眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2020年8月11日(火)

「あざといよ もう完全調子バクバクです
あざといよ ここからこっち側は俺のもの
アンドゥトロワならイッツオーライ」

 

お盆休み4日目

 

昨日はなかなか寝付くことが出来なかったから不本意ではあるが夜更かしをしてしまった、だから今日は遅くまで寝ているものだろうと思っていたが、早く起きたい一日を充実させたい、と思う気持ちが私を起こしたのか。朝8時過ぎに目が覚めて、久しぶりにパソコンの整理をしていた。そのあとにロフトでだらだら、「これをする」といったことも決めないでだらだらとしていた、その時間は非常に豊かであると思った。そのあとに昨日買ったカレーの本を開いて、どこへ行こう、どこが美味しいのだろうか、と考えていたら神田にある「カレーノトリコ」というのが良さそうな感じがして、だから12時過ぎに家を出た。外は殺人的な暑さ、昨日とは打って変わって雲が見当たらないので太陽が直接的にばんばん地面に降り注ぐ、その降り注いだ光が反射して、上からも下からも熱を食らった。だから急いで、若干の小走りで駅へ向かった。駅へ行く前にスーパーへ寄って、外との温度差が激しくて頭がどうにかなってしまいそうになった。ソルティライチを買って、外へ出てそれをぐびぐびと飲んでいたら半分以上が無くなっていた。夏だった。

 

 

そこは結構混んでそうな雰囲気のお店だったので、神田駅に到着したのが13時過ぎ、大丈夫だろうか、こんな炎天下で待つのはさすがにしんどい。と思いながら向かった。席は2つ空いていた。店員は3人いて、「気難しいクソ店主」というTシャツを着た店主と、テキパキ動いているように見えてよく見たらそこまでテキパキしていない女性の店員が2人いた。事前に調べておいたので、「あいがけカレー」(1,400円)のチキン、8辛にした。目の前にあるキッチンからはがちゃんがちゃんという音が鳴り響き、ぴりついた雰囲気を出した店主が「早くカレーを出せ」と店員に言っているのを聞き、一気に居心地が悪くなった。誰かが責められているという状況が私には耐えられなくて、だから食べたらさっさと店を出ようと思った。2人いる女性の店員も動作がなんというか雑で、がちゃんがちゃんと音を出さないと働けないのかな、と疑問に思った。15分ほどで注文した品が届いた。インド風カレーはしゃびしゃび、というか汁で、どうも私の口には合わなかった。味があまりしない、というか、そんなに好きになれるような味ではなかった。続いてドライカレーを食べて、「しょっぱ」という感想だけが頭に残った。まだこちらのほうが先ほどの汁よりも日本人受けしそうな味だったが、塩っ気が強くて、あまりスプーンが進まなかった。チキンはごろごろと入っていて、ひとつひとつが食べごたえがあった。しかし、これも「しょっぱ」かった。失敗した。私が求めているカレーはこんなものではなかった。こんなもののために1,400円も払ったのかと思うと悲しくなってきた。それにプラスして電車賃も掛かっているのだ。なんてことをしてしまったのか。ああ、私は失敗した。と悲しんでいるときにもずっとヤバイTシャツ屋さんがかかっていた。食事が終わり、財布からお金を出そうとしていると、「食べ終わったんだったら皿を上に置いてください」と若干圧のある調子で言われて、嫌な思いをして、高いお金を払って、そこまで美味しくないカレーを食べさせられて、一体今日はどうなるんだろう、としょんぼりした。二度と行くもんか!

 

 

うんざりしながら中央線の電車に揺られ、揺られていたら新宿に着いた。今日は東口をぶらぶらしてみようかな、と思っていて、でも外に出たら茹だるような暑さ、これは生き物が正常に活動できる範囲の暑さではない、と思って急いで本屋へ行き、だらだらと本を見てから、隣の隣の隣のスーツショップでカッターシャツを4着買って、家に帰った。

 

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15時頃に家に着いて、先ほどの暑さがまだ体に残っていて、軽い眩暈がした。だから椅子に座って目を瞑っていたら寝る、寝ていた。ずっと寝ていたかった。でも1時間くらいしたら起きたので、昨日から観始めている「サイコだけど大丈夫」を4~6話観た。話はちょっと飽きてきたぶぶんがあるのは否めないしそれはしょうがないことだけれど、今日も3話を一気に観ることは出来たのはひとえに「ソ・イェジ」という女優の蠱惑的な魅力にやられたからである。なんだろう、コ・ムニョンという演じ辛い役柄をソ・イェジは完璧にこなしているし、なんならこの役柄は彼女にしか演じることの出来ない、最高の適役だったのではないか、というくらいにはまっている。高飛車、だけれどときに見せる弱いところも、蠱惑的な笑顔も、無邪気な行動も、全部が全部、本当にはまっていて、そのぶぶんを観るためにこのドラマを観ている節がある、くらいに彼女に夢中になっていた。それと、主人公の兄で自閉症の役を演じているオ・ジョンセもすごく演技が上手くて、全く違和感がないというか、ああ、なんだろうか、このドラマは俳優陣のレベルが高くて、そのぶぶんでなんとか持っているようなところがあって、あれだけ宣伝されて期待値が高くなっていたのに、肝心の話はというと......、という微妙なところがある。今後、ぐいぐいと引き込まれていくような話になっていきますように。お盆休みの韓国ドラマはこれに懸けているんだ、頼む......!!

 

テレビの画面を見過ぎていて、それに退屈して、だから椅子の横に置いてあった本を開いた。それは1週間前かもうちょっと前に借りてきた山下澄人の「月の客」 (2020)という本であった。2016年か2017年あたりに山下澄人を読むことが自分の中で流行っていて、彼の作品を読むたびに「こんな世界を紡ぎだせる人がこの世界にはいるんだな」と嬉しくなっていた。読んでて100%理解するような作品ではなく、どろっとした、世界の隅っこの、普段は照らされないようなぶぶんを描いているのが良くて、でも完全に理解することは出来なかった。本の内容を完全に理解することなんておそらく不可能だ。もしかしたら作者だってそれに漏れないかもしれない。だから突然文章を読みたくなって、初めから最後まで一気に読み通した。どろっとしている山下澄人だった。頭から読点だけを使い、奇妙な段落をつけて、誰が主語で、誰が誰なのか分からなくて、これちょっと読み進めいくのきついかな、と思っていた。でもそこを我慢して読んでいたらすっと、山下澄人のどろっとしているぶぶんがうまいこと私の歯車と合致して、それが良い感じに回りだした。話は読んでいて面白い、すごく面白い!と拍手をしたくなるような内容ではない、どちらかというと世界の隅っこで、かろうじて息をしている人が生をなんとか繋いでいるようであった。

 

わたし、もう何も覚えてないねん

わたしがどこの子で、誰の子で、どんな風にして生きて、死にかけて、死なずに生きて、死んだのか

どんな人間とどれだけすれ違ったり、目を合わせたり、触れたり触れられたり、したのか

どれだけの言葉をこの口から出して、どれだけの言葉をこの耳に入れたのかわたし、覚えてないねん

でもね、時々、ほんまに時々、あれ?今思い浮かべたのは何やろて思う時あんねん

 山下澄人「月の客」p126より引用

 

普段分かり易い話ばかり読んでいる人がこの作品を読んだらしんどいかもしれない、ほどに読みづらいぶぶんが多々あって、でもそれが山下澄人の小説の醍醐味でもあった。最後に彼の作品を読んだのは、確か「しんせかい」で、それがあまりにも期待外れだったので、期待とは彼のどろっとしたぶぶんが出ていてほしかったということ、もう彼の作品には期待していなかったけれど、2020年、ここに来てこんなにもどろっとした、全盛期の頃と比べても遜色ないほどに好きな山下澄人だったので、愉快な気分になっている。あと少しで23時になってしまう。

 

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山下澄人「月の客」(☆☆☆☆)

 

そのあとは大したこともしないで、ただただ時間が流れていくのをぼおっと堪能していた。ライブが一本も入っていない長期休暇なんて信じたくなかったけれど実際こうして来てみるとなんだかんだでやっていける......と思っていたけれど、日々に活力がない。明日、ライブの予定が入っていたらそのミュージシャンの音楽ばかり聴いて「明日はこの人たちの演奏を生で観れるんだ」と興奮して眠れなくなってしまうこともあったりしたんだけれど、今年のお盆休みはそれが皆無で、ただただ無の時間が流れていく。それが今のスタンダードであることは受容していかなければいけないんだろうけれど、来年のこの時期もまだそういう空気が漂っていて、フェスとかもまだまだ開催できないような感じであったらちょっと発狂してしまいそうになるだろう。日々の退屈な仕事を、発狂しないでなんとかこなしているのもひとえにライブがあるおかげであるし、今仕事を頑張って、それで得たお金をただ生きていくための食料に注ぎこんでいる、ただそれだけの人生は寂しいし、生きる価値があるのかな、と思ってしまう。ライブ以外に趣味はあるけれど、他の趣味では補完出来ないくらい、私の人生におけるライブの比重はとてもとても大きいものなのです。ということをだらだら考えていたら余計に悲しくなってきたので、そろそろ眠ることにします。今年中は難しいのはなんとなく分かってはいるんですけれど、出来れば来年の夏にはライブが日常に戻っていてくれることを願っています。