7時15分起床。呆れるほどの快晴。暑い。暑すぎる。栄養ドリンク未摂取。
昨日は読書で24時45分くらいまで起きてて、そこから布団の中に潜り込んだので眠りに就いたのは25時過ぎのはず。昨日の最後の方は疲れが極まり、身体が熱っていたので、今日は10時過ぎまで寝ているだろうと思っていたが、そんなことはなくて、平日のときと同じような時間に起きた。既に緊張しているのかもしれない。何に?
起きたときに、一人でいることの心もとなさみたいなのがすーっと駆け抜けていって、梅雨を感じた。
心もとなさから、録画しておいた番組を次々に観ていく。「ゴッドタン」、「マツコ&有吉 かりそめ天国 」、「キョコロヒー」などなど。画面上で人間が話しているのをぼんやり眺めていると少しずつ虚無が薄れていく。虚無を薄れさせることがいいのか悪いのか、よく分からないし、そんなことにいいも悪いもない気がしている。
ラジオ「尾崎世界観 の悩みの羽」を聴く。尾崎目当てで聴いたのだが、あのちゃんの声に癒された。最初の、一般の方との絡みはまあ、というところで、あのちゃんとの絡みがなかなかによかった。ずっと話していてほしいくらいに、尾崎とあのちゃんの声は魅力的なのでした。内容は忘れてしまった。
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ロロの新作のチケットが10時に発売される、ということを昨日の夜、Twitter を開いたらたまたま見つけて、新作をこんなすぐにやってくれるのか、と、こんな急にチケットが発売されるのか、抽選とかの段階は踏まないのか、とか。今回の公演は吉祥寺でやるのか、吉祥寺にも舞台をする場所があるんだ、東京にはいろんなところに舞台があって、そこで日々、いろんな演劇が行われている、行われるようになって、良い気分になってくる。大学生のときの、演劇に打ち込んでいた日々の、あの時間から地続きで私は生きているのだな、と思えてきて、不思議な気分になってくる。10時ぴったりにサイトにアクセスして、お目当ての日程のチケットが取れて安心した。2回は行きたかったが、1公演4,500円か...、そして最終日は夜にライブが控えていて、その前日もライブがあるので、1回でいいか、1回に全てを賭けるか。
チケットを買ったら急にぼおっとしてきて、ああだこうだと何もしていなことをしていたら完全に気が緩んだのか、12時15分~13時30分まで眠りこける、眠りを相当に必要としていた。起きると、急に寂しさ、今の生活を長い間続けていて、それが今後も続いていくということ、それを変化させようとする気概が自分にはないこと、きっと明日も同じようなことを思って、それが永遠に繰り返されて終わりを迎えるということに思いを馳せて、人生ってめちゃくちゃ面白いじゃん... 、と寂しさの余韻に浸っていた。音楽を聴くことすら億劫になって、稼働しているエアコンの音だけでなんだか満足した。そして、昨日の昼から悩まされてる韓国のおっさんのこと、それはただの寂しがりやで痛い爺なんだけれど、そういった人間に出くわすことが久しぶりだったのと、起きたばかりのぼおっとした頭だったので、幾分に変なことを書いてしまった。こういうことを咄嗟に書いてしまい、それを公開してしまうので、私も少なからずそういったぶぶんがあるということ、でもこの文章を読んでいる人は最終的には私しかいないことに気持ちよさを感じていた。
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ネットの回覧板の情報で、「chot.design 」という、デザインが学べるサイトが無料で開け放たれている、ということで、とりあえず登録だけした。この機会にデザインを学べれば。そもそもデザインって何だろう。今のパソコンでは全ての動作においてもっさりの度が過ぎているので、この機会に新調してみるのもいいかもしれない。今月末には夏季賞与が入ることだし。
賞与が支給されたからといって、浮かれることはなくなった。営業の頃に比べて額がだいぶ落ちたことはちょっと関係しているが、それが全てではなくて、普段から欲しいものは欲しいときに買っているので、「たくさんのお金が手に入ったから、それで贅沢をしよう」という気分にはならない。常に贅沢はしているし、贅沢をする傍らで節約まがいのことをしている。それでとんとんにはなっていない、未だにライブと本の出費が私の預貯金を圧迫し続けている、削っている、しかし前者はそう遠くない未来に私の中ではちっぽけなもの、日常から非日常へと移り変わるので、目立った出費は本だけになり、いよいよお金が貯まっていくことになるだろう*1 。
しかし、お金が貯まったところで、長々と生き続ける予定もないので、コンスタントに良いお金の使い方をしたい。それは未来の自分に向けた投資、などといった下卑たお金の使い方ではなく、今の自分が最大限悦ぶような、そういったお金の使い方で、人間はどうあがいたって今しか生きられないのだから、今の自分にお金を使うことが一番良い。賢いとは思えないし、賢く生きようとは思わない。賢くなろう、と思って賢くなるわけではないし、打算的に賢くなろうと考えていると、知らず知らずのうちにちっぽけな箱に収容されていることは往々にしてあるのだ。
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午前中から(行かなくちゃ行かなくちゃ)と思っていて、昼飯を済ませ、おばあちゃんから頂いたさくらん ぼが美味しくて、なんとか外に抜け出すことに成功した14時過ぎ。昨日ののんびりとした天気はどこかへ連れ去られたのか、暑さが全力で漲っていて、日陰に入ってもちっともその余韻から抜け出すことはできそうになかった。スーパーマーケットで牛乳4本、豚肉、もずく、納豆、卵、キムチ、箱の水、などを買って、総額で3,500円。たいしたものを買っていないのに、気付くと額が積み上がる恐怖に今後も耐えられるだろうか(まるで中世ローマの常識みたいだな)。重たい思いをしてなんとか家にたどり着き、昨日と今日のここまでのことを文章にして、15時過ぎ、16時に映画のチケットを予約してしまったことを今更ながら後悔してる。さっきの、ちょっとした外出は沈殿していた心をちょっとだけ解きほぐしてくれたのだけれど、でも今日はもういい、それ以上のほぐしはいらない、それは明日の仕事を心配してとかではなくて、今日はもうひっそりと一日を終えたい。それに、他人とすれちがう、その瞬間が何十何百も繰り返されるであろう新宿の街を歩くことは気が滅入るのだ。なんでこんな選択をしてしまったんだろう、ということはライブでもあるが、ライブの場合はほぼほぼ、「でも行ってよかった」と思える、それは私が赴くライブの演者が素晴らしい、ただそれに尽きるのだが、それは果たして映画にも当てはまるのか。小出の思惑通り、私はIMAX で「トップガン マーヴェリック」を観ることになった、それは最近、映画館で映画を観ていなかったことに対する後ろめたさもあった。昨日、家で「トップガン 」を観たが、あれが果たして面白かったのかどうかよく分からない、今の私は映画の感覚というものがほとんど残っていなくて、いやそもそも今まで映画の感覚があったかどうかは定かではないし、そもそも映画の感覚って何?、と思うけれど、映画を存分に味わえる自信がなかった。それでも貧乏性の私は炎天下の中を歩き、新宿の喧騒を耐え忍んで、大きな映画館で派手な映画をこれから観に行くのだ。本当に、ちっぽけ人間だと思えてくるよ。
TOHOシネマズ新宿で映画「トップガン マーヴェリック」をIMAX で観る。映画館で映画を観るのは今年の3月ぶり、そうか、濱口竜介 にハマっていた時期で、夜の渋谷をよく歩いていたものだ。あの日々から3ヶ月も経って、ようやく映画館に戻ってこれたことを嬉しく思う。
TOHOシネマズ新宿のIMAX で映画を観るのはおそらく初めて、そもそも映画は普通のしか観たことがないので、いざ中に入って見るとスクリーンの大きさに慄いた。席はほぼ真後ろの方だったが、それでも視界にスクリーンを全て入れるのにいっぱいっぱいで、「こんなに大きくする必要はないんじゃないか?」と思えた。物凄く大きなところなのに、ほぼ座席が埋まっていた、たくさんの人がこの映画を待ち望んでいたのだろう。幕間に紹介された映画はあまり知らず、特にそれらに惹かれることもなかった。長かった幕間が終わり、いざ映画が始まったときのそれは筆舌に尽くし難い。前作を観ておいてよかった、前作を観なくても楽しめるつくりになっているが、細かいところに前作のエッセンスが散りばめられていて、どうせ観るなら前作を観た方がいいと思いますよ。
前作から30年ほどの時を経ているのにも関わらず、トム・クルーズ のその変わらぬかっこよさたるや。それだけで惚れ惚れとしてしまう、そして前作で出てきたキャラも次々と出てきて、まるで同窓会のような様相を呈していた。おそらく前作を観た人なら誰もが想像したであろう、マーヴェリックの戦友であったグースの息子が出てきて、そこから始まる人間のやりとり、そして前作ではそこまで凄くは感じられなかった戦闘機のシーンのカタルシス たるや。前作で終わるはずだった作品、前作で終わっても何ら過不足はない、それなのに30年の時を経てこうした作品が作られると、映画を観てて、映画を観続けてよかったと思えるだろう。話の内容や、今の技術だからできる最高の映像、特にそれは戦闘機を飛ばしているシーンで、それらを総合したら前作よりも上回っていた、私にはそう思えた。あれだけの迫力を持って迫ってくる映画を久しぶりに観て、震えた。
最初の方や、人間の細かなやりとりに関してはそこまで面白味を感じなかったし、画面が綺麗過ぎたのと、音の圧が凄くて、疲れてしまうぶぶんはあった。せっかく高い金を払って、といった世俗的なことを考えてしまい、それは現実を忘れて映画を観ている時に考えてしまうと途端に物語がつまらなくなってしまう。それでも、そこから立て直してあそこまで持っていく、そしてそれが頂点に達するときのそれは、もう、映画館の大きなスクリーンで観てほしい。ただ、IMAX は今回限りでもう体験することはないだろう。目が疲れた。耳が疲れた。そして、観ていると途中でIMAX に慣れてしまうのだ。IMAX の刺激を受けるのは初めのうちと、戦闘機に乗っているシーンだけで、それ以外のぶぶんではIMAX であることを忘れがちだった。ほぼ真後ろでもスクリーン全てを視界に入れるのにあれだけ苦労したのだから、一番前で観ている人はどれだけの圧を感じたのだろうか、それが好きで前の方で観ているのだろう。
そして、大衆向けに作られた映画だから、そこまで映画好きではない、こういったヒット作が上映されたときだけに映画館に足を運ぶような、そういった層が多く、それは少しストレスを感じた。そこらじゅうからポップコーンを食べる、ぽりぽりばりばりという咀嚼音、そしてずるずるとストローでジュースを飲む音、そういったのが気になって仕方がなかった。単館上映の、普段はどこで生活しているのだろうか、と思える人たちが集う映画を映画館で観るときの、あの安心感を再び感じたかった。
「トップガン マーヴェリック」(☆☆☆☆)
20時過ぎに帰宅。メンタルはがびがびだったので、すぐにシャワーを浴び、ビビンバを食べて、ゆったりとする。すぐに不安が押し寄せてきたので、文章を書きなぐったり、思いついたことを発話して、文章に変換したりなどしていた。
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寝る前に、磯崎憲一郎 「我が人生最悪の時」の「我が人生最悪の時」を読む。これぞ小説、こういうことができるのは小説だけ、というのが濃縮されているような一篇で、途中からふらふらしつつも、磯崎に出会えたことを嬉しく思いながら本を読んでいた。極上の本を読んでいるときは不安な気持ちが霧散されていて、そうか、私はこういうふうになんとかしんどいときを乗り越えてきたのだな、と思い返していた。「鳥獣戯画 」の「美人」の途中で、明日のことを考えて読書を中断した。明日のことを考えて行動するだなんてなんだか恥ずかしくなってくるけれど、私はそういった、まだまだちっぽけな人間のようだった。
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23時45分就寝。
朝飯:フルーツグラノーラ 昼飯:ご飯、納豆、卵 晩飯:ビビンバ
76.8kg 22.4%
歩数:6,605歩