眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

129日目「会社にギリギリに行く意識の低さ」

以前の私は始業の一時間前に出社して、せっせと新聞配達、コピー機の紙補充をしていた。今考えると、本当にあほくさいよな。。それからなんやかんやあり、始業の30分前に出社するようになった。ネットでニュースを読んでいると「ちょっとちょっと」と、先輩から仕事を振られるようになってしまった。始業前に仕事をするのならお金を欲しいものだが、残念、会社が勝手に規定した残業時間を既に超えてしまっているので、申請すると白い目で見られてしまう。お金を貰えないのに仕事をするなんて、そんな高い意識を私は持ち合わせていない。そんなもんで、会社へは始業ギリギリへ行くようになりましたとさ。ほんとはもうすこし余裕を持って会社へ行き、のんびりとニュースを読んでいたいんだけど、仕事を無碍に振ってくる人がいるので、それに対抗するためにはギリギリの時間に出社することを貫かなければいけない。ああ、なんと意識の低いこと。でも、意識の低さがいつか私を救うと信じている。最近では昼休みの途中にずけずけと「ちょっとちょっと」と言ってくる人もいるので、外でご飯を食べ終えてもだらだらと店に残るようになりましたとさ。

 

 

コートを羽織らないで外に出るにはあまりにも寒くなりすぎた。去年のこの時期もこんなに寒かったっけ?暑がりやで寒がりやの私は、さっさとコートを着てしまってぬくぬくと出社したいのだが、電車でぎゅうぎゅう詰めにされると汗だらだらになり、会社に着く頃には風邪を誘引するほどに肌着がべっとりしてしまう。なので、冬真っ盛りになってもヒートテックは着ることはせず、コート一枚で耐え凌ぐ。現状、また風邪の予兆みたいなのがちょこちょこと忍び寄ってきているので、コートを着ないといけんのですけどね。頑固なもので、なかなか着ないんですわ。

 

 

不条理なことで一方的に謗られる機会が頻繁にあると、まだ謗られていない段階から身構えてしまい、書類確認を行ってもらうことすら億劫になる。もうこんなことなら、自分で書類を作って欲しい。勝手にやってくれ。例えこちらが反論できる材料を持っていたとしても、冷徹な発言で一蹴される予想を勝手に組み立ててしまうので、だめだめな気分になってしまう。こういうしょうもないことで体力を消耗して、ここぞというときに瀕死状態の身体でぶつかっていかなければいけないから、成果物はどうしても粗が目立ってしまうし、こんな仕事は辞めたくなってしまう。

 

 

社内のルールがよく分からなくて(書類の決裁基準など)、先輩に聞いてみてもはっきりとした答えは返ってこない。文面で残されている様子もないし、あったとしてもそれが会社の中でうまく共有されていない状態はどうなんだろうか。今までそのへんのことは蔑ろ、ふわっとした感じでやってきたんですか。大丈夫ですか、会社として。

 


仕事で分からないことがあっても、歳の近い先輩が非常に聞き辛い人だとぶつかる必要も無い壁にぶつかり、無駄に時間を食ってしまう。そして精神が軽く蝕まれる。このことは4月から幾度となく思ってきたけれど、未だにその状況が改善されていないのは正直に言っておかしい。そういう状況を上司はみているはずなのに、なんら対策をうつことはせず、ただぺたぺたとキーボードを叩くいている。そしてふいに私につっかかってくるばかりで、私が苦しんでいることなど考えもしていない。あの人にとってはそれぐらいのことは自分で解決しろ、ということなのだろうか。ああ、もういいや。

 

 

 

先日、とてもお世話になった上司と、

 

「○○、最近どうだ?」

「まあまあですかね」

「まあまあか。もう、あのときみたいなことは言わない?」

「言わないです(自信なさげ)」

 


というやりとりをした。こんな些細な言葉でもとても心強いし、やはりあの人は別格にいい人なんだと再認識した。今日だって、私が仕事が無くて困っているのを遠くからみてくれていたのだろう、所属している部署が違うのに仕事を任せてくれた。それに比べ、今の上司はとことん感情というものがなく、こちらを慮っている様子も見受けられない。ただただ事務的に「おい、給料泥棒」と詰ってきて、私のか弱い自尊心をごりごりと削っていく。私が業界の用語を知らなかったら「そんなことも知らないでよくここまでやってこれたな」と無表情で言い放つ。それをこれから教えてくださるのが先輩方なのでは、と言ってやりたかったけれど、どうせそんなことを言ったところで上司が何かを改める、ということはしないので、しっかりと教えてくれるに先輩にこっそりと聞けばいい。ただただ愚を巻き散らかすような上司に関わるつもりは無い。そこまで、私はタフではないから。

 

 

今日は殆ど何もしなかった。仕事は降ってこなかったし、こちらから聞いても特にないとのこと。こんな一日をこれからも繰り返していくのかと思うと気が滅入るし、こんなところで燻っていてはいけないという、いつもの成長欲求が心を突っついてきた。いつになったら私は家族に誇れるような社会人になれるのだろ。そもそも、なんらかの職に就いている人を指して「社会人」というのもおかしい気がする。子供は、学生は、老人は社会に生きている人ではないのか。日本にはそういうおかしなところがたくさんあって、探せば探すほどごろごろ見つかるだろうけれど、自分が生まれた国に対するイメージを汚したくないから、私はそっと目を閉じる。明日になったら、全てが好転しているといいね。