眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

どうしようもなく、夏

どうしようもなくべろんべろんに酔っぱらって、自分の意識とかそういうものが吹き飛んでしまって、素の自分、何の打算もないような気持ちで物事に取り組みたい気分が急に強まっている。人と接することが極端に制限されて半年経つ、その間は一人で考える時間が長すぎて、ちょっとしたことでも人に相談するというのが億劫、周りの目が気になる、というので殆ど人と話さない状況が続いている。それは私にとって、私の今までの人生にとっては特段珍しいことではなくて、小さいころから一人で、黙々と遊んでいるのが好きな子供だった。それはそれとして、今、自分を開示したい気分が高まってきていて、それをどのようにしていけば満たされるのか、この欲望は一度満たしてしまったら最後、「もっともっと」とせっつかれて、欲望の奴隷になってしまうというか、それだけを考えて行動してしまう人間になってしまわないか、それがちょっとした不安である。でもそんな不安がどうでもよくなるほどに、今、自分の素直な気持ちを誰かに吐露してえ。

 

 

ということをこれまでの短い、けれど長い人生の中で何度も何度も体験してきたこと、でも朝起きたら全てがリセットされている、「昨日の興奮は脳のバグでしたごめんなさーい」という自分が現れて、昨日のせっつきをなかったことにする、人との接触は必要最低限、雑談なんてもってのほか、といったことが脳内でぐるぐる回って、軽く自家中毒になって、いざ場面に立たされると「やっぱりいいや」を繰り返して幾星霜。私は変わりたいし変われなかった。切実に願っていた変化は、夜のうちに萎んで消えた。ように見えるけれど、本当のところは変わりたい気持ちはずっと離さないで、両手でしっかりと掴んでいた、けれど肝心の勇気が足りなかった。だから何度も願ったことを何度も地面に叩き潰してきた。「会社は仕事をする場所だから。友達を作る場所ではありません」という、どこかで小説で読んだ、というより大学の先輩が言っていたんだっけ、を何度も思い出して「そうだよな。お金を貰うために来ているのに、そこで楽しそうにしているのはおかしいよな」と思うようにしている。でも、隣後ろでくすくすと、楽しそうに仕事をしている人を見かけると、自分もそういう風に仕事をしたい、どうせ同じ時間が流れていくのならむすっとした顔より笑顔の方がずっといいじゃん、とか思ったりする。だから、人に話しかけられた際は出来る限り全力で、愛想良く振る舞うようにしているし、そこから発展していって、少しでも人間関係が深まっていってくれればいいんだけれどな、とか思ったりする。明日も朝起きたら眠くて、「愛想よく振る舞う?何それ、それでお金を稼げるの?」と憎たらしい自分が登場して、今日もまた真顔のままで行くんだ、とハッとなることになるだろうけれど、せめて寝る前のこの時間くらいは、人とうまく交流できている自分の姿を思い描くことくらいいいだろ?