜しい、ということで喫茶店へ。そこでも先ほどの飲食店の時と同じほどの熱量で会話をする。先ほどはご飯を食べながらだったので少し臆病になっていた喉がまたまた大胆に活躍してくれた。主に話していたのは先輩がお盆休みにどのように過ごしていたのか(一般的なお盆休みより一週間ずれていたそうな)、私が恋愛に対して今後どのようなアクションを起こしていくのか。一番盛り上がったのはやはり大学時代の話題。こんなことがあってこのようにして笑い転げたな、という何度も話尽くしてきた話題でも、社会に出て心を擦り減らしてきた私たちには非常にきゅんとする話題で、別に言わなくても良いようなことでもついつい零してしまう不思議。大学生の頃の私は大学生という日々を満喫していたし、その頃の話をしているとまるであの頃に戻ったかのように心躍るもの。しかし私もそんなパラダイスタイムからだいぶかけ離れた場所まで来てしまった。もう戻ることはできない。後ろを振り返っている場合ではないことは重々承知している。でも、金曜日の夜、ほんの少しの時間くらいは感傷に浸らせてくれないか?喫茶店で1時間ほどだらだらくっちゃべっていたら仕事で緊張していた心身がするすると解けていき、いい感じにリラックスしていった。ありがとう、先輩。今度会う時は良い知らせが出来るよう、恋愛面でもゴルフ面でも研鑽しておきます。

 

 

先輩と別れてから、「そういえば奥田 英朗の「罪の轍」が出ているんだっけ。もしかしたらサイン本が売っているかも」と期待を込めて贔屓にしている本屋へ行ったら無事にサイン本が置いてあったので、確保しました。他には単行本の頃から気になっていた松田 青子「おばちゃんたちのいるところ-Where The Wild Ladies Are」と、完全ノーマークだった夢枕 獏「秘伝「書く」技術」を購入。これで今月購入した本の冊数は9冊になってしまいました。8月に入ったころは図書館をがんがん活用しているし、今までに購入した本をまったり読んでいこう、という態勢に入っていたというのに。もう次長です。今月はもう一冊も買いません。でも、本屋でちらっと見かけた押井守押井守の人生のツボ」がすごく気になったんだよな。次本屋行ったら買ってしまいそうで怖いよ......。

 

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押井守の人生のツボ (TOKYO NEWS BOOKS)

押井守の人生のツボ (TOKYO NEWS BOOKS)

 

 

 

いつも最初に仕事のことを書いてから、仕事の後の楽しみのことを書いているのだけれど、今回は逆にしてみた。特に深い意図はございません。仕事の方はもうなんというか、「本当にこれでいいのかな」ということばかりで不安が尽きない日々を送っております。四年前の四月に今の会社に入社してから、「仕事すっごくできる無敵モード!」なんて思う瞬間なんていっときたりともなくて、常に、「本当にこれでいいのかな」と自信のない自分が心の中で頓挫していて全く落ち着きというものがございません。会社にもよりますし、部署にもよりますし、時期にもよりますが、「暇で暇でしょうがないけれど取り敢えず部署を置いてしまったのだから人を配置しておかなければならない」といった状況は発生することがありまして、多分今の私の状況はそれ。「そんな状況下に置かれても自分で道を切り開いていくのが社会人というものなんだよ!」と意識の高い人は鼻高々と仰るかもしれませんが、仕事の進め方、という初歩的で仕事を支えるぶぶんがまだ構築されていないようなレベルでそのようなことを求められても、ちょっとお門違いですけど......と言いたくなりますよ、こっちだって。でもそういう理不尽を耐え抜いて耐え抜いて自分で解決策を考えて実行し、壁をぶち壊し続けていくことが社会で働くということなのだ。とか書いてみたけれど、甚だ馬鹿らしい、いやらしい考え方である。仕事偏重の人にとってはこのような姿勢が常識、仕事を蔑ろにしている人間は人間にあらず、と鼻息荒く主張してきそうですが、私は別にそれでもいいんじゃないかと思っています。人の考え方は人それぞれですし、みんなの考え方を一致させる必要なんてございません。そもそもそんなことは不可能です。でも、せっかく同じ会社、同じ場所で働いているなら、心の奥底で流れている仕事をする上での通奏低音は同一にしておきたい、と考えるのも自然の道理です。そちらの方が仕事をしている気分にもなりますでしょう。そのような環境で仕事ができている人がいるならば、それはとても幸せなことだと考えもらって結構です。私事になりますが、私が所属しているチームの人員の通奏低音はあまり波長が合っていない、むしろ犬と猿が存在しているように見受けられます。特にとんがりさんの人のいじり方たるや、それが上司であったとしても皮肉交じりに憎ったらしく口を開く様は見ていてとてもおぞましいと思わざるを得ません。それならばそんな場所に居なければいいのに、と思う方もいらっしゃいますでしょう。出来ることなら私だって社内にいるより、外に出てお客さんと話している方がよっぽど精神衛生上いいです。外に出た方がそれがいい方向なのか悪い方向なのか、どちらに転ぶのかは分かりませんが、仕事が動くことは間違いありません。実際に会ってみてたくさん話してみないと、なかなか言いたいことを話してくれないお客さんはいます。そのようなお客さんの真意をしっかりと汲み取り、それを仕事の俎上に置いて上手に調理し、出来るだけ綺麗な形でお客さんの元へお届けするのが営業の仕事であると思っております。少々話がズレてしまったので戻しますが、社内に居ても何もやることがないのです。チームに入った頃は定期的に仕事を振ってくれた教育係の先輩ですら、自分の仕事に夢中になって、私と話すことがなかった日も最近は増えてしまいました。そうなってしまうのもしょうがないと思います。教育係の先輩にかかっている仕事の量は他の方々と比べると多く、重いものが多いように見受けられます。私にその仕事を手伝えられれば、暇な状況はなくなりますし、先輩の手助けが出来る、ということでチームに心地よい風が吹くことでしょう。でも、残念ながら今のチームにはそのような雰囲気はありませんし、先輩の高度な仕事を手伝えるほどの技量と経験値を今の私は持ち合わせておりません。レベルアップの仕方さえも教えてもらっていないのに、「さあ新規に行った行った」というのはあまりにも後先考えてなさすぎではありませんか?それともライオンキングのように、可愛い可愛い子供を強い人に育てるために崖から落とすのは、その子を思っての愛情表現だということでしょうか?私にはそんな風には全然思えません。「無関心」という言葉のピースがすっぽりとはまってしまうくらいに、今のチームには結束感がありません。誰も私を育てようという気概がありません。「先輩に仕事を教えてもらうなんて、なんて烏滸がましくて図々しい後輩だこと!」なんてお局さんからお叱りを受けてしまいそうですが、分からないものは分からないんです。分からない、ということを主張することすら許されないような職場なら、私はもうそこに見切りを付けなくてはいけません。下の者を育てる環境が整っていない会社なんて、遅かれ早かれ潰れてしまう運命にあるからです。

 

 

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