眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

191日目「願っても叶わないもの」

The Fever 333のライブに行きたかった。油断していた。チケットが一般発売され、ずっと余裕有りの状態が続いていたので、「平日だし、せっかく買っても行けないのは嫌だから。当日券を買うか」と甘えたことを考えていた。昨日、ネットでチケットの販売状況を見てみたら、完売になっていた。なん...だと...。こんなことなら、もし残業をして行けなかったとしても買っておくべきだった。先週が暇→今週も暇だってことは先週のうちに予測できたことだったろうに。なぜに私は油断していたのか。うう。The Fever 333の音源を聴けば聴くほど、「あああああ、もうめっちゃかっこいいよう、生で観たいよう......観たかったよう......」という切ない思いが募るので、当分は彼らを封印しておきます。本当に辛い。次いつ観れるチャンスが来るのか、分からないよ悔しいな......。

 


いや待てよ。今までが異常だったのではないか。行きたいライブがあったらそれが5,000円以上したとしても何の躊躇も無く買って、それが週に1回もあるだなんて、冷静に考えなくてもなんてリッチな生活を送っていたんだろう。自分を甘やかしすぎたな。週に1回もライブに行っていると、たまに「飽き」というフェーズがやってきて、その心持ちのときに行ったライブはそこまで楽しくなかった。5,000円も払っているというのに、なんて愚行。ハレの舞台であるライブが「日常」に汚染されていた。これからは2ヶ月に1回ぐらいのペースで、それもライブに行く前はそのアーティストのCDを最低でも100回は聴くようにしよう。そもそも、ライブに行って、「知らない曲ばかりやってあまり楽しくなかったな」なんて感想、はっきり言ってアーティストに対して失礼だな。アーティストの曲を聴いて聴いて聴きこんで、沢山の楽しい妄想を膨らました後で、実際にライブを観て、「自分の妄想を遥かに上回るほどに素ん晴らしいライブだった」と思えるくらいに準備しておくべきだし、ライブなんてものはそうぽんぽんと行くものでもない。仕事を頑張ったご褒美にたまーに行くぐらいでちょうどいい。ライブが日常になってはいけないのだ。それに、ライブのおかげでおそらく云百万円は支出してしまったので、本当に行きたいライブに年に数回のペースにすると今心に誓うよ。

 

 

 

あらゆる苦しみは、生きることによって齎される。苦しみのない生はない。苦しみをなくすためには死ぬのが一番である。それは考えるまでもない。

ただ同時に、あらゆる楽しみも生きることで齎されるものなのだ。

苦しみから逃れることは、楽しみを放棄することでもあるのである。

殆どの苦楽は、感じる本人が決める。同じ事柄を苦痛と思う者も、快楽と感じる者もいる。苦しみと喜びに差はない。その差異は感じる者の主観の中だけにある。

但し。

荻野の言う通り、そうしたことも生きているから言えることではある。死にたくないというのは、生き物として至極真っ当な感覚なのだろう。

人間はどこかで生き物であることを忘れようとしている。しかしそれでも人は生き物である。生き物である以上、生きたいと思うのが正常な反応だろうとは思う。

 京極 夏彦「ヒトでなし 金剛界の章」p229-230より引用

 

 

最近は京極夏彦の「ヒトでなし 金剛界の章」ばかり読んでいる。この物語が発するエネルギーがあまりにも強すぎて、この本以外の文章を読もうという気になれない。怒涛のように溢れてくる生に対する考察がいちいち鋭くて、読んでいてとても苦しくなってくる。どうしてこんなに苦しみながら本を読まなければいけないのか。それでも読むことを止められない。特に、引用した上の文章を読んでいるとき、自分が今まで見ようとしてこなかった生きるということの矛盾を突き付けられているようで、苦しかったけれど同時にすっと心が軽くなった。「苦しみから逃れることは、楽しみを放棄することでもあるのである。」という一文は、私が見ないようにしてきた生の本質で、生きているから楽しいし、生きているから苦しい。ただ、そのどちらもが存在しているからこそ生であり、どちらかだけが存在しているなんてことはない。だから、苦しみから必死こいて逃れようとしても無駄であり、如何様にしてその苦しみをいなすのか。それを常日頃から考えて行動して、本当に苦しくなった時に考えていたことを実践したその苦しみを真っ向から食らうのを避け、ダメージを最低限に抑えること。それが生きていく上で非常に有効になっていくのではないか。物語を楽しむということから逸れて、生きることを思う存分考えるにはうってつけの本である。と同時に、現実世界であまり元気がないときに読むような本ではないと痛感しながら、そのページを手繰る手を止められないんだよな。

 

ヒトでなし: 金剛界の章 (新潮文庫)

ヒトでなし: 金剛界の章 (新潮文庫)

 

 

 

今日読み始めた漫画がおっとりとした雰囲気で、上記の本を読んで少々ささくれだった心を溶かしてくれた。新しい漫画を自分の体に取り入れることにはまり始めた今日この頃。

 

恋のツキ(1) (モーニングコミックス)

恋のツキ(1) (モーニングコミックス)

 
恋のツキ(2) (モーニングコミックス)

恋のツキ(2) (モーニングコミックス)

 
恋のツキ(3) (モーニングコミックス)

恋のツキ(3) (モーニングコミックス)

 

 

映画はラストがいまいちでも途中が楽しめたなら私はじゅうぶん「いい映画」として心に残す

でも恋愛はラストがいまいちだと全部台無しだ...... 

新田章「恋のツキ(2)」p125-127より引用

 

 

 

今日の仕事は、それはまあ、そう、なんだ。あれだよ、あれ。昨日と変わらずに何も起きなかったし、何も起こそうとしなかったし、端的に言ってあってもなくてもどっちでもいいような一日だったよ。もうこんな日々が常態化していくとあれだな、なんというか、もう心が腐っていって、会社に向かう電車の中で、「こんな辛い思いまでしていく必要があるのかな。別にこんなに頑張らなくてもいいんじゃないか。お金なんてそこまで切に必要としているわけではないし、お金よりかは時間と自分の健康を大事にしたいから、もうこんな自分を苦しめるような働き方はしなくてもいいんじゃないかなあ」と衰えた頭は思考した。変わらないし変わりたいけど、相変わらず放置されてずっと暇なんだよなんなんだよもう。ここまできてこれはもう、試されているのか?どこまでこの放置に耐えられるという、我慢大会に勝手に参加させられて、我慢して我慢して、我慢し尽くしたその先になにかご褒美的なものがあるのかな。もうあれだな、頭がおかしくなってきたから、ここらで一つ、長めの休息を取ったほうがいいと思うんだ。無理に会社にしがみつかなくても生きていけるんだから。なんで会社に行っているのかといいますとそれはお金を得るためでありまして、今はそこまで貧しているわけではないので、そこまで切実に会社にしがみつかなくてもいいのでないか思うわけでして。いっそ会社なんて辞めちまって、悠々自適に外国旅行がしたい。10日間ぽっちじゃ全然足りないよ。いっそ半年ぐらい世界を旅して、いろんなことを体験して考えて、そんでお金が無くなってそんな生活に飽きてしまったらまた就職して働けばいいんだし。そんときに雇用してくれるような優しい会社が無かったら無かったでそんときにまた考えればいい。未来の事は未来の自分ががっちりと考えてくれるから。今の私はいかにして今の私をゆるゆるとできるのかだけを注力して考えるんだな。将来の成長ガーとか、安定した生活ワーとか、そんなもの別に要らないよ。ワクワクした時間を出来る限り多く過ごしたいのです私は。何物にも縛られたくないな。

 

 

 

 

ただ生きているだけじゃ満足できなくなってきた。そこにワクワクが詰まった時間がなかったら、はっきり言って生きている意味ないんじゃないかなって、呆けた頭は結論つけたがるのでした