眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

パソコンを買い替えたい

今プライベートで使っているパソコンは社会人になったときにお兄ちゃんに貰ったものなので、かれこれ6年ほど使っている。性能はそこそこいいのだけれど、酷使してきたからかここ1,2年は少し動かしただけでフリーズすることが多く、元に戻るまでの時間を足し合わせたら相当な時間になるのではないかと思う。先日貰ったボーナスには手をつけていないのでそれで新しいパソコンを買ってしまってもいいんだけれど、今まで使ってきたパソコンはお兄ちゃんがくれたものなので、どういうパソコンが自分に合っているかがいまいちよく分からない。CPU、とかメモリ、とかがどうたらこうたらで、っていうのは知っているけれど、それがどれくらいのレベルまであると使いやすいのか、が分からない。ネットで調べても自分に合ったパソコンがどういったものなのかいまいち分からず、どうしたものかと悩んでいる。パソコンでゲームはしないので、そこまで高スペックではなくてもいいのだろう。パソコンは文章を書くのと動画を観るくらいなので、そこそこでもいいような気がしている。どうせ4,5年経ったらまたフリーズの多いパソコンになってしまうので、高いパソコンを買ったところでもったいない。今年もステイホームの時間がたっぷりありそうな予感がしているから、ステイホームを充実させるパソコンはスムーズな動きのものを使いたい。どういったものがいいのだろうか。3月までには購入に踏み切りたい。とにかく今使っているパソコンの動きが遅くて、遅すぎて、性能のいいパソコンを使っていたら抱えなくてもいいようなストレスを抱えてしまっている、早いうちに買いたいな。

2020年12月26日(土)

「君が好きなこと先回りして 吸い込んで どうか 光
君が嫌なこと推測をして 押し込んで どうか 光
映し出せ その影を恋と呼ぶように」

 

このまま東京で年末年始を過ごそうか。そうしたほうがいいような気がするし、でも一人でいるのはすぐに飽きてしまう気もする。どうしよう。どうしよう。悩んでいるうちに朝日が出て来て、なんだか外に出たい気分になったので、安直に外に出た。気分が良かった。ちょっとだけ散歩をして体調を整える。よし、実家に帰ろう。急いで家に戻り、持って帰るものは特にないので準備はすぐに終わった。昼前に家を出て、新幹線に乗り、名古屋へと戻る。新幹線では読書とかそういうことをしようと思っていたけれど、新幹線特有の心地よい振動にかまけていたら名古屋に着いていた。

 

 

実家に帰る前にしておきたいことがあった。「NTT東日本NTT西日本公衆電話ガチャコレクション 増補版」というガチャガチャが先日入荷されたということで、まずは名古屋駅ビックカメラへと向かう。たくさんのガチャガチャが設置されているが、お目当ての品はなかった。次にゲートタワーのビックカメラにあるガチャガチャコーナーへ。こちらにはあったけれど、既に売り切れ。どれだけ人気なんだよ、こんなに人気ならもっと仕入れておけばいいのに、と悪態をつきながら、このまま家に帰るのも嫌だな、と思い、渋々大須へ。とても久しぶりの大須、いつぶりか覚えていないくらい。人は疎らで、とても歩きやすい。ガチャガチャの森みたいなところへ行ったが、設置すらされていなかった。もう遅かったのか、ととぼとぼ歩きながらとあるガチャガチャコーナーへ。寂れたガチャガチャコーナー、こんなところにないよな......、と思いながらガチャガチャを見回していくと......あった!しかもほぼほぼフルで入っている。あまりにも嬉しくて、1回回すのに300円かかるのに躊躇することなくどんどん回していく。そしてこんなところで奇跡が起きてしまったのだが、ひとつも被ることなくコンプリートできました。使ったお金は1,800円。はい、満足しました。こんなところに神機が置いてあるとは、大須はやはり侮れない。とかテキトーなことを思いながら実家へ帰りました。

 

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15時過ぎに家に着く。家族がいて、すぐに話に興じる。ああ、生で人と話しているこの感じ、この感じを東京でも味わいたかった。誰か気軽に話せるような友達が、東京で出来ればいいんだけれど、私は極度の人見知りでもうそれは叶わないことなのかもしれない。寂しい、という気持ちを抱えながら一頻り家族と話して、満足して自分の部屋へ。懐かしの品に囲まれながら、布団のうえでのんびりしているのはあまりにも極楽である。 ずっと、この状態が続けばいいのに。この状態が、いつまでも続けばいいんだけれどね。

 

 

家族と一緒に夕飯を食べて、リビングでバラエティ番組を楽しんで、十分すぎるほど家族とお話をしてから部屋に戻り、布団のうえでだらだらとしていたら眠りに落ちてしまいました。

今日も文章を書きたい

文章を書くのは非常に難しい。文章を書くうえで一番難しいのは「何を書くか」を決めることで、これさえ決まればあとは手が勝手に動いてくれるので(私の場合は)、それに任せればいいだけである。「何を書けばいいのか」を誰かが教えてくれるわけではない。自分で一から考えなければならない。ただ、これには裏道があって、有名な人が書いている優れた文章からテーマを抽出して、それを利用すれば恰も自分が一から書いたように見えるだろう。しかしそんなことをしてまで文章を書いても、多分面白くないだろう。どのようなことを書くのかを自分で一から考えたからこそ、そのあとの文章を書き綴る作業が有益なものになるし、文章を書き終えた時の達成感は何物にも代えがたい。私はたくさんの時間を使って、「何を書くのか」を考える。考えても考えても一向にアイデアが思い浮かばないときもある。そんなときは一度考えることから離れてみて、全く関係のないことをしてみる。例えば散歩して花を眺めたり、部屋の掃除をしたりしてみる。考えをとめてしまったように見えるかもしれないけれど、こういうことをしている最中にも頭では勝手に考えてくれていて、ふと、「こういったことを書いたら面白いかもしれない」というところにぶつかって、そこからするすると文章が書けることもある。そんなときはお膳立てされた娯楽を楽しむよりも圧倒的な楽しさが私を包む、「もっともっと文章を書きたい」と素直に思える。

 


私が毎日のように文章を書くようになったのは、小学校6年生のときの担任の先生の影響である。先生は受け持っている生徒たちに、「1学期だけ日記を書いてごらん」と進めてくれた。当時は文章を進んで書くという習慣がなかったから、日記を毎日書かなければならないことは苦痛だった。しかし、何か月も日記を書いてみると自分の文章にも味があることが分かり、それからは夢中になって日記を書くようになった。先生が受け持っていた生徒は40人以上いて、彼らの日記を毎日読み、最後にお茶目なコメントを残してくれた。先生が読んでくれているから書きたい、という動機が私が文章を書きたいと思えた動機で、私の原体験でもある。先生に出会わなかったら私は文章を書くことなく日々を過ごしていたのだろうし、それは今の自分からしたらちょっぴり寂しい人生だろうな、とも思う。担任だった先生はその後体調を崩してしまい、成人式の時に一度だけ会ったのだけれど元気がなく、なんだか寂しい気分になった。あれから10年近くが経ってしまったけれど、今は元気に暮らしているだろうか。遠くにいる先生にいつか届けばいいな、という気持ちを大事に抱えながらき今日も文章を書いている。

2020年12月25日(金)

「不器用で小さすぎる願いを叶えるように歩いていこう
それが僕のやり方だからさ この地面が続く限りは
悲しいなら泣いたらいいし 楽しいなら笑えばいいし
難しく考えるのは良くないから 僕はこの形でいいや」

 

そこそこの分量の文章を書いたのにデータがぶっ壊れて、同じことを一から書き直すのは面白くないので、先程書いたのとは違ったことを書き連ねることにする。今これを書いているのが新宿の東、怪しげな店がたくさん蔓延っているところなのだけれど、そこにいるのには訳がある。あと少しで今年最後のライブが始まる、その場所が新宿LOFTという、最高にかっこいいライブハウスだからである。コロナが存在しない世界線だったらあと3つのライブに参加する予定だったが、2つは中止になり、1つは参加を諦めた。悲しい気持ちを未だに引きずっているけれど、でも今日のライブのチケットを取れたことが嬉しいし、2020年最後のライブがフラッドというのも最高である。早く中に入りたいが、2部の開場は19時30分なので、じっとしているしかない。

 


今年何十回目か分からないくらいの寝落ちをして、それの処理を淡々と行って、寝て朝が来た。フルーツグラノーラに豆乳をかけるのはもう飽きた、さっさとオーブンを買って食パンにバターを塗りたくって食べたい、ついでに苦いコーヒーなんか飲んで優雅な朝にしたい。そんなことを考えながら、無意識に諸事をこなしていき、いつも通りの時間に家を出て、いつも通りの時間の電車に乗る。これが幸せだとは思わない、でも不幸だとも思わないよ。今日はぎゅうぎゅう詰めじゃなかったから、ちょっとだけ気持ちにゆとりがあった。会社に着き、仕事を始めていると、居心地の良さにうっとりする。これが自宅だったら今頃眠気と戯れていたことだろう。さすがに社内で寝ることは出来ないので、淡々と仕事をこなしていくしかない。在宅では出来なかった仕事を中心にこなしていくとリズムが生まれ、そのリズムに乗りながら仕事を進めていくとなんだか気分が良くなったくる。今日で仕事納めなのに、別に明日も仕事があっても不平を漏らさないような、なんだか良い気分で時間が流れていた。

 


午前中はあっという間に過ぎ去り、昼休みが訪れた。今日くらいは、という緩みが命取りになるのかもしれない。海鮮丼を1カ月以上ぶりに食べた。相変わらず店は混んでいて、テーブル席に案内された男連中は酔っぱらっているかの如く声を大にして話していた。少しだけ待って海鮮丼が来た。やっぱり美味いよ。こんな美味しいものを週に3回とか食べていたなんて、ちょっと前の私は、弁当尽くしの今の私には考えられないくらいの贅沢をしていたんだな。ネタ一つ一つのクオリティが非常に高く、一口ごとに幸せが体に広がっていく、その素晴らしさに歓喜したくなった。混んでいたので、食べ終わったらそそくさと店を出て、会社に戻り、音楽を聴いていた。フラッドの大好きなアルバムが今日、全曲演奏されるだなんてどうにかしているよ。+αでどんな曲が演奏されるのか楽しみで仕方ない。最後の10分は惰眠に費やした。

 


午後の部が始まって、それでも尚手持ちの仕事はたくさんあり、共有の仕事もたくさんあり、コピーロボットがいなかったので、時間の流れる速度は今年イチくらいに早かった。あっという間に過ぎていく時間の中、こんなにも穏やかな仕事納めは初めてなんじゃないかと、ふと思った。ここ数年は焦燥感に煽られながらの仕事納めだったと記憶している。のんびりと、ただのんびりと時間が流れていくのを眺めていた。時間は過ぎていき、定時になったらそこかしこで部署の人は歓喜しながら帰っていった。うちの部署は仕事納めの日が妙に忙しく、誰も帰ろうとしない。私はとっくのとうに仕事を終えていたので、さっさと帰りたかったが、新入りも帰ろうとしていなかったので、帰りづらいな、と感じながら来年の事をぼんやり考えていた。少しして新入りが帰り、このままここにいても仕方がないので上司の所へ行き、一連の挨拶を済ませた。帰る際に全体に向けて、「お先に失礼します。来年もよろしくお願いします」と挨拶したら、皆がざっと振り向いて「よろしくねー」と返してきたので、まあ来年ものんびりと時間が過ぎることだろう、とのんびり考えながら会社を出た。

 

 

新宿で降りる。ライブまではまだ時間があるので、西口の本屋へ向かい、今年最後の本の購入を行う。先日行ったばかりなのでそこまで欲しい本はないだろう、と思っていたが、注意深く観察していたら買いそびれていた本がいくつかあったので、それらを購入した。今年はたくさんの本を買ってしまった。来年は出来る限り購入量を減らさないと。

 

 

<購入した本>

近藤聡乃「ニューヨークで考え中(2)」
近藤聡乃「ニューヨークで考え中(3)」
荒木飛呂彦ジョジョリオン(25)」
「rockin'on 2021年1月号」
岡本太郎岡本太郎の眼」
西尾維新新本格魔法少女りすか(3)」
宮澤伊織「裏世界ピクニック5 八尺様リバイバル」(サイン本)

 

 

本を鞄にたくさん詰め込んで、東口へ。今年最後のライブのため、新宿LOFTへ向かう。

 

 

bigpopmonster.hatenadiary.jp

 

 

もうこれ以上ないほどに興奮して、その興奮が食欲を刺激して、ラーメンを無性に啜りたくなっていた。二つの選択肢で迷っていたが、歌舞伎町の奥まで来ていたので、「利しり」でオロチョンラーメン三倍の大盛り(1,100円+110円)を夢中になって啜る。約3カ月ぶりのオロチョンラーメンはそれはそれは美味しくて、大盛りなのにスープもしっかりと堪能した。途中、あまりにもお腹が満たされたせいか、暴力的な眠気に襲われて、このまま突っ伏して寝てしまったらどれほどに気持ちいことだろうか、と一瞬の迷いが生じた。入店した際は客が一人しかいなかったが、客がぽつぽつと入っていき、私が出る頃にはほぼ席が埋まっていた。歌舞伎町の、孤独な人を受け入れる最高のラーメン屋さんだと思う。来年もことあるごとに訪問して、オロチョンラーメンを飽きるまで啜りたいと思う。来年もよろしくお願いします。

 

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家に帰りついて、もうなにもすることもないので、椅子に凭れてうとうとしていることがこのうえない幸せで、この平穏がいつまでも続けばいいのにな、と願うばかりでした。 

“特別公演【自主レーベル「nine point eight」設立記念ONE MAN SHOW 「CRYAMYとわたし。〜これはわたしの戦争です〜」】振替公演”@渋谷TSUTAYA O-WEST(2021.1.7)感想

当初は2020年の3月にFEVERで開催されるはずだったライブが、延期につぐ延期でようやく開催される運びとなった。政府は今日、緊急事態宣言を発令した。ギリギリのライブというか、本当に行ってよかったのかどうか。でもCRYAMYのワンマンライブを観れる機会なんてそうそう来ないだろうし、私は彼らの生の音を求めてこの1年間を生きてきたので、チケットを持っていながら家でじっとしていることが出来なかった。

 

 

定刻で客電が落ちて、SEとともにメンバーが現れる。最後にカワノが出てきて、メンバー全員で爆音が掻き鳴らされた瞬間、私は今日まで生きてこれて本当に良かったと思えた。2020年は私にとってしんどい年だった。それは仕事のこともあるけれど、当たり前のように享受できていたライブに行けないもどかしさでどうにかなってしまいそうだった。生きていくことに絶望してしまう日もあった。それでも2020年をなんとか生きてこれたのは音楽が私を支えてくれたからである。ライブが当たり前のように出来なくなってから発表された2枚のCD、「GUIDE」と「YOUR SONG」は正直なところ聴き始めた時は「微妙だな」と思っていた。でも聴きこんでいくうちに幾つかの曲が好きになって、その曲を今日のライブで聴けるといいなと思っていた。

 

 

カワノは普段のライブにも増してMCを長く喋っていた*1。普段は冗談を言うことが多い彼でも、今日という日にライブをすることは特別だったのだろう、終始真面目なことを話していた。

 

「子供の頃は小児肺炎で激しい運動が出来ず、背が小さかったから苛められてて。そんなとき、好きだった女の子が一緒に教室にいてくれて僕と話してくれた。成長していき、誰かに悪口を言われたとき、『そんな奴らの言うことは無視しておけ』と言ってくれる人が近くにいた」

 

とライブの冒頭で何の衒いもなく話してしまうカワノは信用たりうる存在だし、こんなときにもわざわざライブハウスに出向いていこうと思えるのは彼の存在が大きかった。アンコールの時に、

 

「もう大丈夫です。私たちがついていますから。やっと言えたー。これが愛しているってことか」

 

と言った時に涙が出そうになった。どんなに辛いことがあっても、どんなに悲しいことがあっても、「私にはCRYAMYがいるんだ」と思えばふっと心が軽くなって、優しい気持ちになれる。

 

 

今日のライブのセットリストはなんというか、今日という日にしか出来ないような曲の並びだった。一曲目に「ディスタンス」、本編最後に「テリトリアル」を持ってきてくれて、3年前の吉祥寺でのライブをふと思い出した。あれからそれなりに長い月日を重ねてようやくここまで来れて本当に良かったと思っているし、

 

「これからまた会えなくなるだろうけれど、元気でいてくれ」

 

と話していたカワノに、CRYAMYに会うためになんとしてでも健康で生きていきたいと思えたよ。

 

 

「ディスタンス」は「GUIDE」に収録されている再録Verのように、とにかく最後まで声を張り上げて歌っている印象が強く、力強く感じた。2曲目に「sonic pop」を持ってきて一気に自分たちの世界を構築していくのも流石だし、「ten」で場内を盛り上げたあとに「crybaby」で仕留めるあたり、たくさんのライブをしてきたからこそ出来るんだろうな、と惚れ惚れしながら聴いていた。普段のライブであれば必死になって腕を振り上げていただろうけれど(他の観客は必死になって腕を振り上げていた)、今日の私はじっくりとCRYAMYを観ていたい気分だったので、大人しくステージを眺めていた。

 

 

長いMCを挟んでからようやく聴けた「誰そ彼」は反則だろ、と思うくらいにライブでは縦横無尽に弾け飛んでいたし、そのあとに演奏された「くらし」で、これからの彼らがどんな曲を作り上げていくのだろうか、という期待で胸がいっぱいになった。今日という日に鳴らされるから、たくさんの我慢をした末に辿り着けた今日だからこそ、いつにも増して曲がぴかぴか光っていたし、メンバーの演奏も鬼気迫る勢いだった*2

 

 

そっからまた長いMCの後に演奏された「月面旅行」で私は泣いた。心の中で号泣して、CRYAMYが目の前にいるという現実があまりにも特別なもの、もうこれは日常ではないことを思い知らされた。この曲の時にはじっくりと聴きいっている人が多かった。私にはCRYAMYを大好きな友達がいないのだけれど、いつか機会があったら今日のライブに来ていた人と今日のライブの感想を言い合いたい、CRYAMYのことについてたくさんのおしゃべりをしたいな、と思った。からの「プラネタリウム」で良い意味で心中穏やかではなくなった私は、ぼおっとした頭でカワノのMCを再び聞いていた。今日はとにかくよく喋る、でも今日のライブを思い出している今、詳しい内容は忘れてしまった。けれど、大切なものをたくさん頂いた気がしているよ。

 

 

「HAVEN」のBand Verは優しくて、ずっと包まれていたい気分でいっぱいだった。からの「まほろば」はあまりにもずるい、私は今日何度泣けばいいんだろうか......。「ビネガー」、そして「テリトリアル」を演奏した彼らはノイズを残してステージを後にした。

 

 

アンコールの拍手鳴りやまない中、ステージに出てきたCRYAMY。カワノがオオモリに「みんな、大丈夫だよね」と確認してから、

 

「フルアルバムが出ます」

 

と言って、それは思ってもいなかったサプライズだったので嬉しかったけれど、観客は声を出してはいけないという制限だったので歓声が聴けなかったのが悔しかった。ああ、ついに彼らがフルアルバムを出すのか。過去に発表した曲も含めてのフルアルバムなのか。だとしたら、「ten」とかの弾き語りで収録されている曲はBand Verで収録されてほしい。そのフルアルバムに収録されるだろう、まだどのアルバムにも収録されていない「完璧な国」という曲がかっこよかったので、いやそういう話ではなくて、CRYAMYがフルアルバムを出すのならばそれは名盤だということ。頼む、コロナが落ち着いてこのアルバムのリリースツアーに行けますように。と願いながら、「戦争」を聴いて、そしてアンコールラストに演奏してくれたのが「世界」って、もうこんな雁字搦めんの状態じゃなかったらぴょんぴょんと飛び跳ねていたのにな、と恨めしく思いながら、私の分も一緒になってステージで暴れまわっているメンバーの姿を見れただけで感無量なのです。

 

 

19時30分から21時10分、約100分のライブが終わってしまった。「Pink」も「物臭」も、「普通」も「easily」も聴けなかったけれど、今日のライブは私にとって特別なものになった。ちゃんと相手の目を見て話してくれる人を信用するようにしているのだけれど、たくさんの観客の前でカワノは一人ひとりをしっかりと見つめて話してくれている、歌ってくれている印象を受けた。たくさんの辛いことを経験して来たからこそ彼は他人に対して優しく出来るのだろうし、そんな人が歌う歌には一切の嘘がなくて、歌はそこまで上手くないけれどいつだって彼らの曲を聴くたびに、「まだ生きてていいんだ」と思える。そう思える音楽は世界にはそんなに存在していなくて、だから私はCRYAMYのことがとても大好きだし、あまり考えたくないことなのだけれど、彼らが解散してしまった後でもCRYAMYの曲を聴き続けるだろう。私はいつだって孤独から逃れられないと思っている、でもその孤独と良い具合に付き合っていくためにはCRYAMYの音楽が必要なんだ。ライブハウスに入場する前、たくさんの人がライブハウスの前にいて、この人たちもみんなCRYAMYのことが大好きなんだと思ったらとても嬉しくなった。大好きなバンドは人気が出て欲しくないと考えるのはファンのエゴだけれど、CRYAMYほど「人気が出て、良いようにあしらわれるのを見たくない」と思ったバンドはいない。それくらい、私はCRYAMYのことが大好きだし、CRYAMYの悪口を言うような奴らのことなんて気にもしないだろう(CRYAMYの悪口を聞いたことなんてないけれど)。当分はライブが出来なくなるような世の中になるだろうけれど、いつかまたCRYAMYの爆音に包まれる日を夢見ながら、なんとか生活をやり過ごしていきます。一年越しの夢が、ようやく叶ったよ。

 

 

<セットリスト>

01.ディスタンス
02.sonic pop
03.鼻で笑うぜ
04.ten
05.crybaby
------------------------
06.誰そ彼
07.くらし
------------------------
08.月面旅行
09.プラネタリウム
------------------------
10.HAVEN
11.まほろ
12.ビネガー
13.テリトリアル
------------------------
EN
14.完璧な国
15.戦争
16.世界 

 

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*1:そのせいでライブの曲が少なく感じてしまったのは御愛嬌だろう

*2:今更気付いたが、カワノは背伸びをしながら歌っていたんですね。5列目で観ていたから気づけました。

このまま突き進んでいくのか

www.jiji.com

 

1月7日(木)、東京での新型コロナ新規感染者数は過去最多を記録した前日から800人以上も上回り、2,447人を記録した。愛知県では400人を超え、他の県でも緊急事態宣言が遅かれ早かれ出るだろう。感染に歯止めがきかない状態になっていて、でも個人のレベルで出来ることはもう既にし尽くしているので、じゃあどうしたらいいんだと項垂れている。コロナが騒ぎ始めた頃から私は徹底して他人と食事をとらないようにしていた、昼夜関係なく。ご飯を食べているときにはもちろんマスクなんてしていない、でもちょっとした気の緩みで相手に話しかけたくなる。だから今まで社内で弁当を食べ続けてきたし、外で食べることがあっても一人で食べる、そして人足が少ないところを選んでいた。外出しているときはマスクは絶対に装着し、店に置いてあるアルコール消毒液でこまめに消毒を行い、外から帰ってきたら真っ先に手洗いうがいをしつこいくらいにして、すぐにシャワーを浴びて汚れを落とすようにしてきた。私個人で出来ることは全てしてきたし、これ以上のことを求められても、「それはあなたたちの仕事ではないんですか?」と問い詰めたくなる。4人以下の会食なら可、とか言っているけれど、その会食に陽性者が一人でもいるならばアウトだし、一体上の連中は何を考えているのだろうか。そんなに話したいことがあるならオンラインで話せばいい、命を賭けてまで美味しいものを税金で食べたいのか。

 

 

外に出るとマスクをしていない人を多々見かける。御年輩の方でもつけていない人もいて、もしコロナに罹ってもそれはしょうがないんじゃないか、自助努力が足りなかったんじゃないかと思う。もちろん身体の都合上マスクをつけられない人がいる、その人のことを言っているのではない。それに人が密集しているような環境、例えば満員電車などで大声で話している連中の大半はマスクをつけていないことが多い。そういう連中がコロナに罹ってもそれはなるべくしてなったのかもしれないけれど、その連中の周りにいてコロナを貰ってしまった人は災難だろう。

 

 

1ヶ月ほどで緊急事態宣言を解除する、もしくは感染者数が落ち着いて来たら早めに解除するかもしれない、と言っているけれど、骨抜きの宣言で何が変わるんだろうか。今月中には東京だけで新規の感染者数は5,000人を超えてしまいそうだし、他の県でも1,000人を超えるようなところも出てくるだろう。そうなったときに上の連中はどうするのか、代替案を考えているのか。「検討している」ばかり口にしていて恥ずかしくないのか。国民から搾り取った税金で呑気に暮らしていて、今更ながら腹が立ってきたので、今日はこの辺にしておきます。2月に計画されていた同期の結婚式、延期になるのかな。明日までには連絡しなければ。

2020年12月24日(木)

「祭囃子のその後で 昂ったままの人 泣き出してしまう人
多分同じだろう でも言葉にしようものなら稚拙が極まれり」

 

なぜこんなにも眠たいのか。十分な睡眠を取れている、とは言い切れないけれど、ちょっともうこれは病気なのではないか、と思われるほどの眠気に襲われる毎日。安定剤を服用しているからこんなにも眠たいのだ、と決めつけるのは簡単だけれど、「じゃあ、どうしたらいいのか?」の問いに誰も答えてくれない。最近は仕事から帰ってきて、夕飯を食べ、読書をしているとうとうとして......気付いたら2,3時間寝ていることがあって、本当に辛い。寝ているくせにそこまで眠気がおさまっていないのがしんどい。中途半端な体勢で寝ているから十分に疲れが取れていない、こんなことなら1階に寝具を置いて、じっくりと寝てしまおうか。そんなことを考えながら、でもそんなことをする勇気もなくずるずると日常を食い潰していくのだろうな、という不安でいっぱいだった。もう私は不安とか焦燥とかでいっぱいいっぱいで、まっすぐに歩けているかどうか自信がないのだ。在宅だから8時まで寝て、でもまだまだ眠気の雰囲気は身体中を取り囲んでいて、仕事の時間になってもちっとも眠たさは晴れなかった。外から聞こえる「どどどどど」という音くらいしか音がない、一人きりの世界でパソコンに向き合っていると、眠たさが酷いのだ。誰かから電話がかかってくることもなく、不自由な環境で仕事をしていると生きていることが面倒に思えてくる。ううう、と唸りながら見上げる天井、ロフトがあるせいで天井が高く、そのせいで暖房をつけてもちっとも暖かくならない不便な家だった。ほぼ「無」の状態で仕事に向き合うのはいつだって一人で、次第に大きくなっていく「どどどどど」に辟易しながら、自分の将来に思いを馳せる。将来、既に私は29歳で、将来などというものはあまりないような気分になっている。小学生の頃は自由に歩き回っていた遊歩道も、今となっては窮屈で汚い道になっていて、私はこんなちっぽけな世界で満足していたのか、こんな世界で満足できていたことは一種の幸せであり、お金を費やして得る幸せなどすぐに消え去ってしまうのだった。コロナが発生してから人は人との接触を最小限にしているらしいけれど、私は元から人との接触は最小限に抑えてきたので、コロナ以前以後でそこまで生活が激変することはなかった。ネットのくだらない言説が余計に喧しく感じられるくらいで、そんなものはネットから離れれば影響を被ることはなかった。テレビもつけず、聴き馴染んでいる音楽だけを頼りにしていたら、私はいつのまにか圧倒的に一人になっていた。居心地のいい一人と、たまらなく寂しい一人があって、今年の私は「居心地が良すぎる一人」を満喫していた。誰からも干渉されずに生きるのは非常に楽で、「結婚しろ、子どもを作れ」と急かしてくる世間も周りにはいなくて、兄は結婚し、同期も結婚し、私は一人でこの家で老いていく。たくさんの本や映画を飲み込んで、年相応になっていくのはなんだか愉快で、そのまま孤独を感じずにいられたらどれだけ幸せだろうか。そんな私でも年に数回はどうしようもないほどの孤独に苛まれることがあり、そういうときは安定剤が上手く作用していないか、不安定な天気が続いているか、そんなくらいなのでそこまで気にしないようにしている。これを読めば落ち着きを得られる、という本を何冊か本棚に差しておき、いざ不安な気分になったら貪るようにそれらを読み、大好きな音楽を聴いて躍っていたらいずれはしんどさから解放される。私は何度もそうやってしんどさを乗り越えてきた。今年は比較的少ないしんどさでおさまった、それは今の仕事がイージーモードで、営業の時みたいに人格否定をされることがなくなったからだろう。職場には「不干渉」という壁がたくさん立っていて、それを動かそうと躍起になるものはおらず、小さなコミュニティの中できゃっきゃしている者の声くらいしか聞こえてこない。それは上司がそのような環境を求めたから出来たものであって、ちょっとでも話が長引けば近づいてきて、じっと私のことを見る、見るというより見つめてくるという表現がしっくりくる。一体何を書いているのだろう。

 


昼休みになり、昼ごはんにアラビアータパスタを食べて(ちょっと甘かった)、ちょっとだけうたた寝して、昼休みが終わった。午後の部ものんびりとした時間が流れていた。外からは相変わらず「どっどっど」という音が聞こえてきたが、耳が慣れたのかそこまで気になることはなかった。目はパソコンのディスプレイ、手はキーボードの上に置かれていたが、意識は完全に自室にはいなくて、それがしばらく続いても特に支障は来さない、それが在宅勤務だった。上司から「たくさん食べろ」とメールが来ていて、これはメシハラにあたるのではないか、と思ったが、眠たすぎてもうどうでもよくなっていた。眠たいのをどうにかしなければいけないのが私にとっての2021年の目標だった。勉強をそろそろしなければいけないのだけれど、まずは眠たさをどうにかしなければならないようだった。定時になって、パソコンをそっと閉じて、「生活」に戻った。そういえばずっと家の中にいたことに気付き、ちょっとだけ外を散歩した。今日はそこまで寒い日ではなくて、ジャンパーを羽織らなくても居心地よく歩ける気温だった。ちょっとだけ家の周りを歩いて、家に戻ってしゃんしゃんと夕飯を作った。親から託された「一幻」という海老ラーメンのインスタントバージョンだった。美味しかったが、まあインスタントラーメンの限界を感じた。夕飯を食べ終えると、さっそく読書に取り掛かった。あと1話しか残っていない町屋良平「ふたりでちょうど200%」 を読んだ。読み終わった。今まで読んだ町屋良平のなかで一番体に入ってこなかったし、二回も読みたいと思えるような内容ではなかった。町屋良平、どうした?早く素晴らしい新作を出して、おっと驚くような体験がしたかった。

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続いて吉田篤弘「なにごともなく、晴天。」を読み始める。吉田篤弘は存在は知っているし著作もいくつか持っているが、本を読むのは初めてだった。町屋良平がつっかえつっかえの読書だったので、吉田篤弘のあまりにもストレートなそれに拍子抜けした。順番を逆にして読めばよかったか。あまりにも簡単すぎて、登場人物の考えていることもするすると身体に馴染んでいって、それではちょっとつまらない気分になった。50ページほど読んで飽きた、次に増田みず子「小説」を読み始めた。難しすぎず、簡単すぎない小説で、これは著者の実体験をそのまま文章に落とし込んだのだろうな、と直感で思った。60を過ぎる主人公、両親とはうまくいかなかったこと、自分をうまく表に出せないことをあらゆる視点から描いていて、幾つか読んでいると(鬱陶しいな)と思う反面、主人公の鬱屈とした思いがすっと身体に馴染んでいくのが愉快だった。今作はとても久しぶりに出された作品だそうで、そんなブランクは感じられないくらいするすると文章が紡がれていた。100ページほど読んで文章を追っかけるのに疲れると、ちょっとだけのつもりで床に寝そべったら、案の定寝てしまいました......。

 

 

 でも、本当にいきなり来るものなんですね。変化って。親と離れる決意も。小説家と呼ばれるようになった瞬間も。結婚も。小説が書けなくなる瞬間も。親との再会も。そしてたぶん死も。一生を変える大事な瞬間なのに、ほとんど前触れもなく。
 その瞬間が過ぎてしまえば、前からずっとそうだったみたいに、すぐに慣れてしまうのも驚きですが。

増田みず子「小説」p37

夢は夢のままにしておくことにした

平日、22時過ぎ、一人暮らしの寒い部屋。夢中になって読んでいた本に区切りをつけて、ふと、「自分は一人であるな」ということを実感する。物音が全くしない部屋で、先行きが不透明な世界に包まれて、「どう転がっても自由です」と言われている、それはもう自由ではないのではないか。日々の生活はくだらぬ労働となけなしの趣味に食い潰されて、「潤沢」という言葉からかけ離れている。子供の頃に叶えたかった夢がなんだったのか、それはたぶん知っているけれど知らないふりをし続けて、それでもなお私の中で夢として残っている。夢を叶えてしまったらそれはもう夢ではなく「現実」になってしまう、それはちょっと寂しい気がする。あとどれくらい生きられるのかは分からないけれど、新しい夢を抱くことはないと思ってしまう、その思考の貧困さにうんざりしてしまう。大人になってから同じような灰色の日々ばかり過ぎていって、「生きる意味とは?」という途方もない問いを何度も繰り返しては心を痛めつけている。突然、「わっ」と叫び出したい衝動に駆られる、私はもう十分に生きたのだから。自分の命は自分の手でしっかりと握っている、誰かに握らせるつもりはない。どうしたらいい、という問いはもう捨ててしまえばいいさ。声を発することなくただ文字を飲み込んでいくだけの時間はむず痒くて、それでもまだ生きてるよ、ここで私は生きているよって耳打ちしたい。地元で暮らしている先輩、元気にしているかな。声が聞きたいな、落ち着いたらまた一緒にラーメンを食べに行こうね。

2020年12月23日(水)

「存在証明 なんてもの俺には間に合ってますもの
さぁ 目を凝らせよ」

 

起きたら3時だったので、愉快な気分になった。このまま朝まで踊り明かしてみたら私の人生は劇的に変化するかもしれない。でも臆病な私は、寝不足で人生を失うことを恐れ、急いでロフトに上がって眠りに就いた。幸せ過ぎるほどの眠りで、短編の夢が何本か上映された。朝が来て、うとうとしているこの時間をぎゅっと抱き締めたくなった。相変わらず朝飯はフルーツグラノーラに豆乳をかけたのを食べている。テレビは今日もコロナコロナと騒ぎ立てていたので、そっと音量を消した。いつもよりちょっとだけ遅い時間に家を出たので、ぎりぎりの電車になった。電車の中は劣悪な空気が漂っていて、こんな空気を毎日のように吸うくらいだったら思い切って田舎へ移り住んでしまってもいいような気がしていた。東京での文化的恩恵を受けられないのであれば、高い家賃を払ってまで東京に住む理由はない。田舎に住んで、悠々自適な暮らしがしたい......というのは幻想に過ぎず、本当は煙たい毎日が待っていることだろう。会社に着いて、すぐに始業になった。一通りの屈伸運動を終えたら目の前に居た先輩が、「もうちょっと早く来た方が、先輩受けするぞ」と言ってきたが、朝の貴重な時間をそんなことで無駄にしたくなかった。朝早く来ただけで評価をあげるような人にわざわざ認められたいとは思わない、私は会社で働くような人間ではないようだった。今日は井戸端さんだけが欠番。昨日家では出来なかった仕事と、新しく舞い込んできた仕事を訥々とこなしていくとあれよあれよと時間が過ぎていく、そのスピード感にうっとりした。今日を含めたら今年の出社はあと2日で(明日は在宅勤務)、だからといってさっさと仕事が終われとかそういうことは想起されず、それは今の私の仕事がイージーモードだからであったから。集中して仕事をし終えた後に飲む水はこれ以上ないほど美味しくて、ぐびぐび飲んでいたら尿意の加減がおかしくなってしまったので、ぬるま湯でちびちびやっていたらお昼になった。もう外食することはないのかもしれない、と思うくらいに私は毎日毎日弁当を持ってきてそれを食べている。今日の弁当は唐揚げ、ポテトサラダ、純豆腐チゲという鉄板の具材で占められていて、さすがにちょっと飽きてきた。そろそろ冒険をしてみてもいい頃合いだろう、そろそろ自炊をしてもいい頃合いだった。弁当を食べ終えたら圧倒的睡眠を欲しがっている体に抗うことなく、惰眠を貪っていた。

 


午後の部が始まる。午前中にそこそこ仕事をこなしたのに、まだまだやるべきことがあるというのは私の心を癒してくれるのだ。暇ではない、やるべきことを淡々とこなしていく日々が毎日続けば、精神は平穏に保たれるのだろう。同じ部署で働く人々は忙しそうにしていて、彼らのそのような状況が「年の瀬」を思い出させてくれた。年末なのに私の仕事は一切変化することなく、のんびりと歩く幼児のように陽気な輝きを放っていた。

 


仕事を頼んでいるのに一切返事がなく、それの締め切りが近づいていたので電話をしたら違う人が出た。「今日は在宅なんです」と申し訳なさそうにしており、「もしよろしかったら私が対応しましょうか」ということなので、以前送ったメールを転送した。返事が返ってきて、その人は私が以前経理に居た時にちょこちょこと関わりのあった人で、それを先方も覚えてくれていて、「以前経理にいらっしゃった〇〇さんですよね」とメールに書かれていて、温かい気持ちに包まれた。社内の人と殆ど関わりを持たないでここまでやってきたので、私の存在を認知してくれる人がいるということはちょっとだけ私の存在を支えてくれる支柱になっていた。「これからいろいろとお願い事をするかもしれませんが、宜しくお願いします」と返信し、ほくほくした気持ちになっていたので、このまま午睡してしまって土曜になればいいのに、とさえ思った。私は分かりやすいくらいに浮かれていた。

 


定時になって、特に今日中にしなければいけないことはなかったのでそそくさと退社した。他の人々も同じタイミングで退社したので、出口が混んで、なかなか身動きが取れなくなった。密の状態が3分ほど続き、「もういいわ!」と吠えた人が何人かいて、その人たちが会社に戻ったので密の状態から解放され、人の動きは流暢になった。最近新宿の本屋へ行っていなかったので、ふと行きたい気分になり、早く帰らなければいけないようなこともなかったので、新宿駅へ降り立った。久しぶりに新宿に来た気分だった。最近は家と会社の往復、もしくはずっと家に居ることが多かったので、新宿の西口、あるいは東口を歩くのはなかなかに新鮮だった。まずは西口の贔屓にしている本屋へ。文庫本を長らくチェックしていなかったので、気になる文庫本がたくさん陳列されており、自分へのクリスマスプレゼントに、という甘い気持ちで無造作に文庫本を買ったら11冊、1万円を越えた買い物をしていた。11冊も買うとさすがに重量があり、歩くだけで体力が奪われたが、東口にも行きたかったので重い思いをして東口の贔屓にしている本屋へ行った。こちらは最近出た本のサイン本が豊富に取り揃えられており、夢中になって本棚を眺めていたら4冊もサイン本を購入していた。今年最後の本の爆買いであった。重い思いをして家に帰る。クリスマスのライトアップが私をより孤独にさせた。

 

 

<購入した本>

ブックファースト新宿店

横尾忠則「言葉を離れる」
清水義範「国語入試問題必勝法」
開高健「流亡記/歩く影たち」
奥泉光「雪の階(下)」
小川洋子「密やかな結晶 新装版」
小山田浩子「庭」
町田康「湖畔の愛」
阿津川辰海「紅蓮館の殺人」(サイン本)
ピーター・トライアス他「2010年代海外SF傑作選」
トニ・モリスン「青い眼がほしい」
モリー・グプティル・マニング「戦地の図書館 海を越えた一億四千万冊」

 

 

紀伊國屋書店新宿本店)

川上弘美「森へ行きましょう」(サイン本)
村山由佳「ミルク・アンド・ハニー」(サイン本)
奥泉光「雪の階(上)」(サイン本)
吉田篤弘「金曜日の本」(サイン本)

 

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19時過ぎに家に帰りつく。はあ、明日は在宅勤務なのでぽかぽかした気分である。簡単に夕飯を済ましたら読書を始めた。最近の私は韓国ドラマでもなく映画でもなく、読書なのであった。町屋良平「ふたりでちょうど200%」を訥々と読み進めていった。今回の町屋良平はうまく体に入ってこず、読み進めるのは非常に難儀である。でもそれこそが町屋良平であるような気がして、読みづらいぶぶんも含めて彼だった。途中で眠たくなって、床の上で横たわって(ちょっとだけ)の睡眠のつもりが気付いたら熟睡していた。こんな生活ばかりしていたら、早々に体調を崩しそうで怖い。

私を笑え

放っておくと次第に固まっていく思考、「こうでなければならない」という考えが私を縛り、遠くの方へ行くことを許してくれない。気軽に同僚に声をかけたり、垣根を越えた交流だったり、主に人間との交流に関することで私は私を縛る、臆病になる。小さい頃の癖が未だに抜けることはない、これはもう死ぬまでの定めだと思うとちょっと笑えてくる。泣いても変わらないなら笑ってしまえばいい。「なに笑ってんの」と他人に嗜められたとしても、そんなのは気にしないで笑えばいい。私は私の人生を生きているし、私の人生しか生きることは出来ない。他人の人生を羨んでも時間の無駄、他人から羨まれてもそれは私の陰のぶぶんを知らないから気にする必要はない。必要以上に蓄えてしまった知識経験が私の歩みを鈍くさせる、それが大人になるということなら、それが他人から持て囃されるということなら、私は今持っている知識経験を全て捨ててしまいたい。軽くなった心と体を携えて、どこまででも行こう。朝から夜まで、そして朝になっても歩き続ける。歩き続けてくたびれた心、喉が渇いた心には水でさえも最高の食事。私は私であることを放り出してまで、縛られているものから逃れる必要があった。

2020年12月22日(火)

「騙す算段なら最初から
君の脳内に溶け込んで
ねじを巻いたのは僕の仕業
永劫他人の僕の仕業」

 

8時過ぎまで寝ていて、それでも寝足りないのは昨日のライブではしゃぎすぎたから。こんな遅くまで寝ていられるのは在宅勤務だからで、今日を在宅勤務に設定した過去の自分に感謝した。上司にメールを送り、仕事を始める。たくさんの睡眠を摂取したのに、体は怠さを訴えていて、思うように頭は動かなかった。そんな頭でも特に支障を来さないほど、今の仕事はイージーモードで、いつになったらノーマルモードになるのか待ち構えている。待っているのではなく、自分から「イージーモードからノーマルモードへ変更してください」と上長に訴えるべきなんだろう、まだぬるま湯に浸かっていたいのでそんなアピールをすることはないのだが。ただじっと、暇であることを悟られないように器用に立ち振る舞うだけである。時間は過ぎていく。暖房をつけているにも関わらず家の中は温まらない、外が寒いせいだろうか。温度を上げてみるも、室温が劇的に温かくなるということはなかった。時間は過ぎていく、少しずつではあるけれど。取り合えず今日中にしておかなければいけない仕事を終わらせた私は清々しい気分になって、外の工事の音があまり気にならなくなっていたことに今更ながら気が付いた。もうそろそろ工事も終わりなのだろうか。アパートというものはこんな呆気なく出来てしまうものなのか、と思うほどにあっという間に出来上がっていく。隣からの声も聞こえてくることはなく、なんだかこの家が素晴らしいもののように思えてくる。寒いのは致し方ない、電気カーペットでも敷いてみれば少しは暖かくなるだろうか。せっかくボーナスが支給されたんだから、ちょっとだけ贅沢をしていいのではないか。と一瞬だけ考えたが、普段から本を買ったりライブに参加したりと十分に贅沢をしているので、ボーナスを支給されたからと浮かれている場合でない。そんなことを考えながら雑仕事をこなしていたらお昼になったので、散歩がてら外に出た。

 

 

今日はまだぽかぽかしていたので、散歩には最適だった。予約していた本が6冊準備出来たというので、図書館へ行った。館内は人が疎らで、ちょっとでも呼吸をしたら館員に叱られそうなほど静かだった。スムーズに貸し借りを終え、途中にスーパーへ寄ってから家に帰った。昼ご飯はそろそろ賞味期限がキレそうなタコキムチを黙々と食べていた。食べ終わって、異常なほどに喉が渇いていた、塩分の摂取過多で体を壊さないうちに食生活を見直さなければ。うとうとしているとお昼休みは終わって、仕事に戻った。まだ倦怠感は残っていて、欠伸を噛み殺しながら仕事を淡々と進めていく。音楽を掛けるほどのテンションでもなく、黙々と数字を打ち込んでいるとどうしようもないほどの眠気に襲われて、冷水でばしゃばしゃと顔を洗った。眠たすぎて、目は真っ赤に充血していた。時間は過ぎていく。職場では食べられないような、咀嚼音が甚だしいお菓子を食べてもよかったのだけれど、昼ごはんを食べ過ぎたのでお腹は全然空かなかった。仕事を終えるとちょうど定時になって、「お疲れ様でした」と上司にメールを送って今日の仕事は終わった。来月の在宅勤務のスケジュールはまだ決まっていないが、果たして来月も在宅できるのか。正直どっちでもいいような気がしている。在宅が始まったときは電車に乗らなくて嬉しかったが、家だと職場に比べて集中力が持続しないし、緊張感もなかった。それと、家で出来ることには限界があるので、在宅に倦んでいる自分がいて、それはそれは贅沢なことですね、と皮肉ってやりたかった。

 

 

夕飯をわざわざ作ることが面倒だったので、昼に続いてタコキムチと白米、それにサラダとかを食べた。白米に飽きていた、かといって麺類もそこまで食べたいという気分にはなれなくて、じゃあ一体私は何を食べれば満足するのだろうか。もうそんじょそこらの料理では、私は満足しなくなってしまったのかもしれない。なんとも残念な現実である。夕飯もついつい食べ過ぎてしまって、「かりそめ天国」の年末3時間スペシャルを眺めながらうとうとしているのが最高に幸せだった。お酒の力を借りなくても、ポカポカした気持ちになって、こんなことなら人里離れたところで孤独を愛でながら生きるのも良いかもしれない、という発想に至った。21時過ぎくらいに猛烈に眠気が襲ってきて、ちょっとだけのつもりで椅子に凭れ掛っていたら寝落ちしていた。ふっと意識を取り戻したら23時を回っていて、ニュースはどこもかしこもコロナのことばかりでうんざりしていた。コロナのせいでCDJが中止になって、年末年始に東京に残る理由がなくなった。かといって、ここ1カ月で怒涛のように帰省しているので、わざわざ律義に帰省するのもなんだかおかしな気分だった。試験が終わって1カ月以上が経過しているのに全然簿記の勉強をしていなくて、それがずっと頭の片隅でちょんちょんと気になっていたので、年末年始休暇に一気に勉強し直してみるのもいいかもしれなかった。わざわざ帰省したら2万円もかかるので、そのぶんを他の有意義なことに使いたい気分だった。

 

 

急に読書をしたい気分になって、町屋良平「ふたりでちょうど200%」を読み始める。今回はバドミントンとダンスがテーマで、読んでいていつも思うのだけれど町屋良平は物語を語るぶぶんが他の小説家に比べてあまりにも冗長すぎて、でもそれが彼の文章たらしめていることにも能動的に気づいていた。最初の物語では潰れかけの出版社に入社する主人公二人がバドミントンやダンスを通じて自分を理解する、相手を理解するという過程が読んでて心地よかった。読んでて面倒だけれど読まずにいられないのが町屋良平の文章で、だから24時を過ぎても集中して本を読んでいた。3つめの物語でちょっと飽きたので今日はこれくらいにする。このままの調子で読んでしまったら明日中には読み終えてしまう、でも読み終わっても私の手許にはたくさんの「読まれたがっている本」があるので、年末年始、それどころか来年の年末年始まで困ることはないだろうと確信している。

 

 鳥井は、菅の発言内容ではなく、発言方法に原因がある、と考えた。周囲とうまくことばがつうじていない。独自のひろやかな空白で万人うけする声ではあるが、こういうせせこましいコミュニティではよくもわるくも「指導」されてしまう。もっとおもってもいないことをいうときの声をつくらなければ、この先ずっとどこへいっても「指導」されてしまうだろう。しかし鳥井は菅が気安いし、営業部も既に鳥井より菅のほうが気安く感じている。ようするによくもわるくもなく弄りやすいわけで、つい話しかけてしまうし話しかけさせてしまう。そうした菅の性質をして鳥井はのちに「おまえ、さてはパーティー気質だな」といった。
「なん、それ」
「いや、おれも人生でいまはじめて発した言葉だ。それにしても」
 よく生きているなあ、と鳥井は菅にたいしておもっていた。視界を捉えるすべてが新鮮で、次の一歩を踏み出すごとに地面を延ばしているよう。世界をつくっているようだ。とにかく一秒先の出来事にもあたらしく出会い直すような、菅の素直に不気味な愛着をおぼえつつ、気持ちのどこかが反発した。 

 町屋良平「ふたりでちょうど200%」p20,21

 

 

本を一時中断すると急激に睡眠、読んでいるときは感応させられなかった衝動が一気に押し寄せてきて、それに抗うことなくぼおっとしているのは人生の贅沢であり、それを中断してしまうほど私は馬鹿ではなかった。ということで、寝落ちしてしまうわけであるが、どうにも寝落ちというものは人を駄目にするようで、久しぶりだからそこまで駄目ではないが、これが3回、4回と続いていくと歯止めがかからなくなって、次第に寝落ちすることが「是」となってしまう、それだけはどうしても避けなければならないと心の底では気づいていた、でも寝落ちは実際のところでは気持ちよくて、誰も私の寝落ちを食い止める術を持っているものはいなかった。

それぞれが生きている、今

軽い気持ちで久しぶりに呟きを眺めていたら、懐かしい記憶とか、その先の妄想とか、あの時の決意とかたくさんぶわあーっと溢れ出してきて、感状のやり場に困っている。私はその人をもういない者として認識していて、それはその人のことをもう思い出したくない、私の大切な記憶を捨てることになるんだけれど。楽しいこともあったけれど、最後はただ怠かった。一人でいるよりも二人でいる方が楽しくなって、しばらく二人でいたら窮屈になって、一人に戻っただけ。ただそれだけなんだけれど、私にとっては今までの人生の中でたった一人の存在なので、やたらと存在が大きくなっていた。昔のことなんて思い出さなくてもいい、今は今で必死になって生きているんだから今とかその向こうだけを見ていればいいのに、それなのに気づくと後ろを振り返って、やり残したことがないかを確認している。情けないよな、新しい出来事と出会っていたらたぶんすっかり忘れていただろう、私はまだ一人だったし、今年もたぶん一人のままのような気がしている。こんな時代に出来るなんて嘘くさくないか?それはいっときの寂しさであったり興奮であったりして、騒動が収まったらそれぞれのもとへ帰っていくんだろう、どうせと不貞腐れている。暖房をつけるのが面倒だったのでつけずにいたら部屋はまるで極寒の土地のようで、毛布に包まって音楽を聴いている。そのついでに上記のことをだらだらと考えていて、「余白、作るなよ......」と自分に言い聞かせている。暇な瞬間があるから考える必要がないことをついつい考えてしまう、暗くなる、なんだか生きるのが面倒になってくるのであった。もうここからいなくなるんだから、もう思い出すことはないだろう。本当に関係がなくなってしまう、それはどうやら清々しい気持ちのようでいて、どこかではちょっと寂しいと思っている、そんな私なのでした。

2020年12月21日(月)

「バラバラになった地球儀を並べて
赤道を一つに繋げてみる
忘れないでよ、忘れないでよってわかるかな わかるだろ」

 

変な態勢で寝ていたせいか、右腕に鈍い痛みを感じて起きた。2020年最後の労働の1週間が幕を開けた。たくさん笑った。たくさん泣いた。そんな2020年の労働もあと1週間しか残っていない。私はこの1年で成長できたのだろうか。仕事で成長するというのは幻想で、働いたぶんだけお金を貰えるだけでもありがたい。鬱陶しい上司に目を付けられることはなく、放置されているくらいがちょうどいいのかもしれない。出来ると思っていたことの殆どが出来ずに2020年の労働は終わってしまう。2021年は責任感のある仕事を任せてもらえるといいね。それは建前で、本当はもうちょっと楽したいと思っているよ。

 


ネット通販で購入した豆乳がたくさんあるので、それを消費するため、今日の朝ご飯であるフルーツグラノーラに豆乳をかける。買って分かったけれどこの豆乳は美味しくない。まだ5本もあるとかちょっとどうにかしてしまいそうだし、賞味期限が今週の金曜日なのもちょっとどうにかしている。朝はだからあまりよろしくない気分でスタートした。外に出るとあまりの寒さに顔が硬直して、呼吸がうまく出来なくなった。先週までこんなに寒くなかったはずなのに、どうして急に本気を出してきたんだろう。そこそこぎゅうぎゅうな満員電車に乗って会社に行く。今日は井戸端さんだけが会社に居た、コピーロボットとおジイさんは在宅勤務だった。私も今日は在宅勤務が良かった、今日にしておけば良かった。肩がバキバキに凝っていたので優しく肩をさすりながら仕事が始まった。特にすることがなかったので口笛を吹いていた。今日は80年代にヒットした洋楽を中心に口笛を吹いていたら、50年代のおじさんがたが集まって、一緒になって口笛を吹いていた。途中で口笛を吹くのが面倒になったので真面目に仕事を始めたら、「なんでやめるのよ。もっともっと」とおじさんたちが抗議してきたので、30分ほど延長して口笛を吹いてあげたら手を叩いて喜んでくれた。上司も目を細めていた、仕事の長話は駄目で口笛が許されている世界はどうにかしていた。仕事は枯渇していた。既に干上がった土地に無理やり種を植えて、せっせと水を与えている気分になった。大半のものは100年後に消え去るのに、どうして書類整理をしなければいけないのか、誰かに納得のいく説明をしてほしかった。ふと気配を感じ、振り返ると井戸端さんが居て、「おジイさんが『たくさんの書類が溜まっているから』と慌てふためいていたけれど、うまく対応できたのかしら」と訊いてきて、話が食い違っていることを微笑ましく思った。今日は肩が(しかも両肩)異常なまでに凝っているので、書類整理は諦めた。その代わり、キーボードをかたかた叩いていると済む仕事を中心に午前はスケジュールを組んだ。後ろでは仕事と関係のないこと、例えば年末年始の過ごし方について男と女の子が真剣に話していた。そこそこの音量で、女の子の声が耳障りだったので、周りにいた人は耳をなにかしらのもので塞いでいた。ある人は食べかけのピーナッツを耳に突っ込んでいたし、ある人は束ねた書類を耳に突っ込んでいた。私は耳が敏感なので何も突っ込むことが出来ず、彼らの話が心まで浸透していった。終わるか、と思ったらまた違う話、例えばおせちの具材では何が好きだとか、土日は何をして過ごしただとか、そんな他愛もないことを話し続けていた。あまりにも早口でたくさんのことを話したせいか、二人ともたくさんの水分を摂取していた。話が尻切れトンボになり、急に飽きたのか、二人は自分の席に戻った。耳になにかしらを突っ込んでいた人はそれに気付かず、奇妙な格好で仕事を続けていた。午前はそれでもなかなか終わらなくて、10時42分に急激にお腹が空いたのでクッキーを食べていたら、「良い身分だな。いつ貴族になったんだ」と知らないおじさんが話しかけてきたので、急いでトイレに駆け込んで避難した。見覚えのある顔のおじさんだったが、どんな業務を任されているのか、皆目見当がつかなかった。お昼になった。今日は弁当は持参しておらず、鮭のおにぎりを3個頬張った。1個200円もするおにぎりなので、お米も鮭も美味しくて、続けざまに3つ食べても飽きなかった。ここにマヨネーズがあったらどれほどよかっただろう。SIX LOUNGEを聴いていたが、物凄い眠気に襲われたので、耳からイヤホンを外し、ただ惰眠を貪った。一瞬でお昼休みは終わってしまう、それが儚い人生を象徴しているようで、鼻の奥がやけにツンとした。

 


午後の部が始まって、うっかり口笛を吹いてしまいそうになって慌てて両手で口を塞いだ。すんでのところで止まってくれてよかった、さすがに午後も口笛を吹いたら上司に叱りつけられるだろう。妙に今日は体がだるくて、こんなにしんどいなら冷蔵庫に冷やしてある秘伝の栄養ドリンクを飲んでしまおうか、と気持ちが揺らいでしまいそうになったが、一度栄養ドリンクの味を覚えてしまうと常習犯になってしまうので、なんとか踏みとどまった。だから怠い状態で仕事を進める。進める、と表現してみたが実際は逆走しているといったほうが現実に即しているようで、そんなくだらない現実に嫌気が差して、途中で帰ってしまおうかと思った。それでもなんとか思い留まったのはこんなくだらないことでお金が貰えなくなる方が馬鹿馬鹿しいと思えたからである。働いているのはお金が貰えるから、つまらないけれど留まっているのはお金が貰えるから。もし一生働かなくても食っていけるようなお金が私のもとに転がり込んできてくれれば、給料が低くてもやりがいのあるような仕事をしたい。今の仕事はあまりにも退屈過ぎて、このままここに居たらボケてしまわないか不安で夜も眠れない、ことはあまりない。緊急を要するような仕事はひとつもなく、だからのんびりと時間を過ごしていく。共有の仕事がどんどん溜まっていき、誰も見向きもしないので、8割以上を私だけで片付けてしまう。それでも定時で帰ったらZ君は不平不満を漏らすに違いない、彼は残業をしない奴を許せない、残業に毒された可哀そうな労働者なのである。そんなくだらないことを考えていられる余裕がある、こんなことは営業の時には到底かなわないことである。営業の時は常に緊張感でいっぱいいっぱいで、ちょっとでもミスしようものなら、「ほ~ら、普段から真剣に仕事をしていないからだぞー」とからかわれ、叱られ、けちょんけちょんにされて、家に帰っても仕事のことで頭がいっぱいいっぱいで、小説やドラマなんて享受できないほどあっぷあっぷしていた。それを考えると、今のところは本当に楽過ぎて(何回同じことを書いていることだか。それほどに楽な職場なのです)、ちょっとこれはあとでツケが回ってくる感じの奴じゃないですか、と若干の怯えが生じている。

 


どれほど「時間が過ぎるのが遅い」と思っていても、なんだかんだで時間は過ぎてくれるもので、今日も何とか定時になったお疲れ様でした。もちろん定時で退社して、急いで渋谷へ。今日はSIX LOUNGEと羊文学のライブがあるのです。

 

 

 

くたくたの体で渋谷を抜け出す。22時を過ぎると、渋谷は無法地帯になって、ぼおっと歩いていると攻撃を仕掛けられるので、急いで駅へと急ぐ。クリスマスが近いからか、サンタのコスプレをした女性をたくさん見かける。この時間から渋谷駅へとやってくる人たちは、一体何をしに来ているのだろうか。そんな余計なことを考えていると足を掬われるので、電車に乗ったら思考を停止した。ぼんやりと先程のライブの余韻が体中に染み渡ってきて、改めてSIX LOUNGEの凄まじさを思い知った。SIX LOUNGEで味わえる興奮はSIX LOUNGEでしか味わえない興奮であった、そんな最高な夜であった。家に着くと23時を過ぎていて、お腹はあまり空いていなかったけれどたらこマヨパスタを義務的に食べる。シャワーを浴びて、のんびりしたところで今日のライブの感想を書こうかと思ったが、あまりにも体がくたくただったので椅子に体を預けているとうとうとしてきた。このままだと寝落ちしてしまうだろうな、と思っていてもなかなか体は起きてくれない。24時30分を過ぎ、ようやく起こすことの出来た体を無理やりロフトに押し込んで、今日という日を終わらせる。

東京に帰ってきた2

東京に帰ってきて2日目。たくさん寝て、外に出たのも近所のコンビニに寄っただけなので全然東京を満喫出来ていないが、一人でいることにこの上ない解放感がある。雑音が入らない、というのが一番嬉しくて、隣から声が聞こえないし、工事音もない、ただ空調の音が聞こえるだけのこの環境がこの上なく好きで、ずっとこの状態が続いている。昨日ちょっとだけ触っていたマッチングアプリはもう飽きた、もしマッチングしたところで、こんな状況下で会うのは危険すぎるだろう、それにたくさんの人間の中からお目当ての人間を探し当てるのが非常に億劫な作業になってしまって、そんな不毛なことをしているくらいであれば読書したい、映画を観たいという欲望のほうが勝ってしまい、結果、たくさん寝た今日は夜に映画を観たし本も読んで充実した。明日から仕事だけれど全然「仕事行きたくないわ」という気分ではなく、それは今の仕事がイージーモードであるからだろう。この長期休暇でたくさんの睡眠を貪ったので果たして今日、早い時間帯に寝て、明日、早い時間帯に起きられるかどうかは不安ですが、とりあえずは今日で視聴出来なくなってしまうユニゾンの配信ライブを観て最後の時間を楽しみます。

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2020年12月20日(日)

ストップモーション この時間 そう 君のなすがまま
忙しい人生の隙間で 嫌になる度に 呼び出しボタン押していいから
せいぜい明日もがんばって!」

 

目覚ましを8時に設定していたが、眠たくてぐずぐずしていたら9時になった、ようやく起きた。眠たかった、冠婚葬祭は疲れる。せっかく実家に帰ってきたからのんびりと過ごしたいのだけれど、14時に新横浜でライブがあるからのんびりしていられないのだ。こんなことになるのなら夜のライブを買えばよかったと軽く後悔している。朝飯にまたバターを塗りたくった食パンを食べ、サラダとスープも飲んだらお腹が満たされた。自室で本を読むことはなく、リビングでのんびりと過ごす。あと2時間しかいられないのがもどかしい、ライブは諦めようかしら、と思うけれど1万円近くも支払っているので、今更である。ぎりぎりまで家でのんびりと過ごし、家を出る。また新幹線に乗って、新横浜までのんびり過ごす。睡眠がまだ足りなかったのか、うとうとして寝落ちしてしまわないか不安だった。今回降りる駅は新横浜なので、東京駅まで寝ていたらライブに間に合わない、ぎりぎりのスケジュールで動いていた。せっかく本を持ってきたのに、1ページすら読むこともなかった。旅に出ると本を読みたくなることは私にはなさそうです。UVERworldを聴きながらうとうとして、新幹線の振動があまりにも心地よかったのでうっかり寝てしまっていました。はっと起きて時刻を確認すると新横浜の到着時刻を過ぎているような気がして、慌てて乗車券を確認すると10分後に新横浜に到着でした。危なかった。10分後に新横浜駅へ着き、横浜アリーナへ。横浜アリーナはいつぶりだろう、去年のももクロの大晦日ライブ以来だろうか。とても久しぶりで、でも中に入ったら懐かしさが込み上げてくる場所。来年1月のももクロのライブが無事に当たったので、来月もどうかここに来れますように。

 

 

bigpopmonster.hatenadiary.jp

 

 

ほくほくした気持ちだけれど、外は寒いので小走りしながら駅へと急ぐ。電車を何本か乗り継いでうっかり渋谷へ着いたので、TSUTAYAへ寄る。最近は頻繁にCDをレンタルしているのでもうレンタルするようなCDはないような気がしていたが、Mr.Childrenザ・クロマニヨンズの新譜がレンタルを開始していたのでなんとか10枚借りることにする。これで今年のCDレンタルは終わりだろう、結構な数のCDを借りたけれど、聴いたのはそのごく一部なので、来年からは「今、本当に聴きたい」CDだけを厳選して借りるようにしよう。本当はこの後に新宿の本屋へ寄ってサイン本を購入したかったけれど、体がくたくたになっていたので家へと帰る。M-1の決勝戦が始まろうとしていたので、敗者復活戦から観始める。あんまり面白くないな、誰が決勝に出てもファイナルまで行けないだろうな。ようやく決勝戦に辿り着いて、とんとん観る。去年の伝説的なM-1は今年は訪れることはなく、ズイショズイショで面白いところはあったけれど、爆発的に面白いことはなかった。ファイナルに残った3組のうち2組は「もはや漫才ではない」気がしたけれど、そんな風に考えるのは古いのだろうか。マヂカルラブリーが優勝したけれど、確かに面白いとは思ったけれど、あれを漫才と認めてしまうのはどうしても私には出来なかった。記憶に残らないような、薄味のM-1でした。決勝戦を観終えたのが23時過ぎで、もう眠たくてしょうがないくらいにくたくたになっていたが、今日のライブは今日のうちに感想を書いておきたかったので、UVERworldのライブの感想を書いて、羊文学の新作を聴いていたら24時を過ぎていて、さすがにそろそろ寝ないと明日に響くと思いロフトに上がり、布団に包まって電気を消したが、隣から男の孤独な声が聞こえて鬱陶しかったので、SIX LOUNGEを子守歌にして眠りに就きました。どうでもいいことなんだけれど、隣から聞こえてくる女の声が変わったのは、交際相手が変わったからなのだろうかと邪推してしまう。でも、女が住んでいてそこに転がり込んだのがヒモの男だと思っていたので、(えっ、どういうこと?)と混乱している。女とその母親の声がいつしか聞こえたので女の家であることはほぼほぼ確定なんだろうけれど、えっ、もしかして女がいないときに違う女を連れ込んでるという、そういう下衆なことをしているクズ男だったのか。どうでもいい、私の人生に1mmも関係しないことなので、さっさと寝る。