眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

269日目「今日ぐらいは祝ってくれないかな?」

雨。淀んだ空気。重たい。重たい。前を歩くだに体にのしかかってくる空気をなんとか払いのけながら今日が過ぎていった。今日も暇だった。昨日も暇だったし、明日もたぶん暇なことだろう。うん、いいことだ。人はがしがし働くようには設計されていない。私の心体も御多分に漏れずそのように設計されているもので、少しでも普段とは違うことをしようものなら体が急激に緊張してしまって、これがなかなか体に堪える。今日はやけに暇すぎて、「こんなに暇でいいのかしら」という罪悪感のせいで体がぴこーんと硬直する場面が多くて、何もしていないくせに家に帰ったら寝た。眠ってしまったよ。ずいぶん前から読みふけっていた池井戸潤の「空飛ぶタイヤ」をようやく読み終えました。この小説、ラストまでほぼずーーっと苦しくて苦しくて、最後のほっとした瞬間だけでは今までの苦しみは消化されないよ、こんな苦しい小説は当分読みたくないな、と思った次第です。それだけには飽き足らず、小野正嗣「水死人の帰還」を読んでみました。一編目「ばあばあ・さる・じいじい」から読みづらいことこの上なく、私は一体全体どうしてこんな難儀なものを読んでいるのか、と自問自答しながら読んでいました。仕事で疲れてしまった、よく分からない物語を読んでいて疲れてしまったからでしょうか、10数分も読んでしまうと急激な眠気に襲われ、少し横たわっただけでなんとも甘美な感覚が襲ってきて、もうこれは少し寝てもいいんじゃないのか、別に今日中にしなければいけないことなんてないんだし、なんなら一生のうちにしておかなければいけないことなんて本当はないんじゃないかしら!!と変なテンションを抱えながらぐーぐーと眠りの世界に入って行きました。ああ、なんと幸せなのでしょうか。どうしてこうも微睡むという行為は幸せをもたらすのでしょうか。もういっそ、残りの人生を全てまどろみに費やしてしまいたい!!という衝動に駆られてしまいました。それが現実的な考えではないことは勿論知ってはいるんですけれど、一度その味を堪能してしまうと、なかなかに逃れることができないものです。

 

 

先輩が同期の話をしているのを聞くのがちょっぴり嫌だ。私の同期は変わった奴で、名古屋にいた時にいろいろとやらかしていたらしい。そのことを事あるごとに先輩が話しているのを聞くと、「可愛がりのある後輩の方がいいのかな」なんて嫉妬してしまう自分がいる。別に、先輩は同期のことをすごく気に入っているとかそういうわけではなく、私との共通の話題として彼の奇行を話してくれているのかもしれない。先輩と初めて会ってから3ヶ月が経過したけれど、未だに本音で話をすることが出来ないでいる。客先に向かうときなど、二人の空間が生じる時に、一体何を話せばいいのか分からなくて、私は口を開くことが出来ず、「早く時間が過ぎてくれないかな」ということばかり考えている。沈黙の空気が耐えられないのか、私のことを気遣ってくれるのか、先輩は頻繁に話しかけてくれ、ときにはおどけた感じも見せてくれる先輩を尊敬している。驕ることもなく、不必要な感情の発露をすることもなく、ただ「いい人」という存在で在り続ける先輩を私は尊敬している。私も後輩が出来た時にそんな先輩になりたいと思っている。

 

 

「水死人の帰還」、無理でした。今の私のレベルでは到底読み通せる代物ではございませんでした。借りてきた本はこれで殆ど読み尽くしたので、久しぶりに購入した本を読もうかな、と思い、2ヶ月前に購入し、100ページほど読んでそのあとは読んでいなかった伊坂幸太郎の「シーソーモンスター」を読み始めている最中です。めっちゃ読みやすい。一度読んだのに、頭から読んでいても苦痛にならないのは、話の至る所に面白いぶぶんを残しているからでしょう。明日休みだったら一気に読み通してしまいたいほどに夢中になっている。あと2、3日で読み終えてしまいそう。

 

 

10,253歩