眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2020年8月16日(日)

「ああ それでもまだちっぽけな夢を見てる
くだらなくて 蹴っ飛ばしていいけど、君に言ってるんだ。」

 

お盆休み9日目

 

ずっと何か重いものが伸しかかっているような気がした。あまり居心地のよいものではなかったけれど、眠れるだけ寝てやった。そしたら起きたら13時を過ぎていて、ああ、私のお盆休みは終わった。昨日の19時過ぎから一度たりとも起きることなく眠り続けていたので、体はぐったりとしていた。ここから何かをする気概のあるような人間ではないので、朝昼兼用のフルグラを食べて、昨日観れなかった「」の続きを観た。画質は酷かった。けれど、お茶の間でワタル.Sの歌っている姿を観れるのは格別だった。それを観終わると、別にそこまで眠たくないけれど布団の上に寝そべりたい気分になって、実際にそうしてみた。そうしたら寝てしまっていて、次に起きたのが19時過ぎだった。本当に1日が終わってしまった。ぼーっとした頭で、現状を把握し、把握しきれないぶぶんは遠くへ放り投げた。久しぶりにたらこパスタを作って、それを食べたら目の前には気の遠くなりそうなほどの時間が横たわっていた。いつものように24時過ぎに寝ることは叶わないだろう。ならばそんな健康的な時間に寝ることは諦めて、読書をすることにした。お盆休み前は「たくさんの本を読んで、たくさんの映画を観る」なんて思っていたけれど、蓋を開けてみたら惨憺たる現状が横たわっていた。そんな現実を少しでも上向きにしてみたくて、乗代雄介「最高の任務」を読み始めた。決して読みやすい物語ではないし、理解しやすいものでもない。それでも最後までぐいぐいと読ませられたのは、ひとえにそこには見過ごしたくない「物語」が転がっていたからだ。「生き方の問題」然り、「最高の任務」然り、一筋縄ではいかない物語が転がっていて、そこを転げ落ちるかどうかは自分次第だ。私は「本物の読書家」が凄く好きで強く印象に残っていたので、今回の本も読んでみることにした。こんな凄い物語だと知っていたら、この本が刊行された今年の1月に読めばよかった。それくらいに私の情動を揺さぶるものが十全に備わっていたし、読み進めるごとに「読書の幸せ」を感じた。小説でしか描けないような、体験できないような世界を読みたいから小説を読むのである。という当たり前なことを、乗代雄介の小説を読むとまざまざと思い知らされる。物語のあらすじとかについては書かない。それは、これから乗代雄介を読む人が大切に抱えるものだと思うので。もしこの文章に出会ってしまったのなら、騙されたと思って乗代雄介の小説を読んでほしい。そこには普段読んでいる小説では味わえないものが転がっているはずだから。

 

 

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「最高の任務」を読み終えてもまだ23時になっていなかったので、藤野可織「来世の記憶」を読む。先程の乗代雄介が凄すぎたせいで、この人もすごいと思っていた藤野可織が霞む。それは勿体ないので、今日の読書はこのあたりにした。24時をちょっと回ったあたりだった。眠気は全然なくて、このまま朝まで起きていようかなと思った。やることもないし、ちょっと疲れたので電気を消して目を瞑り、米津玄師「STRAY SHEEP」を聴く。どんな感想をもってしてもこの傑作の前ではどうにも陳腐になってしまう、それくらいに素晴らしい作品であり、これからも何度も何度も聴いていく作品であろう。その余韻を残たまま、前作の「BOOTLEG」を聴いたら、これも相変わらずの傑作で、こんな真夜中なのにちょっと涙ぐんでしまいそうになった。普段はそこまで揺さぶられない「かいじゅうのマーチ」にまんまとやられ、「灰色と青」と男泣きしてしまいそうになった。2作を一気に聴き終えて、このあとにどんな作品を彼が生み出してくれるのか、楽しみで楽しみで仕方がなくなった。だけれど、時計の針は既に3時を指していて、これ以上の夜更かしは明日に多大なる影響を与えることは周知の事実なので、まだそんなに眠たくない頭にふとんをかぶせて、眠気が訪れるのをじっと待っていた。