眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2020年6月26日(金)

「この足で そう 歩き出す 思いのスピードで 君の待つ場所へ」

 

平凡な一日を終えようとしているとき、文章を書こうという気分にはなれない。今日は昨日の再放送であったし、昨日は一昨日の再放送であった。東京に来てからの生活は良くも悪くも落ち着いている。上司から「飛び込んでこい」だの「なんでこんなことも理解できないん」だのとどやされることはなく、一人でぽつんと座ってカタカタとキーボードを叩いていたらあっという間に一日が終わってしまう。心の波が至って穏やかで、穏やか過ぎてちょっと怖くなってくる。(こんな日々を繰り返していて、いいんですかね...?)と誰かに訊きたくなってしまうけれど、こちらに来てからコロナのせいで人と会話をすることが躊躇われるので、誰一人として親しく話す機会は存在していない。そもそも、コロナの状況でなくても職場の人と懇意になろうなんて思うことはないのだけれど。

 

 

朝4時に一度起きてしまう日がたびたび発生して困っている。早すぎる時間に寝ているわけではないし、しっかりと身体は疲れているはずなので、どうしたら朝までぐっすりと眠れるのかが分からない。二度目に起きたのが朝7時で、ちょっとした倦怠感を伴っていた。ちょっと久しぶりに飲んだ栄養ドリンクは妙にどろっとしていて、後味がどうも気持ち悪かった。外に出るときはマスクをつけようと心掛けている、マスクなんかでウイルスから身体を防護できるなんて思っていない、自分がウイルスを保菌していたらそれを他人に移さないためのポーズみたいなものである、嫌々マスクをつけているのでマスクを着けずに鷹揚と歩いている人を見かけるとイラッとする、みんなこんな蒸し暑い中で我慢してマスク着けているのに......、という考えを他人に押し付けるのは過剰であろうか。電車はすっかりコロナ以前を取り戻してしまったので、ちょっとでも空いている場所を見つけて、なるべく呼吸をしないようにしている、でもそれにも限界があって、雨が酷い日は窓は完全に締められていることがあって、そんなときはむんむんとした空気だけでもしんどいのにそのなかに奴が紛れ込んでいたりしたら......、なんて考えたところでどうにかなるわけではないのだけれど非常にしんどくなる。結論として、こんな状況の時は人が密集しているような場所で暮らすのは最悪の決断で、人が存在しないような、存在できないような果てしない自然でキャンプをして生活を営むのが最適解なのではないか。国は最終的には私の命を守ってくれない、会社は最終的には私の命を守ってくれない、私が、私だけが私の命を守ることが出来るのだ。

 

 

なんとか雨を降らさないように持ち堪えている雲、今にも降りだしそうなのに必死になって堪えているその姿を見ながら会社に向かう。会社はすっかり人で溢れかえっている。「ソーシャルディスタンスを守ろう」云々の話はどこへ行ったのか。席は一つ空けて座りましょう、というあのルールはどこへ行ったのか。そんなことで社員の命を救うことが出来るのか、もし社内クラスターが発生したら、会社はコロナに罹った人に対してきちんとした援助を出来るのか。差別、今コロナに罹ってる人は周りの人に差別されているという話をネットで見た、その情報自体が差別に拍車をかけているのではないか。危なそうな場所に自分の意思で赴いてコロナに感染した人は自業自得だけれど、出勤のために満員電車に乗ってコロナに感染した人や、医療の最前線でコロナに感染した人を差別する世の中はおかしいと思う。でもそれを誰が止められるのだろうか、誰だって得体のしれない病気は怖い。もし自分もそれに罹ってしまったら死んでしまうのかもしれない、そんな不安から人はまともな思考が出来なくなってしまう。ぐだぐだ書いてきたけれど、今日もコロナと隣り合わせの不安を抱きながら生きたのだ。

 

 

今週はどうも一日の過ぎていくスピードが早いように感じられる、今日も午前は息をつく暇もなく過ぎてしまい、午後もあっという間に過ぎていった、それは時間の流れる速度が遅いことよりかは歓迎すべきことなんだけれど、一日終わった後に仕事をし終えた達成感、今日はこれだけ成長できたという満足感がないとちょっと不気味に思える。そんな一日一日を積み重ねて今週が終わった。今思い出しても午前中の記憶は曖昧で、多分どうでもいいような、今日しなければいけないようなものでもない仕事をしていたのだろう。昼休みに社内でおにぎりとカップ麺を食べることに惨めさを感じ始めているけれど、今更になって外に出て、知らぬ人と隣り合わせでご飯を頬張るというのはちょっと怖い、そんなこと思っててもストレスは知らぬうちに溜まっているので休日はしれっと外食でラーメンを食べている、そんな一貫性のないところが非常に平凡な人間らしいぶぶんであると自負している。午後は火曜日の講習会の続き。まったりとした時間が過ぎていく。果たしてこの講習会の果てに待ち受けているもので私の身が滅ぼされないか心配である。今の職場の最高の利点である「定時に帰ることが出来る」が無くなってしまうのではないかと冷や冷やしている。それは慣れてしまえばそこまで時間のかからないものなのかもしれない、もしかしたらゴリゴリに残業をしないと仕事が終わらなくなってしまうのかもしれない。どっちかは知らないけれど、定時で帰れなくなってしまうかもしれない、というのは非常に不安である。長時間の残業に寄って得られるお金よりも、定時に帰って自分の好きなことを好き勝手やっていられる時間のほうが私にとっては価値がある。時間は金で買えないからこそ、今の私は定時内に仕事が終わるよう、スケジュールを組んで仕事をしている。それは上司の突拍子もない依頼ごとであったり、予告していなかった仕事が振りかかってきたときに崩される、そんなときは非常に不機嫌になってしまう、多分感情は隠しきれずに表に出てしまっているに違いない、私は感情を偽装するのが絶望的に下手くそなのである。イラッとしたら顔がひくつくし、嬉しかったら顔の緩みを引き締めることが容易ではなくなってしまう、そんな体なので世間を渡り歩いていくのは少々困難なところがあり、それのせいで人とうまくやっていけない、と言うのは少々強引な言い訳だろうか。講習会を終え、ちょこっとだけ残っている仕事をだらだらとやっていたら定時になった。皆帰ろうとしない(研修生を含め)。そんなに仕事が好きなら会社に住んじゃえばいいのに、と性格の悪い私は思ってしまう。誰も帰らないのなら私が先陣を切って帰ってやろう。気づいたら会社を出ていた。雨はもう降りそうになかったけれど、異常なほどの蒸し暑さに頭が、体がどうにかなってしまいそうになった。

 

 

2週間前くらいから前髪が鬱陶しく感じられた。前回、散髪に行ったのはちょうど1カ月前くらいで、その時から既に前髪は長く感じられた、しかし髪を切り終えて満足そうにしている美容師さんを見ると「前髪をもうちょっと短くしていただけませんか?」の一言がどうしても口から出てこなかった、私の中で燻っている言葉たちは非常に人見知りなのである。仕事帰りに行きつけの美容院に行った、客は一人で美容師は3人いた。初めて見る顔の人がいて、その人が私の髪を切ってくれることになった。前みたいに中途半端な長さの髪型は嫌だったので、結構短くしてくれるように切ってもらう言葉をネットで事前に検索していた。「ベリーショート」それが結構短くしてもらえる言葉らしい。「どんな感じにしますか」と担当になった美容師になって、怖々と「ベリーショートで」と言った。それだけだと言葉足らずなように感じられたので「もうざっくりと、結構短くしてください」と付け足した、余計な一言だったような気がする。そこから美容師との間でちょっとした意見をすり合わせがあった、それに対して自分から意見を曲げるのは難しい、代替案を自分で説明するのは非常に難しいように思われた。美容師の提案に「それでお願いします。以前もそれでお願いした気がします」とちょっとした法螺を吹いてみたりした。それから20分ほど、彼は黙々と私の髪を切った、気付けば客は私一人になっていて、彼は余計なことが一切発さなかったので、静かな時間が流れていた、ちょきちょきちょきという髪を切る音だけが美容院を包んでいた、それを非常に好ましく思った。途中で「ちょっと切りすぎなんじゃないか」と不安に思ったりしたが、それはもうそれでいいような気がした、こんな時に小刻みに美容院に行く方がよっぽど駄目なような気がした。でもこんな換気がしっかりとなされている場所の方が、いろんな人が密集している満員電車よりも云々......。「こんな感じ宜しいでしょうか」ちょっと短いような感じもしたけれど、今更「ちょっと切りすぎたので、ちょっと戻してもらっていいですか」と言う勇気はないし、どうせ少ししたら気にならない程度の長さになるだろう、「大丈夫です」と答え、そのあとにサラサラと頭に付着している細かい毛を吸ってもらって散髪は終わった。非常に幸せで穏やかな時間であった。ふと前を見るとプレートが貼っていて、どうやら私の担当をしてくれた人はその店の店長だったらしい。結構な回数この店に通い詰めているはずだったが、彼に出会ったのは今日で初めてだった。私が店を出るタイミングで人が一人入ってきた。猛烈にお腹が空いていた。

 

 

家に帰りついたのが19時前。これぞ定時に帰れる特権よ、と思いながらシャワーで体に付着している筈の短い髪の毛を洗い流していく。お風呂から出て、夕飯のサラダを頬張りながら下らないバラエティ番組がテレビに映っているのを疎ましく思う。この時間帯のバラエティは毒が少ない癖に不快になる場面が多くて、どうにも好きになれない。ご飯を食べ終えて一息ついたところで、いつぞやに開催されたCRYAMYの配信ライブをもう一度観る。やはり素晴らしいセットリストである。

 

01.テリトリアル
02.sonic pop
03.crybaby
04.ディスタンス
05.ビネガー
06.普通
07.easily
08.twisted
09.delay
10.物臭
11.雨
12.正常位
13.Pink
14.鼻で笑うぜ
15.誰そ彼
16.月面旅行
17.プラネタリウム
18.ten
19.世界
20.テリトリアル

 

彼らのライブを観ると泣きたくなる場面が多くて、思考がぐちゃぐちゃになって最高なのである。MCでカワノは楽観的な考えは口にしなかったけれど、俺はいつか、またCRYAMYのライブを生で観られる日が来ると信じて明日から生きていくぞ。

 

 

そのあとに22時から配信されたロロのリモート演劇がもうあまりにもロロが迸っていて、一刻も早くこの目で、生で、ロロの演劇を観たい観たいんだぞという気持ちが強固になった。コロナが世間を賑わして、私が愛してやまない音楽や演劇と生で触れ合う機会が消滅して、改めてそれらを享受できることの幸せを痛感している。

 

 

久しぶりにラジオを聴いて、文章を書きながらTHE 1975の「A Brief Inquiry into Online Relationships」が寂しそうで気がおかしくなりそうな夜を綺麗に彩っていく。いつまでも、いつまでも。

 

I Always Wanna Die (Sometimes)

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