眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

「答えのない問い」に悩んでいる

そもそも答えを出す必要がないというのが正直なところなのだけれど、何かに縋っていないと心が不安定で落ち着かないということでもある。話を聞く前はそこまで意識していなかったのだけれど、「もうそろそろかも......」という話を聞いて急に不安になった。私が出来ることは何一つないのだけれど、後悔しないために悪あがきはした。それがこれからの私を支えてくれるものになればいいのに、と考えている時点で心はだいぶ弱まっている証拠であり、私は私のことを中心に考えていることを思い出させてくれる。具体的に何に悩んでいるのかは書かない。どうせ時が来たら書くことだろうし、ここで具体的に書いたところでそれは私の自己満足になってしまうから。そんなこと言ったらこのブログは私の自己満足のために始めたものなのだから今更何を気にする必要があるのかと言われるかもしれないけれど、ナイーブなことなのであまり表に出したくないというのが本音だ。でもどうせ誰も読んでいないのだったら思ったことを赤裸々に綴ってみて少しでも心を落ち着かせればいいのに、ということも考えたけれど、さすかに具体的には書けなかった。けれど少しでも心の緊張しているぶぶんを解してあげたかったので、この文章をあげることにした。将来、この文章を読み返したときに、あの時に自分がどのようなことを考えていたのかを思い出せるように。

 


仕事をしているとき、テレビを見ているとき、ネットを見ているとき、本を読んでいるとき、ふっとそのことを考えてしまって暗い気持ちになってしまう。それは仕方のないことなんだけれど、暗くなることに対して「なんで暗くなってしまうんだよ。こんなときだからこそ元気を出せよ」とせがんでくる自分がいて、それがちょっと鬱陶しい。別に暗くなったって構わないじゃないか、周りに迷惑をかけていないんだし、と思ったけれど、不安な時に親についつい電話をしてしまうのは迷惑をかけているのかもしれません。自分には何も出来ない、ただいつものように生活をしていくだけ、というのがなかなかに難しい。普段通りの生活をしようと思ってもついつい考えてしまって、それでどんどん暗くなってしまって、「もうこれ以上考えるのはやめよう」と思うのだけれど、そういう風に思うことは失礼に値するのではないか、でもこんなときに元気に振る舞うのもよくよく考えたらおかしなことだよな、と考えるとどのようにするのが最適なのかが分からない。たぶんそれに対しての答えはない、タイトルの通り「答えのない問い」に雁字搦めになってしまっているのが今で、それが多分ピークなんじゃないかな、あと少しすればこの状況に慣れるのかな、このような状況は29年間生きてきて殆ど経験してこなかったことだから、今後自分の心がどのように動いていくのか見当がつかない。多分、多分だけれどこういうときは悩むだけ悩むのが一番、下手に「明るく振る舞おう」としてしまって心が余計にへたってしまうくらいなら暗いままでもいいじゃないか、と思った2020年10月23日です。そろそろ厚着をしたいのだけれど、どこに仕舞ったかな......。