眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2022年6月20日(月)

7時20分起床。晴れ、ときどき曇り。栄養ドリンク未摂取。

 

 

土日にメンタルがちょっとやられてしまったせいか、土日を存分に楽しむことができなかった、それは今までとの比較で、今までが楽しみすぎていて、今振り返ってみるとそれなりに楽しんでいた、でも今の私にはまあ普通な感じだったよね、というので、物足りなさを感じていて、今から仕事に行く、それを5回「も」続けないと休日が来ないことがあまりにもつまらないことに思えた。私のメンタルが崩れてしまったことには仕事も関係しているので、仕事の嫌なぶぶんはできる限りなくしたい、できるならそういうものと関わりたくない、さっと離れてしまえればいいのだけれど、そうもこうも言っていられないような、というのは私が勝手に決めつけていることで、嫌なことがあるなら我慢するより盛大に吐き出してしまえばいい。人生は長くない、という考えはときに焦りを感じさせるが、焦っているくらいがちょうどいい、という考えもあるので、とにかく嫌なことがあったらどんどんと吐き出していこう。我慢しているとよりつけこまれてしまう、そればかりは阻止する必要があった。今の仕事で、誰かにつけこまれるようなことは出来る限りなくしたい。あったとしてもすぐに阻止しているのだけれど。

 

 

思わずサルの踊りを決めたくなるくらいに、20日だというのに、暇だったな。

 

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ずっと頭が痛くて、それは明日になっても変わらず私を苦しめ続けるのだけれど、どうにかして一日を終える。日報を提出する際、上司にひとつの話題を投げかけられる。「今日の夕飯はどうするの?」「ビビンバにしようかと思っています」「ビビンバって、あれだよ...」から対応するのが面倒になってしまった私は、もう働くことが合っていないのかもしれない。一人、こっそりと山奥で暮らしたい。そちらのほうはそちらのほうで違ったストレスが発生するんだろうけれど、同じ種類のストレスを受け続けるよりも、様々な種類のストレスを体験したほうが、人生の幅、みたいなものが広がるんじゃないかな。人生の幅、みたいなことを考え出すと卑しい思考をしだしてしまうので、そんなことは考えないで、直感で生きていこう。私の直感は、自分で言うのもなんだけれど、けっこう信用できる

 

 

21時頃になんだか眠たくて、髭の「Chaos in Apple」を流しながら1階の布団で目を瞑っていた。通しで聴くのはおそらく初めてで、「100%太陽」から「ボニー&クライド」の流れが最高、他にもかっこいい曲が多くて、なんで高校生の私はこのアルバムを素通りしていたのだろう、このアルバムをしっかりと聴いていたら私の人生は少しくらいは変わっていただろうに。というようなことをほぼ動いていない頭で考えていて、次に新しいアルバムを聴こうと思っていたが、ちょっともうこれ以上起きているのは難しい、でもまだ22時ではないから、という理由は通用しなくて、「Chaos in Apple」が終わる頃に意識が吹き飛んだ。

 

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はっ、やらかしてしまった、と思い、これはだいぶ寝てしまった、というのは眠気というものがほぼ吹き飛んでいたからで、時刻は午前4時。こんなふうに寝てしまうのはいつぶりか。こんか寝方をしてしまうということは、つまりは身体も心も疲弊してしまっていることの証だろう。歯磨きを済ませ、ロフトに上がって布団にくるまると、なんともいえぬ安心感に包まれて、はぁ〜、このままずっとこの中で生きていきたい、全てのことをここで済ませられればいいのに、外に出て他人と接触することは本当に馬鹿げたことでありますよ、ということを考え終わる前に寝落ちした。お疲れ様でした。

 

朝飯:フルーツグラノーラ
昼飯:冷やしとろ玉ぶっかけうどん(中)、とり天
晩飯:ビビンバ

 

77.2kg
22.8%

 

歩数:4,189歩

どうしてそうなるのかの予測はだいたい出来てる

またもやメンタルが不調である。最近までは良い調子が続いていたので、ここらでちょっと休憩したほうがいいのかもしれない。

 

 

猛暑が続いて、身体にだいぶ負荷がかかっていた。空調が効いているはずの職場でも暑さを感じて、浴びるように水分補給をしていたけれど、私が単に暑がりだったからあそこまで不快に感じたのか、それとも本当に暑かったのか。仕事の内容云々よりも、身体的理由でしんどい一週間だった。それに加えて、ライブの予定が立て続けに入っていたものだから、体力が回復する暇がなかった。身体がやられてしまうと、心だって少なからず影響を受けてしまう。

 

 

具体的な不調の内容は、このまま一人で生きていくのはやっぱりどうなんだろう、のちのち寂しくなってしまうのではないかな、と改めて考えてしまったからというのもあるし、そうだ、歯の痛みで心身がやられてて、心が非常に弱かったから、そういったことまで考えてしまったのだ。今まではメンタルがやらてても身体の方は比較的持っていたけれど、今回はプラスで歯の痛み、それもどういった原因で痛み出したのかがはっきりしないし、いつまで続くの分からない、その漠然とした不安もメンタルの不調を後押ししたのかもしれない。あとは、職場の環境もあまりよろしくないな、いつまで同じことを繰り返すんだろうな、という諦めにも似た憤りを感じていて、そういったあらゆることが重なって、今回の、「このまま一人でい続けてもいいのかな?」という不安が増幅されたのだろう。

 

 

じゃあこの悩みを解決するために、再びマッチングアプリで婚活しましょう、とはならないんだよね。そもそも、こんな暑い時期に外に出たいと思えない。しかし実際に会ってみないとどういう人なんか分からないので、じゃあ夏は婚活は諦めましょう、となってしまう。し、何度も婚活によってメンタルがごりごりと削られているので、あまりメンタルの調子がよろしくない時期にそれをやるのは自傷行為に等しいのでは、と考えられるほどにはまだ冷静な頭を保っていられているので、まだ早い。そもそも、もう今後の人生で婚活はしないかもな。婚活なんて、進んでしたいと思えるものではなかった、私の場合は。

 

 

仕事においても恋愛においても友達においても、なんだかどうでもいい、とりあえず怒られない程度にいられればいいやと思えるような人間が全精力を注いでいるのが趣味でそれらがなかったらとっくのとうに生活から降りていたんじゃないかな、と思えるくらい、私は趣味に支えられている。今まで、悲しい結末を迎えずにいられたのは、何かに夢中になれる時間がとても長かったからなんじゃないかな。音に夢中になっているとき、物語に夢中になっているとき、私とそれしか世界には存在していなくて、他の、くだらないことを反芻している余裕なんてなくて。吸収したいものは目の前のものを味わえば味わうほどどんどん増えてくる、おそらく仕事を辞めて、食事睡眠以外の時間を趣味に充てたとしても欲するコンテンツの全てを味わうことができない。だからこそ、一秒でも無駄にしたくない、そこそこお金が貯まったんだから無理して働く必要はない、そもそも東京に住み続ける必要はないんじゃないか、家賃が安くて、食材の値段も安いようなところに移り住んで、数年くらいはとことん自分の快楽のためだけに生きてみるのも良いと思う。そんな時間を過ごした後に再び働けるのか、そんな私を雇ってくれるような会社などないんじゃないかという不安はあるけれど、まあそのときになったらなんとかなるし、なんとかならないときはなんとかならないで、違う方向に進めばいいだけで。

 

 

まあ、別に今すぐに結論を出すようなことでもない。後々のことをしっかりと考えてから行動に移してもいいし、衝動的になってもいい。誰かに行動を制限されているわけではない。なんなら、私が私の行動を制限している唯一の存在である(それはそれで悲しい事実ではあるのだが)。

 

 

なんだかよく分からなくなったのは、さっきまでは涼しく感じられていたのに、再び暑くなってきたからかもしれない。明日もどうやら曇りで、通勤時はそこまで暑くはならないと思うので、先週ほどの苦しみはないと思うけれど、気付かないうちにどんどん自分を追い込んでいる場合があるので、まあ、気楽にやっていければいいです。何事も、余力を残して取り組むのが一番でした。

 

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2022年6月19日(日)

7時15分起床。呆れるほどの快晴。暑い。暑すぎる。栄養ドリンク未摂取。

 

 

昨日は読書で24時45分くらいまで起きてて、そこから布団の中に潜り込んだので眠りに就いたのは25時過ぎのはず。昨日の最後の方は疲れが極まり、身体が熱っていたので、今日は10時過ぎまで寝ているだろうと思っていたが、そんなことはなくて、平日のときと同じような時間に起きた。既に緊張しているのかもしれない。何に?

 

 

起きたときに、一人でいることの心もとなさみたいなのがすーっと駆け抜けていって、梅雨を感じた。

 

 

心もとなさから、録画しておいた番組を次々に観ていく。「ゴッドタン」、「マツコ&有吉 かりそめ天国」、「キョコロヒー」などなど。画面上で人間が話しているのをぼんやり眺めていると少しずつ虚無が薄れていく。虚無を薄れさせることがいいのか悪いのか、よく分からないし、そんなことにいいも悪いもない気がしている。

 

 

ラジオ「尾崎世界観の悩みの羽」を聴く。尾崎目当てで聴いたのだが、あのちゃんの声に癒された。最初の、一般の方との絡みはまあ、というところで、あのちゃんとの絡みがなかなかによかった。ずっと話していてほしいくらいに、尾崎とあのちゃんの声は魅力的なのでした。内容は忘れてしまった。

 

www.joqr.co.jp

 

 

ロロの新作のチケットが10時に発売される、ということを昨日の夜、Twitterを開いたらたまたま見つけて、新作をこんなすぐにやってくれるのか、と、こんな急にチケットが発売されるのか、抽選とかの段階は踏まないのか、とか。今回の公演は吉祥寺でやるのか、吉祥寺にも舞台をする場所があるんだ、東京にはいろんなところに舞台があって、そこで日々、いろんな演劇が行われている、行われるようになって、良い気分になってくる。大学生のときの、演劇に打ち込んでいた日々の、あの時間から地続きで私は生きているのだな、と思えてきて、不思議な気分になってくる。10時ぴったりにサイトにアクセスして、お目当ての日程のチケットが取れて安心した。2回は行きたかったが、1公演4,500円か...、そして最終日は夜にライブが控えていて、その前日もライブがあるので、1回でいいか、1回に全てを賭けるか。

 

 

チケットを買ったら急にぼおっとしてきて、ああだこうだと何もしていなことをしていたら完全に気が緩んだのか、12時15分~13時30分まで眠りこける、眠りを相当に必要としていた。起きると、急に寂しさ、今の生活を長い間続けていて、それが今後も続いていくということ、それを変化させようとする気概が自分にはないこと、きっと明日も同じようなことを思って、それが永遠に繰り返されて終わりを迎えるということに思いを馳せて、人生ってめちゃくちゃ面白いじゃん...、と寂しさの余韻に浸っていた。音楽を聴くことすら億劫になって、稼働しているエアコンの音だけでなんだか満足した。そして、昨日の昼から悩まされてる韓国のおっさんのこと、それはただの寂しがりやで痛い爺なんだけれど、そういった人間に出くわすことが久しぶりだったのと、起きたばかりのぼおっとした頭だったので、幾分に変なことを書いてしまった。こういうことを咄嗟に書いてしまい、それを公開してしまうので、私も少なからずそういったぶぶんがあるということ、でもこの文章を読んでいる人は最終的には私しかいないことに気持ちよさを感じていた。

 

 

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ネットの回覧板の情報で、「chot.design」という、デザインが学べるサイトが無料で開け放たれている、ということで、とりあえず登録だけした。この機会にデザインを学べれば。そもそもデザインって何だろう。今のパソコンでは全ての動作においてもっさりの度が過ぎているので、この機会に新調してみるのもいいかもしれない。今月末には夏季賞与が入ることだし。

 

 

賞与が支給されたからといって、浮かれることはなくなった。営業の頃に比べて額がだいぶ落ちたことはちょっと関係しているが、それが全てではなくて、普段から欲しいものは欲しいときに買っているので、「たくさんのお金が手に入ったから、それで贅沢をしよう」という気分にはならない。常に贅沢はしているし、贅沢をする傍らで節約まがいのことをしている。それでとんとんにはなっていない、未だにライブと本の出費が私の預貯金を圧迫し続けている、削っている、しかし前者はそう遠くない未来に私の中ではちっぽけなもの、日常から非日常へと移り変わるので、目立った出費は本だけになり、いよいよお金が貯まっていくことになるだろう*1

 

 

しかし、お金が貯まったところで、長々と生き続ける予定もないので、コンスタントに良いお金の使い方をしたい。それは未来の自分に向けた投資、などといった下卑たお金の使い方ではなく、今の自分が最大限悦ぶような、そういったお金の使い方で、人間はどうあがいたって今しか生きられないのだから、今の自分にお金を使うことが一番良い。賢いとは思えないし、賢く生きようとは思わない。賢くなろう、と思って賢くなるわけではないし、打算的に賢くなろうと考えていると、知らず知らずのうちにちっぽけな箱に収容されていることは往々にしてあるのだ。

 

 

chot.design

 

 

午前中から(行かなくちゃ行かなくちゃ)と思っていて、昼飯を済ませ、おばあちゃんから頂いたさくらんぼが美味しくて、なんとか外に抜け出すことに成功した14時過ぎ。昨日ののんびりとした天気はどこかへ連れ去られたのか、暑さが全力で漲っていて、日陰に入ってもちっともその余韻から抜け出すことはできそうになかった。スーパーマーケットで牛乳4本、豚肉、もずく、納豆、卵、キムチ、箱の水、などを買って、総額で3,500円。たいしたものを買っていないのに、気付くと額が積み上がる恐怖に今後も耐えられるだろうか(まるで中世ローマの常識みたいだな)。重たい思いをしてなんとか家にたどり着き、昨日と今日のここまでのことを文章にして、15時過ぎ、16時に映画のチケットを予約してしまったことを今更ながら後悔してる。さっきの、ちょっとした外出は沈殿していた心をちょっとだけ解きほぐしてくれたのだけれど、でも今日はもういい、それ以上のほぐしはいらない、それは明日の仕事を心配してとかではなくて、今日はもうひっそりと一日を終えたい。それに、他人とすれちがう、その瞬間が何十何百も繰り返されるであろう新宿の街を歩くことは気が滅入るのだ。なんでこんな選択をしてしまったんだろう、ということはライブでもあるが、ライブの場合はほぼほぼ、「でも行ってよかった」と思える、それは私が赴くライブの演者が素晴らしい、ただそれに尽きるのだが、それは果たして映画にも当てはまるのか。小出の思惑通り、私はIMAXで「トップガン マーヴェリック」を観ることになった、それは最近、映画館で映画を観ていなかったことに対する後ろめたさもあった。昨日、家で「トップガン」を観たが、あれが果たして面白かったのかどうかよく分からない、今の私は映画の感覚というものがほとんど残っていなくて、いやそもそも今まで映画の感覚があったかどうかは定かではないし、そもそも映画の感覚って何?、と思うけれど、映画を存分に味わえる自信がなかった。それでも貧乏性の私は炎天下の中を歩き、新宿の喧騒を耐え忍んで、大きな映画館で派手な映画をこれから観に行くのだ。本当に、ちっぽけ人間だと思えてくるよ。

 

 

TOHOシネマズ新宿で映画「トップガン マーヴェリック」をIMAXで観る。映画館で映画を観るのは今年の3月ぶり、そうか、濱口竜介にハマっていた時期で、夜の渋谷をよく歩いていたものだ。あの日々から3ヶ月も経って、ようやく映画館に戻ってこれたことを嬉しく思う。

 

 

TOHOシネマズ新宿のIMAXで映画を観るのはおそらく初めて、そもそも映画は普通のしか観たことがないので、いざ中に入って見るとスクリーンの大きさに慄いた。席はほぼ真後ろの方だったが、それでも視界にスクリーンを全て入れるのにいっぱいっぱいで、「こんなに大きくする必要はないんじゃないか?」と思えた。物凄く大きなところなのに、ほぼ座席が埋まっていた、たくさんの人がこの映画を待ち望んでいたのだろう。幕間に紹介された映画はあまり知らず、特にそれらに惹かれることもなかった。長かった幕間が終わり、いざ映画が始まったときのそれは筆舌に尽くし難い。前作を観ておいてよかった、前作を観なくても楽しめるつくりになっているが、細かいところに前作のエッセンスが散りばめられていて、どうせ観るなら前作を観た方がいいと思いますよ。

 

 

前作から30年ほどの時を経ているのにも関わらず、トム・クルーズのその変わらぬかっこよさたるや。それだけで惚れ惚れとしてしまう、そして前作で出てきたキャラも次々と出てきて、まるで同窓会のような様相を呈していた。おそらく前作を観た人なら誰もが想像したであろう、マーヴェリックの戦友であったグースの息子が出てきて、そこから始まる人間のやりとり、そして前作ではそこまで凄くは感じられなかった戦闘機のシーンのカタルシスたるや。前作で終わるはずだった作品、前作で終わっても何ら過不足はない、それなのに30年の時を経てこうした作品が作られると、映画を観てて、映画を観続けてよかったと思えるだろう。話の内容や、今の技術だからできる最高の映像、特にそれは戦闘機を飛ばしているシーンで、それらを総合したら前作よりも上回っていた、私にはそう思えた。あれだけの迫力を持って迫ってくる映画を久しぶりに観て、震えた。

 

 

最初の方や、人間の細かなやりとりに関してはそこまで面白味を感じなかったし、画面が綺麗過ぎたのと、音の圧が凄くて、疲れてしまうぶぶんはあった。せっかく高い金を払って、といった世俗的なことを考えてしまい、それは現実を忘れて映画を観ている時に考えてしまうと途端に物語がつまらなくなってしまう。それでも、そこから立て直してあそこまで持っていく、そしてそれが頂点に達するときのそれは、もう、映画館の大きなスクリーンで観てほしい。ただ、IMAXは今回限りでもう体験することはないだろう。目が疲れた。耳が疲れた。そして、観ていると途中でIMAXに慣れてしまうのだ。IMAXの刺激を受けるのは初めのうちと、戦闘機に乗っているシーンだけで、それ以外のぶぶんではIMAXであることを忘れがちだった。ほぼ真後ろでもスクリーン全てを視界に入れるのにあれだけ苦労したのだから、一番前で観ている人はどれだけの圧を感じたのだろうか、それが好きで前の方で観ているのだろう。

 

 

そして、大衆向けに作られた映画だから、そこまで映画好きではない、こういったヒット作が上映されたときだけに映画館に足を運ぶような、そういった層が多く、それは少しストレスを感じた。そこらじゅうからポップコーンを食べる、ぽりぽりばりばりという咀嚼音、そしてずるずるとストローでジュースを飲む音、そういったのが気になって仕方がなかった。単館上映の、普段はどこで生活しているのだろうか、と思える人たちが集う映画を映画館で観るときの、あの安心感を再び感じたかった。

 

トップガン マーヴェリック」(☆☆☆☆)


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20時過ぎに帰宅。メンタルはがびがびだったので、すぐにシャワーを浴び、ビビンバを食べて、ゆったりとする。すぐに不安が押し寄せてきたので、文章を書きなぐったり、思いついたことを発話して、文章に変換したりなどしていた。

 

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寝る前に、磯崎憲一郎「我が人生最悪の時」の「我が人生最悪の時」を読む。これぞ小説、こういうことができるのは小説だけ、というのが濃縮されているような一篇で、途中からふらふらしつつも、磯崎に出会えたことを嬉しく思いながら本を読んでいた。極上の本を読んでいるときは不安な気持ちが霧散されていて、そうか、私はこういうふうになんとかしんどいときを乗り越えてきたのだな、と思い返していた。「鳥獣戯画」の「美人」の途中で、明日のことを考えて読書を中断した。明日のことを考えて行動するだなんてなんだか恥ずかしくなってくるけれど、私はそういった、まだまだちっぽけな人間のようだった。

 

 

 

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23時45分就寝。

 

朝飯:フルーツグラノーラ
昼飯:ご飯、納豆、卵
晩飯:ビビンバ

 

76.8kg
22.4%

 

歩数:6,605歩

*1:そんなことは3年前にも書いていた筈だが、さて

2022年6月18日(土)

8時30分起床。晴れのち曇り。栄養ドリンク未摂取。

 

 

めっちゃ眠たかったが、韓国語教室があるので、いくつものアラームをかけて、なんとか起きた。韓国語がなかったら昼過ぎまで寝てて、それはそれは幸せだっただろうが、そこまで寝たら夜は寝られないだろうから、明日、そして明後日の眠気はひどいものになるだろうから、結果的には韓国語教室に救われたことになる。何かの予定がないと、私は土日に惰眠を貪ってしまうようである。

 

 

起きてすぐに起き上がるのは難しかったので、ジャルジャルアイランドの電話を聞いて、ひとしきり楽しい気分になってから起きた。このまま、できればこのまま家でずっとのんびりしていたかった。どうせ外は熱いだろう、そして韓国語教室はめんどうなのだ。今月の女の先生は苦手なので、新しい先生に変わることを願っていた。

 

 

10時45分に教室に着いたら、前の授業がまだ続いていたので、仕方がなく外で待機している。教室に来る前に、同じクラスを受講している小学生が母親と歩いていて、でも教室にはすぐに入らなかった。教室の外で、のんべえさんとお姉さんが談笑していた。二週間ぶりの授業で、二週間前のことはおろか、それ以前のこともほとんど忘れてしまっていたので、どんな顔で授業を受けたらいいのか分からなかった。6月の女の先生は容赦がない、そこにユーモアを交えた空気はなく、淡々と、「この後に誰かと約束はしているのか?」と聞く、それを聞かれた方の気持ちになったことがあるのだろうか。「約束」という韓国の歌がだいぶ前に流行った、それは私がまだ中学生のときの歌で、当時は韓国ドラマが好きな人間は誰もが口ずさんでいたように思う。女の先生は、ただ質問をする、そこに語学を楽しむ余地を残さず、ただ言葉を覚えさせる、ただ文法を覚えさせる、それを生業としていて、5月の男の先生のことを思った。

 

 

50分になってもまだ授業をしていて、おそらく授業が長引いているのだろう、そういったことは今までなかったように思うし、それは私の勘違いかもしれなかった。

 

 

教室に入ると、のんべえさんに声をかけられて、「実はねえ、このあとにクラスのみんなとお昼ご飯を食べるんだけれど、一緒にどう?」と聞かれた。それは唐突なお誘いで、だからこそ咄嗟に反応はできなかった。もし、この後に予定がなかったらおそらくその誘いにのっただろうが、残念なことに、授業のあとに病院の予定が入っていた。それは2ヶ月に1回の稀な予定だったので、クラスのお食事会と私の診察がバッティングすることは偶然ではないように思えた。「そうだったんですね、申し訳ないんですけれどこの後に予定がありまして...」と申し訳なさそうな顔をすると、「そうなんだ。(私)さん、先週休んでいたじゃない。そのときに『来週の授業の後にみんなでご飯を食べよう』ってなったんだけれどね。そうなんだ...」とのんべえさんの反応はまあ、そうなるだろうなというものであった。隣でその話を聞いていたお姉さんも、「そうなのね...」と言っていて、なんだがいたたまれない気持ちになった。

 

 

ただ、ただ、もし私が先週の授業に出席していて、同じようにお誘いを受けていたとして、果たしてそれを受けただろうかとあとで考えてみた。多分、断っていただろうな。もし趣味が合いそうだったり、「この人、面白いな」と思えるところがあったり、はたまた若くて可愛い女の子がいたら話が変わってくるけれど、残念ながらこのクラスにはそういうぶぶんがなかった。私は純粋に、韓国語の勉強をするためにここに来ている。最初は不埒な考えもあった。でもそれは2回目の授業で捨てた。真剣に、韓国語の勉強をしようと決めた。彼らはうすーい関係を構築しているようだったが、それらに興味が惹かれることはなかった。先生は調子が悪いのか、前回ほどの切迫感はなかった。

 

 

授業が終わると、のんべえさんに、「このあとちょっといい?」と言われた。一瞬、新興宗教の勧誘、もしくは高い壺を売られるのではないかと、ぐっと身体が緊張した。外には小学生以外の生徒4人が集まっていて、つまり彼らはこれから新大久保でご飯を食べるということなのだそうだが、私ともとりあえず連絡先を交換しておきたい、今後、授業を欠席するときにも活用できるしね、とのんべえさんは笑っていた、その笑顔の裏に隠されたものがありませんように。「あれ、ここだと電波が悪いのかな」と、のんべえさんがスマホと悪戦苦闘している、それを待っているのはなかなかに居心地の悪さがあった。「ほいほい、これで」と、さすがは韓国語教室に通うだけあり、連絡先はカカオトークで行った。この後に行われる、おじさんの連投に悩まされることはまだこの段階では知る由もなかった......。

 

 

急いで病院へ。最終の時間帯で、椅子は8割方埋まっていた。誰も話をしていなかったが、ノートパソコンのキーボードを打鍵する男の、その打鍵音がやたらと耳についた。横着そうに足を組み、まるでここは自分のプライベートスペースであるかのように振る舞うその男は、彼が発している音で周りにいる人が迷惑を被っていることに気がつかないのだろうか。そういう配慮ができないから、そのような行動を続けているのだろう。このような場所に来ているということは心に多少の弱さを抱えている可能性があり、そういう人は些細な音が気になってしまう、それすらも頭が回らないようだった。25分ほど待って、先生に呼ばれた。今日は議事録の女性はいなくて、先生と一対一だった。「で、調子はいかがですか?」といつもと同じことを聞かれたので、「特に前回と変わりはなく。仕事も半年くらいは変化はないと思うので、半年はメンタルが壊れることはないでしょうね」と応えると、「そうですか...」と返ってきた。「あれですかね、他のところだとだいぶ雰囲気が違うような、そんな感じですかね」と訊かれ、「そうですね、経理の中だと大きな違いはないんですけれど。総務とかだとだいぶ雰囲気が変わってくると思います」と応える。「そうですか...」と同じ相槌、もう無理に質問を絞り出さなくてもいいと思う。今回も同じ処方箋を出すのだから、これ以上のことは何も求めていない。「経理って、専門的な仕事ですもんね」と言われたが、今自分がしている仕事が専門的なものだとは思っていない。どちらかというと非専門的、ただ同じ単純作業を繰り返しているだけで、発展性もなにもあったものではなかった。そこまで言う必要はなかった。「じゃあ、前回と同じ処方で、同じく2ヶ月後という感じでしょうかね」と言われ、そこで終わった。3分ほどだった。

 

 

待合室に戻ると、奥の方の席に座ろう、打鍵男の近くは嫌だ、と思っていたら奥の方までみっちりと人間が押し込められていた。まるで、どこかの工場のようですね。のんびり自分が呼ばれるのを待っている。10分ほどで呼ばれ、会計を済ます。梅雨のせいかもしれないが、院内には独特の湿気が漂っていて、1秒でも早くここから抜け出したかった。

 

 

だらだらと歩いて、何駅か通り過ぎて、赤坂見附へ。今日は赤坂見附駅で昼飯を食べたい気分だった。「赤坂見附  ラーメン」で調べて、美味しそうな店があったので、そこにした。13時15分に店の前に着くと、5人ほどが外で待っていた。そこまで激しく並んでいなくてよかった。並ぶ前、目の前にあるドン・キホーテで水分を確保してから、行列に並ぶ。飲食店の行列に並ぶという行為が久しぶり過ぎて、そして初めてのお店でご飯を食べるということも久しぶりだったので、勝手に浮かれていた。20分ほど並び、店内へ。席数が少ないので、まあ、並ぶよねという印象。炙りが気になったが、初回なので、スタンダードな「純粋豚そば 醤油」(900円)を注文。10分弱で提供される。スープを啜る。ああ、美味しい、そりゃ並ぶよね、と嬉しくなる。麺はまあ、細くて、そこまで印象には残らなかった。再びスープを啜ると、先ほどとはちょっと異なる風味になっていて、まあ一回でいいかな、という印象。何の期待もなくなって、チャーシューを食べたらこれが当たり。チャーシュー丼が600円だったら、そしてそれが会社の近くにあったら、週に1回は行きたくなるねえ、という感じだった。つまり再訪はおそらくないということである。

 

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すっかり疲れてしまった身体を電車に押し込んで、もちろん新宿へ。先月、鬼のように本を買い込んだので、今日は何も買うことはないだろう、と高を括っていたが、蓋を開けると8,000円以上も本を買っていた。そして2時間くらいは本屋を徘徊していた。つまり、私はどれだけ本の空気を摂取したところで、すぐにまたそれらを求めるし、十分にそれらを満喫できるということだ。吉本ばななの新刊(自伝)のサイン本が2冊置かれており、もしかしたらこれはものすごく貴重なものなのではないかと興奮したが、吉本ばななについてはそこまで知らないし、著作も3冊ほどしか読んでいなかったので、これはばななを好きな人が買ったほうがいいと判断して、購入を断念。ぶらぶらと歩いて気になったのが、「代わりに読む人0 創刊準備号」という雑誌。こういう、文学系の、様々な人がエッセイや小説、その他違う表現で同じテーマを題材に描くということがたまらなく好きだし、その最初のテーマが「準備」というところに心惹かれた。しかし、200ページで2,000円弱か。う~ん。ひとしきり悩んだが、連載「これから読む後藤明生」というコーナーを見かけ、これは間違いないぞ、と確信を得たので購入することにした。あとは単行本の時に気になっていた本や、前々から気になっていたけれど、生きているときにはついに著作を読まなかった西村賢太、「読書会という幸福」なんていう素晴らしいタイトルの本を買ったりして、8,000円を超えたが、心は十分に満たされていた。同じくらいに身体に疲労がたまっていたので、さっさと家の布団にくるまりたかった。

 

<購入した本>

友田とん , 蛙坂須美他「代わりに読む人0 創刊準備号」
島田潤一郎「あしたから出版社」
ジェームズ・ブラッドワース「アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した」
黒木渚檸檬の棘」(サイン本)
西村賢太「疒(やまいだれ)の歌」
津原泰水「たまさか人形堂ものがたり」
ブレイディみかこ「ジンセイハ、オンガクデアル: LIFE IS MUSIC」
大木亜希子「人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした」
向井和美「読書会という幸福」

 

 

薬局で処方箋を出して薬を貰ったのだが、だいぶ前に減量してもらった方の薬が前の、10mmgになっていて、「あれ?」と思った、それを口に出すことはせず、するすると行為は流れていき、気づいたら薬局を出ていた。

 

 

 

16時過ぎに家に辿り着く、すっかりくたくたで、私には外出という行為が身体に合っていないのではないかと思えてくる。いや、外出という行為が合っていないのではなく、人間がたくさんいるところにいるのが苦手なのだろう。本屋の、あまり会話が聞こえてこない、そしてそれぞれが接触することをきちんと忌避している空間ですら、そこから離れたときにどっと疲れが湧き出てくるし、それ以外の、チンパンジーが幅を利かせているようなところではもちろん頭が馬鹿になる。チンパンジーのいるところに行かなくてはならないような場面が少なくてよかった。それもこれも、コロナ禍のおかげである。経理の飲み会は比較的おとなしい、それは経理にいる人間が集まった飲みなのだからおとなしいのは当たり前のことなのだけれど、それだとしても私はきっと気分が悪くなる。コロナ前の、嫌いな人間と飲む空間はもちろんのこと、嫌いではないけれど親しくもない人間と飲む空間が楽しいはずがない。当たり前だろう、そうだろう。それがコロナ禍のおかげでなくなったのは本当に感謝しているよ。営業ではコロナ以前のように普通に接待が行われているし、会社内の人間で頻繁に飲みに行っている。経理はそういうのがなくて、それは経理は会社を代表する部隊だから、とよく分からない共通認識みたいなのがあるらしくて、未だに昼食は同じ部署の人間とはできる限り行かないでくれという命令が下されていて、いろいろと気持ち悪いぶぶんはあるが、総じてまあなんとかやっていくのには困ることはないだろう、というものが私の現在の思いであった。

 

 

気になる本が復刊されているので、早急に見に行きたい。

 

store.kinokuniya.co.jp

 

 

明日の映画のために、映画「トップガン」を観る。昔の映画だな~、トム、若いな~、単調なストーリーだな~、と思っていたが、そこそこ楽しめた。明日の映画はどうなんでしょうね。

 

トップガン」(☆☆☆)

 

 

保坂和志「季節の記憶」を読みはじめる。読みはじめて3分くらいで、(あ、これ前に読んだことがある)と思い出し、それは物語に出てくる主人公の近所に住む便利屋のところで思い出したのだが、最初の、主人公とその息子のやりとりはすっかり記憶から抜け落ちていて、こんな印象的なぶぶんを忘れてしまうなんて、当時の私はいい加減に本を読んでいたのだなと思ったし、なんなら今の私だって本気で本を読んでいるわけではない。しばらくは、「プレーンソング」と「季節の記憶」を読んでいく日々になることだろう。

 

 

雑誌「代わりに読む人0 創刊準備号」を読む。一発目「行商日記」から、身体がふにゅふにゃになる。いい買い物をした日は、なんだか誇らしい気分になる。

 

朝飯:フルーツグラノーラ
昼飯:純粋豚そば 醤油(外食)
晩飯:ビビンバ

 

76.5kg
22.3%

 

歩数:9,800歩

2022年6月17日(金)

7時15分起床。晴れ。栄養ドリンク摂取。

 

 

3時間30分の労働を終えたら今週の仕事が終わるので、もはや既に休みに突入したような気分だった。もう、休んでもいいですか?会社に行ったところでやるべきことはない、あったとしてもそれは誰かがやってくれるので、そこそこの時間をかけて会社に行くことが馬鹿馬鹿しく思えた。こういうとき、在宅勤務の有り難さを痛感する。今更それを感じたところで時すでに遅しなのだが。もはや在宅勤務を週に2回もしていたあの日々は私の空想なのではないか、と思うくらいにあの頃が霞んでいる。在宅はこちらのチームより隣のチームが懸命に押し進めていて、それは隣のチームは紙を使った作業がほとんどないからだった。そうか、最近になって職場で居心地の悪さを感じるのは、隣のチームがほぼフル出勤して、それのせいで隣のお喋りが喧しくて、小さな苛立ちが芽生えてしまったからだ。

 

 

ブルボン、向かいから歩いてくるときに軽く揺れながら、自分から避けるという選択肢がなく、それは自分の自信の表れか、それとも他人に対して気配りをするという精神が欠如しているのか。この間、偉い方、おそらくその方にぶつかったら減給では済まされない、まわりくどいやり方で会社を辞めることになるだろう、それくらいに偉い方とブルボンが向かいと向かいから歩いてきて、どうなる?と思って見ていると、偉い方は歩みを止めて、ブルボンが先に歩くのを見守っていた。それに対してブルボンは何もアクションを起こさず、そもそも偉い方が自分に道を譲ってくれていることに気づいていない、これはもはやもう、そういうことなのだろう。これ以上のことを言ったところで何も面白くないので、この辺で。

 

 

起きるときの、あのどうしようもないほどの眠気を感じる瞬間を私の生活から排除したい。起きたときは、「よく寝た!」と嬉しくなりながら、これから長い間起きていることに前向きになるような、そんなふうな起床を体験したいのだが、そううまくはいかないようである。今日も眠たさを抱えながら起きて、今これを1階で書いているときにも眠たい、眠たい、眠たい、と3回唱えても眠たさが消えることはない。これだけ眠たいのはもしかしたら生きることからどうにかして離れたいと本気で思っているからかもしれない。眠っているとき、確かに私は生きていなかった。そのときの、全てから解放された瞬間があるからこそ、私はなんとか生を繋げていられるのだ。

 

 

育児さんは子どもの都合で10時過ぎに出社とのこと。ベテランの子育てさんは2日連続の有給休暇を終え、出社。アルプスは休み。おジイさんも休み。おジイさんがいないので、印鑑の番人はコピーロボットになる、彼は頻繁に離席して、頭がかたいので、離席のたびに印鑑を19に託す。

 


総じて暇。それは他の人も同様で、欠伸の、あのふざけた感じの音が各所で鳴らされていた。朝会、ストくんとのんひょが別ビルで書類整理をする、そのビルの存在を上司はすっかり忘れて、新婚さんが、「〇〇ですよ」と言うがそれも微妙に違う。それだと某有名飲料メーカーのヒット商品になってしまう。そこで一同、どっと笑う。コピーロボットのそれはいつものひき笑い。はぁ、と思って窓の外をぼおっと眺めていたら、「(私)さんには退屈な話でしたかね、すぐに終わりますよ」と急に矛先が私に向かうが、眠たいので、(はぁ)という態度しか取れなかった、そういうふうに一日が始まって、そこから発展的なことが起こることもなく。平坦な時間の流れ方というものがあり、それは往々にして一方的なもので、知覚しようとしてもうまくいかない、そういうときは人間よりも時間のほうが優勢なので、こっちがどうこうしてもどうにもならない。ブルボンの不愉快な笑いは今日も響いていて、彼女だけでもずっと在宅勤務にしてくれ、と性格の悪いことを考える。一度不愉快な人間、と思ってしまうと、よっぽどのことがない限りその不愉快さは払拭されない、ブルボンは仕事上で接触のない人間なので、ただただブルボンに対する不愉快ポイントだけがあがっていく。

 


私と同じように、他のチーム構成員も暇なはずなのに、そのことで愚痴を零すということはなく、それは彼らにとって暇は日常のことであり、わざわざ他人に話すようなことではないからだろう。それとも暇を披歴することで、それが伝言ゲームの調子で上司に伝わる、ではお前にたくさんの仕事を与えようとなる可能性が残されているからであり、定時で退社したい、なんなら暇を認知したタイミングで会社とおさらばしたい、といった感覚を持ち合わせているかもしれないので、皆、こっそりと暇を潰していた。暇、暇、といってもそうでもない人も一定数はいて、その人たちは周りの暇な人間を認知している余裕がないほどの忙しさを抱えているので、いつまで経っても仕事の忙しさの平準化がなされない。「ずっと同じ場所にいるけれど、それでいいのかと思う。隣のチームのことをよく知らないんだ」と19が弱音を吐いていて、その感覚を大事にしてほしいと思う。私が彼にできることはなにもなかった。

 

 

手応えのない時間を過ごして、昼休みに突入したのでするっと会社を後にした。上司とその一味は来客対応で忙しいらしく、帰り際のゴニョゴニョを受けることがなくて、にっこりとしたまま会社を抜け出した。外はぬるっとした、まさに梅雨を体現した空気が広がっていて、頭上の色もはっきりとしたものではなかった。一週間が終わったという手触りは全くなくて、ただ、よー分からん時間が流れていたなと思うだけで、これが来週も再来週も繰り返されるのかと思うと、ちょっと頭がおかしくなりそうなので、今は今に集中する。

 

 

電車の扉が閉まる、いやもう閉まっているのを無理やりこじ開けて入ってくる、3分後に次の電車が来るというのに、大勢の他者に迷惑をかけてまで3分を捻じ込ませる、そのような人間が東京には偏在していた。

 

 

家の最寄駅に着いて、ああ、なんだか解放的な気分だからいっそのこと外食でもしようかしらと思ったが、炊飯器にはお茶碗一杯分のご飯が残っていて、それを夜まで温めておくのはなんとも心苦しかったので、外食は諦めた。解放的な気分を持続させたかったので、眼鏡屋さんで眼鏡を綺麗にしてもらう。自分できちんとケアをすれば、何年も使えるんだけれど、なかなかそういった細やかな気配りができないものですよね。眼鏡屋の次はローソンで今日のライブのチケットを発券する。Suspended 4thはローチケのことが好きなのか、今年1月の「Grateful Jam 2022」のチケットもローチケで、近所のローソンで発券した記憶がまだある。1日目のライブを終え、あまりの凄まじさに、悩みに悩んで、次の日のclimbgrowとのライブのチケットを買ったのだった。そのときはまだclimbgrowに対して興味がうっすらと残っていたが、その日のライブで興味が消えてしまった。climbgrowの興味の分までSuspended 4thに乗り移ったかのようだ。今日はそんなバンドと、遂に、遂にWOMCADOLEとの対バンライブである。本来はWOMCADOLEとの対バンだったが、メンバーの負傷によりclimbgrowが代打を引き受けたのだ。そのリベンジとなるであろう今日のライブが楽しみで仕方がなかった。

 

 

Spotify「聴漫才」のジャルジャルを聴く。う~ん、うん、ジャルジャルはやっぱりコントだな、と思い知らされる30分だった。

 

 

午後休暇、なんだかんだであっという間に定時の時間までになってしまうから、ときおり悲しくなってしまう。かといって、丸一日休みを取ったところで、一日中寝てしまいそうな気がしているけれど。

 

 

ライブが終わり、くたくたの身体でなんとか家に帰って、明日が休みでよかった、明後日も休みでよかったと思いながら、1階の布団の上で寝転びながら、嫌な気持ちが霧散していくのをただ黙って眺めていた。

 

朝飯:フルーツグラノーラ
昼飯:ご飯、納豆、卵
晩飯:ビビンバ

 

76.7kg
22.3%

 

歩数:8,469歩

2022年6月に行ったライブ(計7公演)

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2022年6月1日(水)

ASIAN KUNG-FU GENERATION@東京国際フォーラムホールA

「Tour 2022 プラネットフォークス」

18:35~20:55

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2022年6月12日(日)

CRYAMY@東京キネマ倶楽部

CRYAMY ONEMAN TOUR 2022 [売上総取]
18:05~20:05

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2022年6月13日(月)

UNISON SQUARE GARDEN presents「fun time HOLIDAY 8」
18:30~19:15
19:30~20:45
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2022年6月17日(金)
Suspended 4th × WOMCADOLE@LIQULDROOM
「Suspended 4th KARMA! KARMA!! KARMA!!! Tour」
18:35~19:08
19:30~21:08
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2022年6月25日(土)
ももいろクローバーZ@武蔵野の森総合スポーツプラザ メインアリーナ
MOMOIRO CLOVER Z 6th ALBUM TOUR “祝典”
18:00~20:00
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2022年6月26日(日)
Cody・Lee(李)@横浜Bay Hall
Cody・Lee(李) ONE MAN LIVE TOUR ”愛してますっ!を伝えにいきますTOUR"
18:00~19:45
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2022年6月28日(火)
羊文学@Zepp Divercity
「羊文学 Tour 2022 “OOPARTS”」
19:08~21:12
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2022年6月29日(水)
SIX LOUNGE ×  ズーカラデル@渋谷CLUB QUATTRO
「THE SIXTH SENSE TOUR」
18:40~19:27
19:48~21:05

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暑過ぎて頭が変になりそう

外に出ると、身体の全てがとろけてしまいそうなほどの暑さが立ち込めていて、それでも平然とマスクを着けて歩いている人を見ると、尊敬の念すら抱く。周りに誰もいないのに、律儀にルールを守っているその姿に心が震える。どうしてそれを今着ける必要があるのか、少しは自分の頭で考えたことがあるのだろうか。

 

 

冷静になって仕事をしていると、「なんでこれをしないといけないの?もっと効率的なやり方があるのに?」と思うことが多々あり、どうしてそのやり方を続けているのかと聞くと、「前任者がその方法をしていたから、それを踏襲している」とのこと。「効率悪くないですか?そもそも、その仕事は必要ですか?」と聞くと、「いや〜、考えたこともなかった。どうなんだろうね」じゃないよ。与えられたものを、何も考えないで咀嚼している、その姿がどうしようもないほどに虚しく映ってしまった。何も考えないのは罪に等しい。

 

 

暑過ぎて、もう何も考えたくない。職場、外気を取り入れて空気を入れ替えているわけではないのに、暑過ぎる、暑過ぎてとろけてしまいそう。日光が当たらないだけまだマシだけれど、近くに人間がいるという理由だけで、会話をすることもないのにマスクを着けている、律儀にマスクを着けている。不織布マスクが推奨されている。仕事をしていると、次第に頭がぼーっとしてくる。扉の近くに設置されている、非接触型の体温計、いつ測っても同じ体温が叩き出されて、「いやいやいや」とツッコミを入れたくなる。いつまで壊れた体温計を使い続けているのだろう。この文書を書いている今もマスクを着けている。誰かと話すわけでもないのに。そして暑くて、どんどんと意識が薄らいでいく。もっとたくさんのことを楽しみたかったのに..........。

 

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2022年6月16日(木)

7時25分起床。曇りときどき晴れ。栄養ドリンク未摂取。

 

 

眠たい。毎日、眠たいを繰り返している。眠たいのは嫌いなのに、毎日微妙なよふかしをしているのは学習能力がないからか。昨日は23時過ぎに読み始めた保坂和志の本が面白く、最後まで読んでいたら日付を跨いでいた。保坂和志の小説を読み通したのはもしかしたら初めてかもしれない。エッセイはたくさん読んできた(買ったが読んでいないものもある。相性がかなり関係してくる)。小説は文庫本が出たら必ず買っているし、昔の文庫本でも状態がいいのは買っている。彼を真剣に知りたいと思ったのは「未明の闘争」で、それを知ったのがいつなのか分からない。どういった経緯でそれを知ったのかも分からない。大半の本が、「なんでこの本を買ったんだっけ?」というもので、でもそれらは間違いがなかった。本を選ぶことに間違いがなくてよかった。

 

 

そんなことを朝に考えていられるほど、仕事に対してストレスはなかった。暇を持て余しているのでそれが不快だったが、他者から精神的圧迫を受けることはなかった。ただ、上司がちと鬱陶しいぶぶんがあって、それは私だけなのかと思っていたが、昨日の19の反応を見ていたら、彼も上司に対してめんどくささを感じているようだった。上司というものは部下から恨まれることにより、その存在がより際立つ、つまり上司は上司としてきちんと存在して、部下とは友達ではないよ〜、ということを部下にきちんと知らしめることで、その地位をなんとか保っているという、そんなくだらない考えのために部下に対して不快を撒き散らかしている、それはもう性能の良いロボットの方がよっぽどマシだと思えた。

 

 

朝、軽く散歩をしてから先週から予定していた書類整理へ。19とおじさんくんが楽しそうに上司の悪口を話しているのを聞いて、健全な感じがした。上の人間に対する不満があるのにそれを口にすることを躊躇う人は往々にいて、それは愚痴を零した人にあとで密告されることを怖れるというのもあるが、そういったことを言葉にすることを嫌う人がいる。そういう人はどうやって、上司に対するストレスを発散しているのだろう。恋人に愚痴を零しているのか、よく行く居酒屋のマスターに相談に乗ってもらっているのか、それともひたすら趣味に打ち込んで忘れるのか。そのどれをしても根本的な解決にはなっていない、上司からのストレスを感じないようにするには、その上司にガツンと言うか、その会社からそっと離れることだ。最初に入った会社が絶対、ここから他へ移ることが考えられない人は、どうにかして上司に対するストレスを発散させようとするが、そもそもストレスを感じてしまうということに疑問を持ってほしい。そこはあなたの感じではマッチングしない会社だったのかもしれない、会社なんて世界には星の数ほどある、そういったことを忘れてしまって、「自分がぐずだ」と思って、毎日、苦しい日々を送るくらいなら、ストレスの原因になっている上司に飛び蹴りを食らわせるくらい、それくらい威勢のいいことをしてしまってもいいと思う(真に受けないでくださいね)。

 

 

書類整理、というか段ボールから段ボールへの移行作業はもはや肉体労働で、日当で5,000円くらい出てもおかしくない、これを涼しい部屋で退屈そうにパソコンを眺めているときと同じ給料しか出ない、というほうがバグっていたのだ。そんなわけで、昼休みに突入する頃には疲労と眠たさで身体はぐちゃぐちゃになった。雨は降らず、かといってかんかん照りでもない、ちょうどいい気候だった。

 

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昼休みが終わった瞬間は、覚醒した頭で、これならなんとか眠気を抱えないで済むと安心していたが、安心したことにより眠気が急に盛り返してきて、13時~14時の記憶というものがほとんどない。19くんが先ほどの書類整理のことでいろいろ教えてくれたのと、まだ提出されていない書類について催促のメールを送ったくらいで、それ以外の記憶はすとんと無くなっている。口の中はBOSSのブラックコーヒーが十分に残っていて、コーヒーの後味の気持ち悪さがいつまでも尾を引くのは散々経験しているのに、それでもなお今日もブラックコーヒーを飲んで知ったのは、ひとえに、習慣から逸脱することは不安が伴うということだった。その不安を仔細に観察してみると輪郭がぼんやりしている。お~い、と声をかけるとしなしなと、音も立てずに崩れ去っていった。

 


不安というものは往々にしてそういう弱さを含んでおり、とある出来事に(それに対して善悪はない)過剰に反応することにより不安が生まれる。不安を放置しておくと、それが勝手に霧散していくことは稀で、どんどんとその大きさは過剰になっていく。これはちょっと自分一人だけでは対応できない、といった段になってメンタルクリニックの出番である。初診だと予約を取るのに3カ月はかかる、コロナはなんだか普通の風邪みたいになったね、というのは甘えから生じるものであり、慣れというものは怖いですね。メンタルがくたびれることなく、なんとか3カ月を過ごし、いよいよメンタルクリニックへ赴くと、どんよりとした空気が広がっていて、椅子に座っている人間のほとんどからは覇気が感じられない。それもそうだろう、一見した感じで覇気が感じられるような人間はメンタルクリニックに来るはずがない、というのも一種の錯覚で、自分は大丈夫だ、というような人間に限って心の健康を壊してしまうことが往々にしてある。絶対に大丈夫、はないし、絶対に大丈夫ではない、もない。いざ番号が呼ばれ、気難しそうな先生とご対面。どんなふうに自分を救ってくれるのかという期待はものの2分で砕け散る。大半の、というかほぼ全てのメンタルクリニックの、薬を処方してくれる先生はただ話を聞き、そこから適切な安定剤を提供するだけで、その人の心を直接救ってくれるわけではない。そのような役割を担っているのはカウンセラーという名前を付与された人たちで、しかしその人たちにももちろん当たり外れ、相性というものがあるので、あまり期待しないほうがいい。もう自分は駄目なんだと諦めることより、どうしたら今後、うまくやっていけるのか、自分の力で、と考えた方がよっぽど有意義である。というところまで考えたところで少しは眠気が減少していた。19くんは健康診断のため、東海道線を使って該当の病院へ既に向かっていた。

 

 

眠たさと暇と、近くで擦れる服の音で頭がいっぱいいっぱいになった。そして、身体の痺れがじわりと私を蝕んだ。また薬が切れてきたのか。いつになったらこの痺れから解放されるのだろう。家にいる籠っているときはこのような痺れを感じることはあまりない、外で、人間がたくさんいるところで痺れが発生するようだった。痺れの根本的な原因はおそらくストレス、外部の不確定な要素による精神的な負荷によりそれが痺れへと変換されるようであった。薬を飲んだところでそれは変わらない、家に帰って、時分の時間に集中することでそれは軽減されるはずなので、さっさと家に帰りたかった。この場所にこれ以上いる意味を見出せなかった(最近はその気持ちが日に日に強くなってきている)。

 

 

上司の席が私の席から遠くてよかった。上司が目の前に座っていたら、その呼吸や、誰かに対する叱りを身体全体で受けることになり、そうなると一日が終わって家に帰る頃にはそのあとの時間を充実させようだなんて思えないだろう。体力が足らない、私にはストレス耐性もないが、それ以上に体力がなかった。早くジムに通いたい、運動をとことんしたいが、場所さえあれば運動なんてできるので、つまりはやる気の問題だった。

 

 

先月はここまで暇ではなかった、もしかしたら6月というものは暇の濃度の調節がおかしくなってしまうのかもしれなかった。後ろではベテランさんか濃縮のことを叱っていて、それはよく聞けば濃縮のいい加減な仕事に対する適切な指導ではあったが、声の節々に棘が含まれていて、それが濃縮の精神を蝕んでいるはずだった。以前、ベテランさんのいないところで、「あれは絶対おかしいだろ、くそ」と暴言を吐いていたが、彼の方が劣勢であった。彼のいないところでたびたび議論がなされ、今後、彼をどのように扱っていくべきか、ということを複数人の男女が話し合っていた。自分の処遇に対する話し合いが行われているということは確実に濃縮は気付いているはずで、そのようなことが行われていることは確実に彼の居場所をなくしていくことだった。ここの職場でうまくやっていくコツは、丁寧に仕事をして、ミスをできるかぎりしないこと、そして先輩に対して大袈裟な態度を取らないことだった。そうすると私はここの職場でうまくやっていない。コピーロボットとという形だけの先輩とのコミュニケーションは皆無で、それは初めから確かそうだった気がする。流石に、配属したての頃は何かしらの会話がコピーロボットとの間で交わされたはずだが、それがあまりにも退屈だったので、途中で彼と話すのを面倒くさく思えて、積極的に話すことをやめた。その雰囲気を感じ取ったのか、そもそも後輩と話すことに興味がないのか、もののすぐに私とコピーロボットの間には隔絶が発生した。それでよかったと思う。たまに、19がコピーロボットのところまで足を運んで、少しだけのプライベートを混ぜ込んだ話をしているのを見て、おそらく後輩としての先輩への歩み寄り方は19のそれが正しいのだろうけれど、人間には向き不向きというものがあり、そして相性というものがあった。そう考えると、相性の良い人間はこの職場にいないような気がして、途端に心がささくれ立っていった。

 

 

頭も痛み出して、これはもう仕事をするような感じではない、とただ定時になるのを待った。定時になって、皆がすぐに帰りたい感じを出していたが、依然として日報の提出の仕方が定まっていなくて、お互いがお互いの出方を監視していた。このままだと連続定時退社記録が終わってしまう、と意を決して紙の日報を上司の近くに聳え立つ山に置き、存在感を消して会社から姿をくらました。

 

 

家に帰って、ビビンバを食べてひとしきりストレスを発散させ、今日は保坂和志「プレーンソング」を読み始めた。最近の私は保坂づいているようだった。この本も猫の話と、それに加えて保坂の周りにいる、ちょっと変わった人間が出てくる話が交互に提供される類のもので、その絶妙な感じが今の私の気分に合っていた。ただ、読書に対する集中力はまだ発展途上なので、30分ほど読んでからテレビを見た。「水曜日のダウンタウン」、「有吉クイズ2HSP」を見て、そうこうしていたら23時になって、ああ、これが生活なのだよ、と諦めの気持ちが強くなった。外は涼しいはずなのに、室内はどうもじめじめしていて、何も考えないでエアコンをつけているが、来月の電気代が少しだけ気に掛かっていた。

 

 

さて寝るかー、と思って少しだけネットを眺めたらももクロの夏のライブ情報が解禁されていた。ももクロさんも、いよいよこんなあこぎな商売をするようになってきたのですね。彼女らのライブをあと何回観れるか分からないので、第一希望はTDFシート。アリーナシートは場所によって微妙な感じがしたので、第二希望はスタンド席。これで、7月以降もANGEL EYES会員じゃないといけないですね...、とすぐに5,000円をぶちこんで1日が終了。今年こそは、ももクロと過ごせる夏になるといいな。

 

 

 

「あなた、猫好きじゃないわね。まだ」
 と、こちらがうすうす感じていたことをするりと言うのは二十歳の頃と変わらないゆみ子の話し方で、ぼくはやはりそうなのだろうかとつい納得してしまう。それでも、
「でも、夜遅くなると新宿だって池袋だって、ノラ猫が歩いているぐらい知ってるよ」
 と、反論してみると、
「そんなこと、どうだっていいのよ」
 と簡単に言われてしまいかけたが、
「そうかあ。
 いままでそういうことも知らなかったんだ。猫なんかどうでもいいと思っている人は、見ないものね。それはたいした進歩かもしれないなあ。
 でもね。
 あなたの事情は猫には関係ないから。
 もともと猫は、猫の見えてない人相手に歩き回っているわけじゃないから。
 あなたに猫が見え出してはじめて、猫にもあなたが存在するようになっただけだから。
 やっと、あなたは存在をはじめたばかりなのよ。初心者」
 と、ゆみ子は独特の言い方をはじめる。
「だから、もっと謙虚になってつきあおうとしなくちゃ。
 あなた、もう煮干も置いてあげてないでしょ。
 猫って、一匹だけ選び出すのって、できないんだから。猫はつねに猫全体なのよ」
 と、こんな言い方をゆみ子はする。猫は一匹ではなくてつねに全体だなんて言い方は実に抽象的な表現に聞こえてもいいはずなのに、ゆみ子が言うとやはり具体的な表現なのだ

保坂和志「プレーンソングp52,53

 

 

朝飯:フルーツグラノーラ
昼飯:冷やしとろ玉ぶっかけうどん(中)、とり天
晩飯:ビビンバ

 

75.9kg
22.3%

 

歩数:7,024歩

2022年6月15日(水)

6時30分頃起床。雨ときどき曇り。栄養ドリンク未摂取。

 

 

眠たい、優しい眠たさに包まれている、そのような状態がもしかしたら幸せということなのかもしれない。アラームをかけているので、安心して目を瞑っていられる。このような危ない状態を持続してもなんだかんだで遅刻しないのは、心のどこかでストッパーがいるからだ。東京に再び来てから、寝過ごして仕事に遅刻したことがない。小心者なのだろう。実家にいたときは誰かが起こしてくれる安心感があったが、他人に起こされる、「そろそろ起きた方がいいんじゃないの?」と、自分の意思以外で起きるというのは少しだけ鬱陶しさを感じていた。今は自分の裁量で起きられるので、ストレスはない。ただ、上の階の人間が同じ時間に起きているようで、どんどん、と床を踏む音が身近に聞こえるのは少しだけ不快に思う。下に人が住んでいる、ということを忘れているかのように、それはそれは不用心に、どんどん、と床を踏み締める。この建物の欠陥、上からも隣から存分に音が流れ込んでくる、それがあるからこの家賃なんだろう。家賃補助が出ているので、もう少し高いところに住んでも良かったのだが、この家をひと目見たら、「ここだ」と思った。住んで数ヶ月先に隣人から怒鳴り込みがあるとはそのときは思わなかったが、それも今では昔に感じる。

 

 

7時25分にようやく起きて、そのままずっと起きている。この時間に起きるのが最近の私のトレンドになりつつある。何気なくテレビをつけているが、ここから流れてくる情報が私にとって外部との唯一の接点になっている。新聞は読まないし、ネットのニュースも見ない。音楽を聴いて、昔の本を読んでいるので、今、世界でどのようなことが起きているのかを詳しく知らない。知らなくていいと思う。みんな、なんでそんなにたくさんのことを詳しく知ろうと思うのだろう。今まで学んだことだけで、生きていけると思うのにな。

 

 

暇が極まっていく。朝が始まって、よーいどんのタイミングで既に手持ちがない、このまま一日が流れていくうちに新しい作業が供給されることもない、そのような状況に対してどのような表情で応えるべきか、私には分からなかった。ブルボンは今日も絶好調で、経理チームにおける発言の8割を一人で占めている、そう言っても差し支えないほどに話し続けていた。来月にでもディベートの社会人大会でもあるのだろうか。会話の相手は独り言ぶつぶつおじさんと、今週から経理に配属されたビリヤニさん。ビリヤニさん新しく触るシステムにしどろもどろな感じで、それをブルボンが自信満々な感じで、「これは処理が遅いので、こっちのシステムを使うといいんですよ」と言葉を発していた、その声はボリュームの調節機能がいかれてしまったのでは、と心配になるほどの大きさだった。ブルボン以外に大きな声で話す人がいない、そもそもこのフロアで話している人がいないので、ブルボンにスポットライトが当たっているような感じに仕上がっていた。

 


19くん、今日はいろいろと忙しいので、もしかしたら処理が遅れてしまうかもしれない、と心配そうな面持ちで話していたが、処理が遅れることもなく、途中から暇を頃がしていた、それは彼の表情からわかる、彼と再開してからはずっとマスクの彼しか見ていないのでどんな顔をしていたのかをすぐに思い出すことが出来ない、たまに飲料水を飲んでいるときにマスクを外している、そのときに見える顔の全貌を見て、「こんな顔をしていたっけ?」と戸惑うが、時間が経てば人間は老けていくものである。それは同様に私にも当てはまることで、昔の記憶をあてにしている人がマスクなしの状態の私の顔を見たら驚くかもしれない。コピーロボットは一日中、複数台のパソコンのUpdateに余念がなかった、まるでシステム部門から一時的に派遣された人のような、あまり落ち着きのない、居心地の悪そうな佇まいでした。

 


昨日、コピーロボットの方から意気揚々と、「上司に説明しに行こう」と、とある管理台帳を廃止する方向で進めたい、といったことを上司に説明しにいった、それは上司の上司が、「まだ紙なんかで管理しているの?」という一言から始まった騒動で、今まで使用していた何かをなくすためには上の人間を説得しなければならない、そのときに純粋にそのことだけの話をできればいいがそんなことはなかなかない、大抵はうざ絡みをされ、厭な気分になって自席に戻るのがオチである。初っ端からおどおどしているコピーロボットに対して、上司は核心をつくようなことを訊いて、「それは一人ひとりに説明して参ります」だなんてコピーが返して、「いや、そんなことをしたら、『じゃあ、今までのはなんだったの?』と言われるよ。わざわざこちらから報告する必要はないんじゃないの?」と上司が訊く、それに対してコピーが右手で頭をぼりぼりかきながら、「いや~」とかなんとかはぐらかしていて、(なにこの時間、なんでこの場所に私も同席させられているの?)と不愉快な気持ちになったが、それをあえて口にする必要はない。たぶん上司も暇で、たまに来るこういったイベントを楽しんでいる、そしてついでにコピーロボットを馬鹿にすることも楽しんでいる。上司は平然と、コピーロボットの後輩がいる前でコピーロボットのことを馬鹿にする。それはさも上司である自分の特権、とでもいいたげな感じで何度も繰り返されるのだが、そういったことをされたコピーロボットの気持ちを考えたことがあるだろうか。そういったことを考えないから、何度も何度も、まるでそうすることで徳が積まれるといった感じで執拗にコピーロボットを馬鹿にする。馬鹿にされてもへらへらしているコピーロボットコピーロボットで、でも、馬鹿にされてもへらへらしている奴はすごい、とUVERworldの人が言っていて、その側面もあるよねとは思った。ただ、ここでは馬鹿にされることを許してはならない、といった場面もあり、その場面の選択をコピーロボットは明らかに間違えている。UVERworldのライブはコロナ前にはよく行っていて、そこで良い思いをいくつかしてきたが、コロナになってから途端に興味が失せてしまった。「30」は惰性で買ったが、それも聞かずじまいである。バンドの雰囲気からもわかるが、UVERworldのファン層は治安が悪い。特にライブに行くとそれを実感する。EXILEグループほどではないが、そこそこの人たちが集う。そのような人が集まる場所にへできる限り近づきたくないので、次第にライブへは行かなくなった。

 


コロナになってからのライブの利点は、真ん前で観ていても周りにいる誰からも邪魔をされず、目の前のステージに集中できることだ。大人しい、例えばほぼ棒立ちでステージを眺める客が大半のsyrup16gのようなライブだとコロナ以前とコロナ以降の雰囲気はあまり変わっていないかもしれないが、afocのようなバンドだと如実に変化を感じる。afocのライブは戦のようで、いかにして前に行き、自分の激しさを周りの人間に表現するか、ということが楽しむための条件、とはき違えている人間がいた。そこではモッシュダイブは当たり前で、そのような文化を忌避している自分は後ろの方で、ほ~と、それらとステージを眺めていた。それがライブの風物詩と考える人間もいるが、私はモッシュやダイブを見るためにライブハウスに足を運んでいるわけではない、ステージ上で演奏してくれるロックバンドを観るため「だけ」にライブに来ている。だから、コロナ以降の、モッシュダイブ禁止、ライブ中の歓声や声出し禁止、というルールが心底、居心地が良い。今までなら真ん前で見ようものなら他の観客に吹き飛ばされていたバンドのライブでも、目の前でも安心した心持でライブを観ていられる。演者や、モッシュダイブ歓声に快楽を感じる人間には悪いが、このような状況がずっと続けばいいと思っているし、もし昔みたいな状況に戻ったらライブに足を運ぶことが億劫になるだろう。できる限り長い間、この状態が続けばいい。

 

 

保坂和志「ハレルヤ」を読み終わった。至福な時間だった。この本は単行本が出たときに購入していて、それは青山ブックセンター保坂和志トークイベントとサイン会があったから購入したのだった。そのときに保坂がどういった話をしていたのかはすっかり忘れたが、本にサインをしてもらうときに、「良い名前だね」と保坂に言ってもらえたことを覚えている。私も自分の名前に愛着を持っていて、素敵な名前だなと思っていたので、大好きな方からそのようなお言葉を貰えて、すごく嬉しかった*1。本の方はそれはそれは読みやすい、というのは少し語弊があるが、今の私にとってすごくしっくりくる物語が詰まっていた。小説らしいが、そのだいぶぶんは保坂の日常で起きたこと、特に飼っている猫に関することが多くて、私の生活には動物が不足しているのだな、ということを思い知った。実家では動物を飼うことが忌避されていて、それは死んでしまったときにしんどい思いをするくらいなら最初から飼わなければいい、という母の強い方針からきていた。親戚で唯一、動物を飼っていたのが父方の祖母で、「アトム」と名付けられたその犬は本当に可愛らしい犬で、祖母の家に行くたびに彼の姿を見かけるだけで胸がいっぱいになった。彼はいつも祖母の隣で時間を過ごしていた。長生きした、どのようにこの世界から姿を消したのかは忘れてしまった。犬種も忘れた、動物の種類に対して敏感な人間ではないので、今でも外で動物を見ても、「犬」だとか、「猫」くらいしか分からない。身近に動物がいない人生だったので、動物とともに生きている人を見ると無性に羨ましくなる。ただ、動物が死んだときに苦しみに耐えられるかどうかは分からない、でもそれを飼う前に考えるというのはせこいものの考え方だなと思う。そんなふうに物事を考えていたら、今生きていることすら無駄に思えてくる。

 

 

「ハレルヤ」の1篇を1日ずつ読んでいくような読み方をして、最後まで読み通して、やはり表題作の「ハレルヤ」が素晴らしかった。この1篇を読めただけでも、保坂に出会えた良かったと思っている。これから、彼の作品をちびちびと読んでいくつもりである。

 

 

読書のおかげでよふかししてしまった。明日もまた、眠気を抱えて生きることだろう。24時35分、おやすみなさい。

 

 

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朝飯:フルーツグラノーラ
昼飯:冷やしとろ玉ぶっかけうどん(中)、とり天
晩飯:ビビンバ

 

75.7kg
22.4%

 

歩数:3,433歩

*1:そのあともいくつかのサイン会に足を運んだが、「珍しいね」とは言われるが、「良い名前だね」と言われたことがなかったので、ことさらこの記憶が残っているのだろう

仕事が終わってお台場へと向かう

仕事終わりのライブほど、解放感を味わえるイベントはないんじゃないか。この後に何の予定もないとしても仕事終わりは解放を感じるけれど、ライブの予定が入っていると、午後の途中からついニヤけてしまう。あと数時間でライブが観れるんだよな、今ならどんなことだってやってのけられそうなほどの無敵感がある。営業にいたときは、定時後に不意に押しつけられる業務で、どれほどのライブのチケットを無駄にしてきたことか。それを思うと、今の環境がどれほど恵まれていることか。

 

 

いつまでもこの環境が続くわけでない、先輩は異動になり、新しい後輩が入ってきて、新しい業務を任されることになる、でもそれはマイナスなことばかりではなくて、それらのおかげで成長することも少しはあるのだろう。ただ、仕事において成長をしたいとはあまり思えない、それは今の環境のせいなのかもしれない、自分以外の要素に責任を押し付けるのは卑怯なやり方なのかもしれない、でもそうとしか思えないからそうしてしまうのである。そんな場所にいるくらいなら、さっさとよそに移ればいいのに。いつまでもぐちぐちと言っていると、人生はあっという間に終わってしまうのよ。

 

 

そんなことは今はどうでもよくて、お台場行きの電車に乗っている。ライブに行くことがなければ、お台場に行くことなんてなかっただろう。ライブがあるおかげで、私は東京のいろんなところへ行っている。下北沢、渋谷、新代田、鶯谷、新宿、東京以外も積極的に行っていて、もしライブがなかったら休日はほとんどの時間を家で過ごすことになっていただろうな、そう思うとライブには感謝している。ただ、そろそろライブを卒業しようかなという気分もある。いきなりゼロにするのではなくて、徐々に少なくしていく、そうしていずれはライブがなくても人生が充実していけるような、そんな風な時間の過ごし方ができることを願っているよ。

2022年6月14日(火)

6時起床。曇りのち雨。栄養ドリンク未摂取。

 

 

起きたが、眠たさと身体の疲労が凄まじいので、すぐに寝る。10分おきに鳴るアラームに起こされる。アラームを消してしまった方がいいが、たぶん、アラームが鳴らなかったら熟睡して、起きたら昼を過ぎていそうで怖いので、アラームはつけたままにしておく。でも、昼まで寝ててもいいかとも思う。毎日、律儀に会社に行く理由がよく分からなくなった。毎日行っても、そんなにやることがない。それは他の人も同様で、退屈そうにExcelの画面を眺めている人がいる。虚しくなるな。虚しくなろうね。資格取得を奨励するのなら、就業時間内に勉強の時間を設けてくれてもいいと思うのだが(前にも言った)。資格を取得しても給料に変化がないので、資格を取るモチベーションがないんだよな。

 

 

午前中はどうしてだか知らんけど、あっという間に過ぎさった。何もしていない、たいしたことは何もしていないはずなのに、しれっと時間が流れていった。思い返しても、何をしていたのかあまり思い出せない。昨日のシステムの処理ミスをコピーロボットに報告したら、残念そうな顔をしていた(そんな顔をしなくてもいいのに...)。育児さんの処理が終わったので、運よくそれを引き継いでフリーライドできた。あとは、ええっと、19は在宅で特に何もアクションはなかったし、後ろのチームの喧噪には慣れた。そうだ、昨日はあれだけ嫌悪していた人の気配がそこまで気にならなくなった。おそらくだが、昨日の圧倒的なユニゾンのライブは本当に凄くて、凄まじくて、身体の芯に沈殿していた余計なものが外部に放出され、「「「些細なことを些細なこととして受け流せるようになった」」」。今までの私はしょうもないことでカリカリしていた、それはおそらく自分に余裕というものがなかったからだと思う。余裕なんてものは山奥でひっそりと生きている分には必要ないが、そこそこの人の中に囲まれ、一方通行的なコミュニケーションが求められるような場所にいると、自分の心の安全を保つため、ある程度の余裕が必要になる。

 


そんなことは今は別にどうだっていい、早く時間が過ぎてくれたことに感謝したい。

 


しかし、時間が早く過ぎることはそんなに喜ばしいことだろうか。残りの人生の時間を計算したら、あぐらをかいてのんびりしているほど、潤沢に時間が残されているわけではない。一瞬一瞬を確実なものにしていくことで、後で悔いる可能性を限りなく低くする。限られた時間の中、今の職場で、暇を持て余していることが果たして私にとっての正しい生き方なのか。そりゃ、精神が崩壊するような職場、働き方をしないに越したことはないんだけれど、刺激が無さ過ぎるというものも考えものだ。このことは今までも何度も考えて、また今日も考えてしまったのは、根深い問題のくせに、いや根深い問題だからこそ取り掛かるのが非常に億劫になってしまうのだ。話は変わるが、コピーロボットは相変わらずごそごそと音を立てて袋から何某かを取ってそれを頬張っている、それも20分に一度なので、就業時間内に24回+αはごそごそと音を立てていることになる。彼はいったい、何しに会社に来ているのだろうか(あとは、1時間に1回ほど、呻きを発する)。

 

 

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昼休みが終わっても、沈黙と冷静さは保たれる。それぞれの存在が最小限に薄められることで、現実世界を遠くさせることがひどく困難になる。そうだ、午前中の序盤はお腹をくだしていた。昨日の夜遅くになってようやくお腹が空いてきて、調子にのって多量のコチュジャンを摂取した。お腹の不具合は一度整理したら落ち着いたので、私のお腹はそこまでやわではないのかもしれない。ビビンバを食べてて、辛いものに対する欲望が再燃した。実家にいた時は、家族全員が辛いもの好きで、料理上手の母に作ってもらった辛い料理の数々はあまりにも美味しくて、それらの料理が味わえないことは人生の損失である。かといって、帰省したいわけでもない。今年に入ってから一度も帰省していない、最後の帰省は兄の結婚式なので、もう8カ月ほど実家に帰っていない。コロナ時代に突入してから転勤で東京に来たときは、物寂しさがひどく、長期休暇のたびに帰っていたが、今年のGWはずっと東京にいたし、お盆も、年末年始も帰らないと思う。今までは実家に帰ることで得られる安心感がほしくてしょうがなかったが、一人の時間に慣れたせいで、慣れてしまったせいで、人と接したいとは思えなくなった。それが親しい間柄の人とでも、である。いよいよ拗らせてきた感がある。営業にいた時は強制的に同僚とのコミュニケーションを取らされていた。今思えば、苦手な先輩と一緒にお昼ご飯を食べていたこと、よくもまああんなことに耐えられていたなと思う。一緒に外出して、お昼休みの時間だから、だったら分かるが、職場にいて、昼休みの時間だし「メシいくか」と言われる、そのしぶしぶ行く感じ、あれ、本当に気持ち悪かった。外食してる時に当時の私と同じような場面であろう子を見かけると胸がグッとなる。

 

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朝飯:フルーツグラノーラ
昼飯:かけうどん(小)、とり天
晩飯:ご飯、納豆、卵

 

歩数:5,437歩

大人げないよな

仕事において、いつまでも自分の感情を発露している人を見ると、「大人げないな~」と心配になってしまう。何をされたのか具体的には分からないが、「今、自分は怒っているんだぞ」というのをアピールされたところで、周りからは(はぁ...)としか思えないし、そんなことをしても誰も気持ちよくならないのにな、と残念な気持ちになる。

 

 

自分の感情を発露する人の大半は声が大きくて、自分の主張を意地でも通そうという気概を巻き散らかしている。一人で仕事をしているんじゃないよ、周りと連携して仕事をしているのを忘れているのかな、と遠いところからぼんやり眺めている。ああ、またあんなことで怒っているよ、と遠いからこそ冷静に見ていられるけれど、自分に向かってその感情をぶつけられたら、(ふぅ~ん)という、なんとも切ない気分になってしまった。おそらく20年は働いているであろうに、ずっとその姿勢で仕事をし続けてきたことにある意味で感服してしまうし、さっさとどっかに行ってくれんかな、こっから消えてくれないかな、と淡い願望を抱いてしまう私は性格の悪い人です。

 

 

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作業をするうえで土台となる根拠がないのに、それを堂々と言ってのける精神がちょっと信じられなかった。「これで通してくれないですかね?他の書類では通っているじゃないですか?」と他部署の後輩から指摘されて、「これは通さないと決まっているんだから、駄目だ」と言うだけで、どうしてそれを通しては駄目なのかさっぱり説明しない。自分自身でも、どうしてそれを通していけないのかを理解していないのだろう。業を煮やして、すたすたと自席に戻った他部署の後輩に対して、「なんであいつに、あんなことを言われなくちゃいけないんだよ」と、そんな強い調子で私に言われましても......。日頃、上司から叱責されていることで鬱憤が溜まっているのかもしれませんが、それを後輩にぶちまけないでくれませんかね。あと、「長々と話していると、また上司に目をつけられてしまう」ということが分かっているなら、どうして要点だけ摘まんで話さないんだろう...。本題とはずれたことを長々と話しているから、電話の時間が長くなっているのに......。先輩と他部署の後輩とバチバチしているのを知らんぷりで、自分の作業をしているコピーロボット、ちょっとどうかと思いました。あなたが放置しているから、あの人はずっと変わらないでいるんですよ。こんな人たちに囲まれていると、近いうちに気が滅入ってしまいそうだ...。

 

 

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今回の件で、「悪意」というものがどれほど汚らわしいかをひしひしと感じ、改めて他人とコミュニケーションを取るのは嫌だな、と暗い気分になった。最初の、自分の感情を発露する人、今日の帰り際にちょうど出くわしたから、「お疲れ様でした」と挨拶したら、ジロッとこっちを睨めつけてきて、(えぇ...)と空しくなった。悪意というものを平気で他者に投げつけられる人は、自分がその行為を取ったことで、後で仕返しをされてしまうとか、そういった想像ができないのかな。そういう想像すらできないほど視野が狭くて、心も狭いから、ああいった行動を40歳を超えても続けているんだろうし、もうあの人は死ぬまで気に入らない人に対して悪意をぶつけ続けるんだろうな、と逆ににやにやしてしまった。ああいう人間と出くわすことで、自分もああいった人間になっていないか振り返ることができるので、たまにはああいった人間から悪意をぶつけられるのは...、いや、やっぱり消えてくんないかな。

 

 

2つめのおジイさんの件も、後輩に対してああいった汚い言葉を使っているから、自分が周りから軽んじられている、ということに気づけていないだろうな、誰も注意してくれないんだろうな。成長しない、いつまでも自分に固執し続ける人間を見ると虚しい気持ちになってしまう。

 

 

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嫌なことが立て続けに起きたせいか、今までの生活がどれだけ幸せなものであるかを思い知った。誰かから悪意をぶつけられることなく、誰かに悪意を抱くわけでもなく、淡々と自分の仕事をして、定時になったら退社して*1、家に帰ったら自分の好きなことだけを好きなだけする。いつまでもこんな生活が続くわけないのに、できる限り長く続いてほしいと思う私は、将来をきちんと見通せない人間なのでした。

*1:日報を提出する際の上司からの一言、あとは上司の上司のスナックの咀嚼音だけが嫌だな

当分は外で昼休みを過ごすことはないだろう

正式に東京の梅雨明けが発表された。東京の最高気温は36度だそう。体温とほぼ同じ温度のなかをのんびりと過ごせる季節は終わったのだ。再び外で過ごせるようになるのは、9月後半だろうか。

 

 

うどんに飽きてしまったので、お昼ご飯は久しぶりに近所のスーパーマーケットでパンを買って、それを食べた。あまりにも懐かしいその味に、「これだよ、これ」と思ったが、すぐに飽きてしまった。チキン南蛮バーガーはそれなりに美味しいが、チーズパンは大き過ぎて、3分の1を食べたあたりで咀嚼に飽きてしまった。毎日のように食べていたのにそこまで飽きがこなかった、うどんの有能さを思い知った。300円くらいであの満足感、他の食べ物ではなかなか難しいのでは。まあ、在宅勤務だったらお昼ご飯代はもっと安く抑えられるので、早く在宅勤務が復活してくれないかなと思っている。

 

 

一時期はお弁当(といっても非常に簡易的なもの)を持ってきていた。しかし、朝は1秒でも長く寝ていたいし、何よりお弁当を鞄に入れると、その分鞄が重くなって、肩が凝るのだ。これは考えすぎなのかもしれないし、いや、もともと私は身体が丈夫な方ではないので、無理はしない方がいい、ということで今の外食スタイルになった。営業にいた頃は毎日が外食で、苦手な人と一緒に食べていたので、お昼休みですら緊張していた。あの頃からだいぶ時間が経過したように思うけれど、計算してみるとそこまで経っていない。人間の時間把握なんてたかが知れているし、時間なんてものに縛られているようではまだまだだと思う。

 

 

社内で久しぶりにお昼ご飯を食べて気づいたけれど、ここで働いている人、特に同じフロアで働いている人は真面目な人が多いようで、わいわいと話している姿はほとんど見かけなかった(ゼロではない)。ほとんどの人が仕事中はマスクをつけている、ほぼ全ての人が不織布マスクをつけて黙々とキーボードを叩き続けている、それは当たり前のものとして受け止めていたけれど、少しだけ考えてみると当たり前ではない、なんとも居心地の良い空間である。仕事内容で胃がキリキリすることもない、大した仕事を任されていないということもあるが、トラブルが起きることはなく、つまりは上司からお叱りを受けることもほぼなかった。たまにあちらの暇が極限に達して、意味を解読したくない言動を浴びせられるけれど、それは意味を成していないので寝て仕舞えば忘れてしまう。忘れられなったら、次の日にイジワルをすればいいだけの話である。

 

 

みんな暇そうにしてるし、それでもなんとか会社が回っていて、大きな会社はあるぶぶんでは楽だと思う。いつまでもこの楽が続くわけではない、今まで楽した分のツケを払わなくちゃいけい時が遅かれ早かれくるはずだ、その時には思いっきりの力で拳を振り下ろせばいいだけだ。

 

 

職場の空調が相変わらず効いていないのか、ただ座っているだけなのに汗が止まらないのはどうにかならないだろうか、という点だけが気になっていた。

 

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2022年6月13日(月)

7時起床。晴れ。栄養ドリンク摂取。

 

 

一度、6時に目が覚めたが、暴力的な眠気に抗うことができずに再び眠る。身体の節々が痛むし、まだ眠気が残っている。昨日の夜のライブの余韻が残ってて、お腹がいっぱい。今から外に出て、電車に乗って会社まで行くのが面倒だし、そこから労働をするのが億劫。しかし、今日は午前だけの労働なので、まだなんとか耐えられる。前にも書いたかもしれないが、CRYAMYのライブの翌日は休みを取った方がいい。余韻にとことん浸りたい、他のことを何も入れたくないというのもあるが、ただただ身体が疲弊しているので、単純に動くのが億劫。ライブ中は身体をそこまで動かしていない、演奏に集中して拳を振り上げる余裕なんてない、なのに身体の節々がじんわりと痛いのはなんでなんだろう。ああ、あと少しで外に出ないといけない。電話して、午前も休みにしてしまおうか、と思うくらいに身体は休息を欲していた。

 

 

今日は午前だけの労働なので、ハナからやる気はなかった。もともとやる気というものは存在してはいないのだけれど。コピーロボットは休み。隣の部署に新しい人がやってきて、その関係で席替えが行われた。今までは後ろにいたのが大人しい5年目と大人しい2年目、あとは少しだけ話すがそこまで自我が飛び出ていない19おじさんだったが、新しく後ろに来たのが独り言さん、そしてあの奇天烈な奴だった。奇天烈な奴が悪いわけではないが、注意力がないというか、細かいところに気が利かない。そのせいで、ベテランさんに散々なお叱りを受けている。今までは遠いところからお叱りが聞こえてきて、「今日もやってるな〜」くらいにしか思っていなかったが、後ろにいることで彼らの会話の全てが聞こえてくるようになり、半日しか職場にいなかったのに気分が悪くなった。誰かが誰かを叱っているその状況はあまりにも惨めで野蛮で虚しくて悲しいもので、それをこれからは聞き続けなくてはいけないのかと思うと気が滅入ってくる。そして、今までの席が当たりだったことにも今更ながら気づいた。あの席は、もう戻ってこないんだろうな。そしてブルボンは新しい人に職場の紹介をすることに喜びを感じているようで、いつもの1.7倍大きな声を随時、発していた。その他の人も新しい人が来たことによる非日常にやられたのか、終始会話が弾んでいた。あまりにもうるさいそれは、こちらのしーんと静まり返った空気と対照的すぎて、笑ってしまいそうになった。チンパンジーの檻じゃないんだから、少しは静かにすることはできないんだろうか?彼らは仕事に来ているというよりも、大きな声を出すために来ているといった感じだった。

 

 

昼休みへ。大人しく家に帰ればよかったのだけれど、大好きな小説家の幻のサイン本を取り置いて貰っているので、電車を乗り継いで日本橋へ。12時だからそこまで電車は混んでいないだろう、という目算は甘かった。なんでこの時間なのにこんなに人がいるの?いや、この時間だからこそ人は電車に乗るのかもしれない。満員電車で人と人の間で窒息しそうになるとき、心の中の大事な部分が削られていく。日本橋駅に着き、適当な出口から外に這い出ると、茹だるような暑さに辟易した。昼休みで緩んだ空気をまとった大人があちらへこちらへと歩いていく、その滑稽さ。あなたたちと違って、私は今からお酒を飲んでもいい、飲んだくれて明日を迎えてもいい、とは思わない。記憶に残っている、最後にお酒を飲んだのは秘密結社の飲み会なので、1ヵ月以上は1滴もアルコールを摂取していない。定期的にお酒を飲まないと毎回気付くのだが、私にはアルコールという成分が必要ない。ないどころか、アルコールが体内に入ることで身体も心もふやけてしまう。目の前の生活がどうでもよくなるし、次の日はめちゃくちゃになる。お酒が好きじゃなくてよかった!そしてお酒に弱い体質でよかった!そんなことを考えながら、日本橋丸善へ。お昼休みだからか、スーツ姿を着た男が競うように立ち読みをしていた。今まで全然マークしていなかったのだけれど、ここの本屋には珍しいサイン本が存在する。サイン本が本屋で発売されているかどうかはSNSの公式アカウントから見つけるのだが、一部の本屋は意図的にそれをしない。サイン本が売り切れた時に、「売り切れました」と発信するのが面倒なのだろうし、「この本屋はサイン本があるのか」と目敏いサイン本ハンターにマークされる可能性があるから。そして、サイン本が売り切れたのにも関わらず、「サイン本はまだありますか?」とSNSを確認しないで電話をしてくる連中もいるだろう。SNSで情報を発信することで、余計な仕事が増える。だからここの丸善は、というかよくよく考えたら丸の内の丸善もサイン本の情報を発信しているのをほとんど見かけたことがない(わりに、珍しいサイン本がときたま出没する)。余計なことを書いて脱線したが、取り置いてもらっていたサイン本を無事に受け取った。ありがとうございます。そしてここにも、今村夏子のサイン本は存在しなかった。今回は朝日文庫だからあるはず、他の本屋でも何件かサイン本入荷情報を見かけたというのに...。こうなったら、遠征しないといけないのか。ちょっと面倒だな。と思ってしまうので、私にとって今村夏子はそれくらいの存在なのかもしれない。

 

 

<購入した本>

森見登美彦「四畳半タイムマシンブルース」(サイン本)

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外に出ると再び吐き気がするほどの暑さで、急いで昼飯の場所を探す。いつものつけ麺屋は芸がないが、ちらっと見たら行列ができていなかったし、他に探すのが面倒だったのでそこにした。今日のつけ麺が美味しく感じられたのは、サイン本を無事に手に入れた安心感と、この後に大好きなロックバンドのライブが控えているから。食べ終わってすぐに店を出て、東京駅まで歩く。暑いけれど、まだ本調子の暑さではなく、日陰に入ると涼しさを感じられるので、まだまだ外には出ていられる。

 

 

東京駅→自宅の最寄り駅、で家に帰ってシャワーを済ますと、一日が終わったときの達成感があり、これにて6/13が終わってもいいような気がしていた。眠かったし、これで一日が終わってもよかった。

 

 

22時過ぎ帰宅。

 

 

 

2日連続で、双子の黄身が出る。

 

 

24時過ぎ、就寝。

 

 

朝飯:フルーツグラノーラ
昼飯:つけ麺(外食)
晩飯:ビビンバ

 

75.6kg
22.5%

 

歩数:10,601歩