眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2020年8月26日(水)

「何気ないフレーズでも 何気ないアイテムでも
懲りずに蘇っちゃうから もう少しこのまま 漂っていたいのです」

 

昨日は椅子の上で意図的に寝落ちした。布団でがっつりと寝るのではなく、椅子の上でうとうとしている時間がこの上なく幸せだったので、それに甘んじた。午前3時にふっと起きて、眠気眼をこすりながらロフトに上がって瞬時に寝た。すぐに朝が来て、でも昨日は早めに寝ていたので睡眠時間はしっかり取れていた、そこまで眠気は感じられなかった。ぼおっとした頭で会社に向かい、ぼおっとした頭で仕事を進めていたら頭が冴えてきて、出勤することの大切さを思い知った。これが在宅勤務であったら、ぼおっとした状態が一日中続くことだろう。出勤して人に囲まれながら仕事をしているのはほどよい緊張感を生み、心地よく仕事が出来るのである。ということをここ数週間で身をもって思い知らされている。

 

 

今日は別に忙しくなる要因がなかったはずだが、一日中、それなりにすることがあった。常に何かに集中して取り組んでいると、精神衛生上非常によろしく、それと時間が過ぎていくのがスムーズに感じられた、だから今日は終始機嫌が良かった。あっという間に午前が終わり、昼ご飯はカップ麺(そば)とおにぎり(梅)の最強コンビであった。本当は栄養価の高い食べ物を弁当にしてみたいのだけれど、朝は絶望的にテンションが低いので、出来ることなら何もしたくないのである。だから極端なご飯ばかり食べてしまい、健康状態はなんとも微妙な所をうろついている、という状態である。昼飯をすぐに済まし、AFOCを聴きながら多和田葉子の「犬婿入り」を読んだ。相変わらず人を煙に巻いたような物語で、想像意欲を駆り立てられる。

 

 

すぐに午後の時間が始まって、午後もいい塩梅に忙しかったので、機嫌を良くしながら仕事をしていた。あれを仕事と呼ぶのはどうなんだ、単なる作業ではないのか、と内なる自分が突いてくるけれど、あまり気にしないようにしてる。邪な考えだけれど、あまり責任を背負いたくないのである。少しでも重ための責任を背負ってしまった瞬間に嬉しくない緊張感がどっと押し寄せてきて、仕事が終わっても仕事のことをついつい考えてしまうのだ。以前経理に居た時、決算が近づくと送りバントを繰り返し続けてきた案件が明るみに出て、それをどのように解決したらいいのか分からなくて、ジムで体を動かしているときもふっと仕事のことが過って、どうにも居心地の悪い時間が流れていた。だから、今のこの気楽な立ち位置は歓迎すべき状況で、出来ることならこの時間が長く続けばいいのに、と願っている。後輩が入ってきたら私に重ための仕事が任されるかもしれない、しかしいつまでも今している単純作業をしているのはどうなんだろうな、ということを行ったり来てりしている、だから来年の新人君らの配属のタイミングは楽しみでもあり憂鬱でもある。ということで、今日は仕事の時間は仕事のことばかり考えていたので、自分に嘘を付かずに済んで心が汚れなかった。

 

 

どうやら今年の夏はとても暑くてやっていられないようだが、室内に居る時間が長いせいか、「暑い鬱陶しい」と嘆く時間が殆ど無く、とても過ごしやすい夏であり、非常に喜ばしいことである。自分の仕事がしっかりと存在していたので、共有の仕事に手を出すことは殆ど無かった、すると共有の仕事が遅々として進まず、私が手を付けないと誰も手を付けないのかよ、と投げやりな気持ちになった。どうでもよくなって、ただ自分のことばかり考えていたらお腹が空いてしまったので、ズイショズイショでアーモンドチョコレートを頬張った、あまり美味しいとは感じなかった。ジュースを最近は飲まなくなった、それはペットボトルで150円くらいで売られているジュースがしょぼいものであるということにようやく気が付いた、つまり私の舌が肥えてしまった証なのかもしれない。前までは「美味しい美味しい」と喜びながら飲んでいたカルピス、サイダー、紅茶その他諸々のジュースが貧弱、打算的、苦悩の末の物であると思われて、だから喉が渇いたらひたすら水を飲んでいる。水はいい、そこには余計なものが(多分)含まれていないので、余計な心配をしないで飲み進めることが出来る。飲み過ぎたら体に悪い、太ってしまうと過剰に心配することもないし、変な後味が残ることもないので、いつなんどきでも飲み放題なのである。会社で水、家でも水、常に水を飲み続けているので、いずれは水中で暮らせれば最高なんだけれど、と考えている。そんなことを考えてしまうくらいに、私はちょっと疲れているのであろうか。

 

 

そういうわけで定時に会社をあとにした、だから会社帰りも機嫌が良かった。帰り、どこかに寄りたい、このまま家にまっすぐ帰るのはどうにもむず痒い、どこかでストレスを発散させたい、発散させたいほどのストレスは溜まっていないけれど、とかごちゃごちゃ考えていたら新宿の紀伊国屋書店にいた。サイン本のコーナーに駆け寄って、ここ一か月気になっていて買おうかどうか迷っていた武田綾乃さんの「愛されなくても別に」のサイン本が置いてあった。中身を吟味して、何度かうんうんと唸り、購入することを決意した、この人の本を買うのは初めてだった。大好きなアニメの「響け! ユーフォニアム」の作者らしく、その記憶もこの本を買うことの後押しをした。それと文庫本が出た時は買おう買おうと思ってすっかり忘れていた朝井リョウさんの「風と共にゆとりぬ」のサイン本もあったので、これも購入した。本当はもう一つ欲しい本があって、それは木下古栗さんの「サピエンス前戯 長編小説集」という本で、この人の人を食ったような物語が好きだから買ってもよかったのだが、既に2冊購入しているし、値段も2,000円を超えていたの購入を躊躇した。もしかしたら土曜日に買うかもしれない、どうだ、土曜日は久しぶりに歯医者に行かなければいけないのでそんな悠長に本屋をぶらぶらしている場合じゃないや。ということで本を2冊買って、ほくほくとした気持ちを携えて蒸し暑い、新宿の夕方を歩いていた。

 

 

購入した本

武田綾乃「愛されなくても別に」(サイン本)
朝井リョウ「風と共にゆとりぬ」(サイン本)

 

f:id:bigpopmonsterpro:20200826192439j:image

f:id:bigpopmonsterpro:20200826192451j:image

 

 

家に帰ると先日購入した島田潤一郎さんの「本屋さんしか行きたいとこがない」がポストに投函されていた。店頭で買うのではなく取り寄せて本を買うというのが今回が初めてだったので、中身を見ずに買うのはちょっと怖いながら、でもこれはちょっと病みつきになるかもしれないなと思う。私が普段通っている本屋には陳列されていない本はそれこそ山ほどあって、そういった本のなかにも私の人生に揺さぶりをかけてくる本はきっとあるはずで、そういった本にもこれからどんどんと出会いたい気分なのである。一人暮らしで外食もけっこうするので節約しなくちゃなあとは思うが、本を買うのを我慢していたら何のために働いているのか分からなくなるので、欲しいと思った本は欲しいと思った時に買うのが大事だな、それがせめてもの贅沢だろう、という結論付けておく。で、件の本をちょっと読んでみたのだが、「この人は本当に本屋が好きなんだろうな」というのがひしひしと伝わって来て、読んでいるこちらまで嬉しくなってきた。好きなものを楽しそうに語っている人の本は須らく面白く、それが本屋、となるとこれは私の大好物であった。あまり厚い本ではないので、ちびちびと読んでいくことにしよう。

 

 

夜ご飯はたらこパスタをさくっと食べ、そのあとにまた読書を続ける。昼の多和田葉子引き続き、今度は「かかとを失くして 三人関係 文字移植」を読む。「かかとを失くして」を読み終わる。これが多和田葉子のデビュー作、ということで、最近読んだ新作とはちょっと趣の異なる雰囲気を纏っていて、でも最初から人を煙に巻いたような物語は健在で、嬉しくてするすると読んでいた。最終的に何がしたかったのかよく分からなかったけれど、読んでいる最中は気分が良かったので、それはそれでいいのだ。

 

 

 

ふっと眠気が訪れて、今日もまた寝落ちするのか寝落ちするのか、と思いながら椅子に座ってぼおっとしているとふっと意識が途切れる感じがして、その瞬間は最高に気持ちい気分になったのであった。