眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2020年7月6日(月)

「立ち止まっても近づいてくる 大人の階段がもどかしい
今はお願いもう少しだけ 遠回りさせてよ」

 

最近は無意識のうちに早く目覚めてしまう。今日は6時に起きたが、起きててもやることがないし、まだ眠たいので寝た。そして次に起きたのが7時で、ちょうどいい頃合いだったのでそのまま起きていた。テレビは九州地方の大雨と都知事選のことばかり放映していた。九州の大雨は非常に痛ましい出来事で、被害が甚大なものにならないことを祈るくらいしか私には出来そうにない。それと都知事選だけれど、まあ結果は誰もが分かっていたよね、という内容だった。東京を離れたい。

 

 

木曜日に残業をしてまで残務処理を行ったので、今日は金曜日に発生した仕事と、今日発生した仕事をのんびりとこなしていくだけで一日が終わった。最近は「凄い暇」と感じる瞬間が少なくて、それは与えられた仕事をうまい具合に進めているから、均等に仕事が出来るような時間配分を行えるようになったからだと思っている。今日も雨で、雨だからこそ室内で仕事が出来ることを幸せに思うべきである、という一種の強迫観念がよぎった。営業であれば雨が降っていると外を歩くのに億劫である。仕立てたばかりのスーツが汚れてしまったり、おろしたての革靴がへなへなになってしまったり、買ったばかりの時計に水が入ってしまって動きがおかしくなってしまったり、といったことがあるかもしれないから、室内で一日中過ごせることを幸せに思うべきだ。ただ、上記のようなことは最近の私にはなくて、クールビズなのでスーツは着ていないし、履いている革靴が1年以上は履いているベテランであり、時計なんて前時代的なものは装着すらしていなかった。時計は持っているけれど、身体に何かをつけるというのが鬱陶しく感じられる仕組みになっていて、プライベートでも時計なんてものはつけない。ましてや必要性を感じられない指輪やネックレス、ピアスなどは買ったことすらない。もし結婚したら指輪をつけなければいけない、というのが気がかりであるが、相手もいないのにそんなことを考えているなんて馬鹿らしいと鼻で笑い飛ばしてしまえばいい。今年中は多分無理そうだ。

 

 

今週も平日の昼ご飯はおにぎりとカップ麺で済まそうと思っているが、備蓄していたカップ麺がようやく底を尽きそうなので、来週からは久しぶりに外に繰り出そうなんて考えている。こんな時期に外に繰り出して赤の他人と隣り合わせでご飯を食べるのは非常にリスキィであることは重々承知している。休日はしれっとした顔で外食しているくせに。私はコロナに罹らないだろう、そこまで楽観的な思考は持ち合わせていないが、これ以上室内で不健康なものを食べているとコロナの前に体が、精神がやられてしまうのではないか、とちょっと不安に思ったりしてみたりした。多分来週から外食するよ。いや、明日でもいいや。

 


雨がとまらない。ここ最近ずっと雨。天気予報を見たら来週もずっと雨で、もう清々しいほどの晴れが続くことなんてこの先ないのではないかと心細くなってくる。雨が嫌いなのは外に出ると濡れてしまうのもあるが、それは非常に嫌なのであるが、それ以上に困るのは洗濯物が乾かないということである。一人暮らしをするようになってから、晴れていることの大切さを身に沁みて感じるようになった。自宅には除湿機やその他諸々、室内星を快適にしてくれるような物はないので、エアコンを除湿モードにするくらいしかない。エアコンのパワーは弱いので、一日中洗濯物を干していても全然乾かない。特に厚手のバスタオルなんかはずっと湿ったままで、バスタオルを握りしめながら私の心も湿ってくるようで嫌になってくる。去年の関東の梅雨明けを調べてみたら7月の後半だった、去年と同じような感じだとしたらあと3週間近くは雨に悩まされるのか、としょんぼりした。私の勝手な梅雨のイメージは6月まるまるが梅雨、7月からはからっとした日々が続いて夏を感じる、というものであったが、それは誤った認識であった。今日も雨、明日も雨、明後日も雨。雨のない国に移住したい。

 

 

30分残業して退社。雨は降っていなかったが、風が酷い。満員電車に揺られる。スーパーに寄るのは面倒だったので諦めて、家で備蓄されているたらこパスタを食べた。たらこパスタにカルディで買った肉味噌、四川風味みたいなやつをのせるとぐっと美味しくなる。麻薬的な美味しさがそこにあって、一束では全然足りない、もう一束と行きたくなるが、太るのでそれはしないようにしている。既に太っているのだけれど、これ以上太ってしまったら取り返しのつかないことになるような気がするから。買わなくちゃ買わなくちゃと思っている体重計を今日も買わずじまいで終わってしまいそうだ。現実を直視するのが怖いというのもあるが、あまりにも膨大な選択肢があってどれが自分に適しているのかが分からなくて二の足を踏んでいる。体重計なんて最悪重さが分かればいい、他のよく分からない指標を知ったところでそれを有意義に使えるとも思えない。うだうだとしていたら体重計を買わないで一生を終えそうな気がしてきた。

 

 

「川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし」をだらだらと観る。ももクロの夏のライブで客を入れるのは中止になった。ここ数日の東京での新型コロナの感染者数を鑑みたらもっともな判断だし、でも客を入れたほうが確実に自分の懐を傷めない筈なのに、このタイミングで決めたのは英断である。もし客が入れるんだったら迷わず私は行くことだろう。ちゃんとした対策を取ったところで、完全な防備なんてありえなくて、当分は大型のライブは無理なんだろうな、と絶望的な気分になった。場所は取ってあるらしいので、メットライフドームでライブをしてくれるだろうけれど、配信を観るかどうかはちょっと微妙だな。前回の配信ライブを観てて思ったけれど、私は映像を観て満足するような性質ではなかった。最初から映像しか知らなかったら「こんなものか」と思うかもしれないけれど、生でライブを体感する幸せを痛いほど知っているから、どうしてももどかしくって仕方がないのだ。

 

 

バラエティ番組をだらだら観て、昨日から観始めた「ある春の夜に」の4,5話を観た。観てて興奮するドラマではない。今まで私が観ていたドラマが唐辛子マシマシのチゲだとすると、「ある春の夜に」は凄く薄味のソルロンタンのよう。派手な演出はないけれど、コツコツと積み上げられていく場面がうまい具合に絡み合って、観てて落ち着く。BGMは落ち着いた音楽で主張は少ないし、終始大声で張り裂けぶような人間も出てこないので、テンション低めでずっと観ていられるのが今の私に合っている。面白いかどうかはまだちょっとよく分からないし、ちょっとよく分からない言動をしていると「なぜ?」と考え込んでしまって躓いてしまうぶぶんがあるけれど、最終話まですっと観てしまうだろう。そして1年経ったら観たことすら忘れてしまいそう。それでいい、今はそんな薄味のドラマでちょうどいいのだ。