眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

223日目「お風呂が壊れた」

家に帰ったらお風呂が壊れていることを知らされた。正確にはお湯が出なくなった。お湯が出ない兆候はだいぶ前からあったのだが、それを見て見ぬ振りをしてきた結果が今日である。近所の銭湯に行くという案もあったが、久しぶりに3時間も残業をしてしまった私には酷な注文であった。しょうがないからヤカンでお湯を沸かし、そこそこあったかいお湯で頭を洗った。お湯が出ないというだけでこんなにも大変な思いをしなければいけないのか。普段私が当たり前のように使っているものがどれほど私の生活を支えているのか。電気、水、ガス、ネット、その他諸々。それらのことを考えたら、とてもじゃないけど今の生活にけちをつけるなんて出来ないし、感謝の念が湧き上がってしょうがない。まあ、お湯が普通に出るようになって数日経ったらそんなことは忘れてしまうのだろうけれど。

 

 

昨日は腑抜けの一日を過ごしたので、今日はまともな一日にしたかった。午前昼は外出でまたもや車を運転した。最初に運転した頃に比べれば幾分か上手くなったような気がしないでもないが、まだまだ修行が必要である。1時間も運転をしているともうそれだけでだいぶ疲れてしまって、午後に会社に戻った頃にはヘトヘトだった。そこからは淡々と事務作業を行なった。一年間の営業経験と、三年間のExcel経験を生かしてなんとか乗り切った。久しぶりに残業らしい残業をした。私の教育係の先輩はとても優しい人で、私のことを気遣って話しかけてくれるのはとても嬉しい。しかし、何時間もそこまで親しくない人と一緒にいるというのはなかなかに体力を使うもので、苦手じゃないのにだいぶ神経を消耗した。こういうのはもう割り切ってしまって、自分の芯のぶぶんをぶちまけて、すっごく仲良くなってある程度のことは話せる仲になっておいたほうが生きる上では楽なのかもしれないけれど、自分を開示するということがものすごく怖くて、もし開示してそれが受け入れられなかったら......と考えると冷や汗が止まらなくなってしまって、そんな大胆な行動は取らないよう、日陰のぶぶんをのそりのそりと生きていこうという風な気分が定常化してしまって、今のおとなしすぎる私が出来上がった。別に、今の自分が悪いとは思わないけれど、もう少し社交的な性格だったら生きるのが楽なのかな、と思わない日はないくらい、仕事をしているとコミュケーションの大切さを痛感する。冗談なんて言えないよ。言いたくないよ。

 

 

家に帰って自分の生活を向上させること、例えば読書だとか、そういったことをしたいしたいと思っているけれど、まだ慣れない環境で働いて疲れてしまった私にはそれらをする余力が残っていなくて何も出来ずにいる。もどかしくて、もう少しどうにかならんかなと思う。辛うじて出来ているのはYouTubeジャルジャルの動画を見ることぐらいで、それもし過ぎていると気持ち悪くなってくる。一つ一つはそこまで気持ち悪くないのだけれど、一気にたくさんを飲み込んでしまうと本当に気持ち悪くなる。変な気分になってしまった、なんで自分が今生きなくちゃいけないのか分からなくなる。考えなくてもいいことを勝手に考え始める。まるで飲みたくもないビールを飲まされたあとに部屋から追い出されて、中途半端に酔いが覚めてしまったあとのあの嫌な感じに似ている。さっさと仕事に慣れてしまった、仕事とプライベートを両立させたいのだけれど、そんなことが出来るようになるにはあとどれくらいでかかるのだろうか。5月が終わる頃にはどうにかスピードがある程度出てくれることを祈っている。

 

 

久しぶりにThe Cheseraseraを聴いていた。他にも聴きたい曲はあった気がしたけれど、気づいたらThe Cheseraseraを流していた。「Time To Go」を流していたら3年前の私のことを思い出して苦しくなった。彼らに出会ったのは社会人になってからで、それもそこそこに辛い時期に聴いていたので、彼らの音楽を聴くと楽しいというよりも辛くなってくる。嫌じゃない辛さとでも言おうか、あえて自分から感傷に浸って気持ちよくなるようなあれに似ている。彼らが未だにブレイクしていないのはおかしいと常々思っているし、この間行ったFEVERのライブが売り切れたのは痛快であった。あと少しでリリースされる「幻」というアルバムは今までのアルバムと同じく名盤であることは確定しているので、どうか一人でも沢山の人に聴いてもらいたいと思っているよ。彼らのような音楽が売れない時代なんか、さっさとくたばってしまえばいいのに。

 

 

本を読もうにもそのテンションになりきれなくてダラダラと文章を書いている。このブログの文章を書いている時間は否が応にも自分と向き合わなくてはいけないので、結構救われているところがある。普段は音楽なんか流してそっちの世界に投げ込むことが多いので、自分の心の中で蠢いているものをどうにかして言語化してこうして気持ちを楽にさせているのは私を少しでも前へ前へと進ませているのである。それがどんなにみすぼらしい文章だとしても、それを書いている時の私はとにかく必死で、今が、そして未来がどうにかいいものになれるようにと指を動かしている。少しでも自分の周りの世界が良くなることを祈って文章を書き綴っている。祈りにも似たこの行動を毎日続けることで、危なっかしい私はなんとかかんとか生きてこられたのだし、これからも生きる気は満々である。明日もどうか、自分を擦り減らさない程度に仕事をやっていくのだ。