眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

265日目「難しい言葉で自分を誤魔化すな」

いよいよ本格的に梅雨入りした様な天気だった。テンポの悪いジャズみたいに、一斉に降りしきったと思ったらポツリポツリとなったり。いい感じ、ちょうどいい感じというものを把握していなのだろうか。ほぼ0かほぼ100か、まるで私の思考の動き方みたいな雨だった。明日も明後日も雨が降るらしいので、週末は大人しく家に籠るつもり。特にしたいこともないけれど。

 

 

暇だけれど、東京にいた頃よりは自分で時間構成をできる余白があるから、出来る限り馬鹿になる時間を減らしている。こんなに仕事をしなくて大丈夫なのかよ、と疑ってかかったほうがいいのかもしれない。私の兄は仕事に忙殺されていて、いつも「転職したい」と言っているそうである。母から聞いた話である。兄とは特段仲が悪いというわけではないのであるが、いい年になっても未だにちょうど良い距離感というものが計れていない。部屋で二人きり、というシチュエーションはここ何年もなく、大抵は他の家族がいてその人がぺらぺらとしゃべっているから、私が先陣を切って口を開くことが無い。まだ30じゃないからこれでいいのか。たまにめっちゃ仲がいい兄妹を見ると、「自分もあんな関係を築けていたらなあ」と思う時があるし、妹がいたらすごく可愛がっただろうになあ、と考えても仕方ないことを考える時間というものが人生のいちぶぶんではある意味で必要なのかもしれない。子供、特に赤ちゃんの齢くらいの人間が特に好きで、見ているだけで心がほぐされていく。ちっちゃいこがいたらすっごく可愛がりたいのに、残念ながら私の周りには子供がいない。そもそも人があまりいない。

 

 

最近はどうもラーメンを食べる機会に恵まれているようで、今日は会社帰りに中川にある「ラーメン親孝行」で夕飯を済ました。昨日と同じく、ぱいたんらーめん(750円)を食べたんですけれど、スープは昨日のほうが好み(もう少しどろっとした感じが欲しかった)、麺も昨日のほうが好み(だけれど、そこそこいける)、チャーシュはなかなかにうまくて、これで750円は安いな、と思いながら家に帰った。お客さんもそこそこ入っており、ここに寄る機会があったらまた寄ってみたい、と思える一杯でした。

 

 

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時に自分、私という存在を意識しないで、ただコンテンツにのめり込む時間が生きていると時折あって、その時間の後にその時間を意識したとき、「なんだか幸せだったな」と思える。自分という存在を意識した瞬間に急に現実がぐんと迫ってくるので、空想の世界に浸っているときぐらいは私を忘れてしまったほうがいい。具体的な話は退屈なのであまりしなようにしているけれど、過去の文章を読んでみたら具体的に書こうとしている痕跡が残っていて苦笑した。その頃の私は具体的なものを描くことで、自分が存在していることを必死に残そうとしていたのかもしれない。今はそんな気持ちは殆ど霧散してしまって、それは海外の音楽を聴く機会が沢山あって、それらの自由奔放さ、日本の音楽では感じられないようなサウンドのきらめきに魅せられているからなのではないか、と推測している。最近は特にWEEZERというロックバンドにはまっていて、黒盤という最新作が妙にはまっている。彼らを聴くようになったのは「MAKE BELIEVE」で、それを聴いていた時の私は背伸びしていたせいか、聴いててもあまり面白く感じられなかったような記憶が残っている。黒盤は、気のせいかもしれないけれど、いい意味で振り切れているアルバムで、いろんなジャンルの音楽を一枚で聴けるのは非常にお得感があって精神衛生上いい。こんなこと書いても一過性の思い付きであって、あとで読み返してみたら「なんのこっちゃ」ということになるのは目に見えているんだけれど、分かっちゃいるけれどやめられないことってありますよね。

 

 

高山羽根子「居た場所」を読み終えてしまった。昨日の時点で「居た場所」は読み終えて、今日は後に残った短編二つを読んだ。少ない分量でここまであとを引きずる世界を生み出せるのはすごく貴重な才能だし、これからもぞんぞんと作品を世に出していってほしいと思う。特に最後の作品のよくわかんないけれど肌では分かる、みたいな曖昧な気分になれる作品は大好物なので、今後もそんなテイストの作品の執筆をどうかお願いします。

 

 

体だるい一日だった。雨がざーざー降りしきるというのも一因だろうけれど、昨日のゴルフの打ちっぱなしのせいでもあるだろう。時折、「いやいやいやいや」と全力で突っ込みたくなるほどの眠気が襲ってきて、「明日行けば休みだから、明日の夜までもって」と願う気持ちは出来る限り強くしておいた。曖昧な言葉を少しづつ減らしていく努力をしている。曖昧な表現が必要な時もあるけれど、そういう表現をしたときは決まって自分の心は引き締まっていないことが多くて、だらけてしまうのだ。それが絶対的に断定できることでなくても、しっかりと自分の意見を主張することが働いていく上では、特に営業という言葉を巧みに操る職業では必要なんじゃないかなあ、と備忘録代わりに記しておきます。今日も平和な一日でよかった。明日も恙ない、ちょっぴり幸せない一日になりますように。