眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

384日目「一つの山を乗り越えた、つもり」

去年の終わりから取り組んでいた、重たい重たい事務仕事の終わりの目処がようやくついた。とりあえず来週からはそこまでばたばたすることはないだろう。正直なところ、あそこまで追い詰められるとは思っていなかったので、仕事をしている最中は前も後ろも見る余裕がなく、ひたすら目の前の仕事をこなしていた。苦しくて、「もう駄目だ」と諦めてしまいそうになるときは何度もあった。でも今日まで乗り越えられたのは、この仕事を無事にやり終えたら、少しは成長できるのではないかという期待があったからである。さて、私はこの仕事を通して、営業として成長することが出来たのでしょうか。厳しく評価すると、たぶんあまり成長していない。仕事のスケジュールがタイト過ぎた、というのは言い訳になるかもしれないけれど、一つ一つの仕事をじっくり考えてこなすことが出来なかった。次から次へとのしかかってくる仕事を、とにかく終わらせることだけに邁進して、その仕事の深いところまで考えている余裕はなかった。そこまで丁寧に仕事をしていたら、多分今日はすぐには帰れなかったし、客先や先輩からいろいろと詰められていたことだろう。たぶん今回の仕事のやりかたは間違っていない。これから余裕が少しできるので、そのときに「あのときはほぼ何も考えないで右から左へ流してしまったけれど、こうしていたほうが早く作業が進んだのではないか。この作業の意味はこうこうこうで、この仕事と関連させることでより質の高い成果物を生み出すことが出来たのではないか」といったことを考えなければならない。与えられている情報が少なすぎるので予習なんて出来ないので、とにかく復習をみっちりと行うことで、これからの仕事もスムーズにこなせるようにしていければいいな、と思う。

 

 

綺麗ごとばかり書いてしまったけれど、つまんねえ仕事だな、こんなことをするために大学まで出たわけじゃないんだよ、という毒も吐いておきたい。創造性やオリジナリティを求められない仕事、ただ黙々と先輩に任された仕事を、会社に決められたルールの内でやりくりする仕事は非常に退屈なものである。自分の色を少しでも出そうものなら、先輩からこてんぱんにやられてしまうことだろう。営業なんてどこの業界でもこんなにも窮屈な仕事なのか。昔、営業という仕事は会社の花形部署、何手言われていたけれど、なぜそのような表現をされていたのか分からない。令和になってしまって、もう営業なんて人間がやらなくてもいいんじゃないか、そんなのはAIに任せておけばいいじゃん、と何の根拠もなく考えてしまうほどに、営業という仕事に嫌気が差している。ただ、創造性がむっちゃ求められるクリエイティビティな仕事がしたいわけでもない。じゃあ私はどんな仕事がしたいのだろうか。

 

 

先輩は外出しっぱなしで、私はほぼ自分一人で重たい仕事に向き合っていた。考えて考えて考えた末に「これなら文句は言われまい」というレベルまで仕上げた成果物を客先へ提出し、ほぼ定時で退社した。こんな早い時間帯に退社できるなんて、なんて晴れ晴れとした気持ちになれるのだろうか。家に帰りついたら、図書館があと少しで閉まるので急いで図書館へ行って本を返却し、新しい本を借りた。その足でコンビニに行き、明日のライブチケットを発券する。用事を済ませて家に再び帰り、夕飯にお肉をもぐもぐ食べて、自室に籠る。「ああ、今日で重たい仕事はあらかた終わったのだ......!」という開放感が尋常ではないほどに私をのびのびとさせ、このまま今日がずっと続けばいいのにな、と願ったりしてみる。

 

 

ドラマ「3年A組 -今から皆さんは、人質です-」を観始める。最近観ていたドラマはストーリも重視しているけれど、脚本も極限まで練り上げられていたものだったので、「3年A組 -今から皆さんは、人質です-」の若干のチープさに呆れてしまった。でも続けて2話まで観てしまったのは、続きが気になるとかそんな理由じゃなくて、菅田将暉と演技に惚れ惚れとしてしまったからである。人間の血が通っているのか通っていないの、ぶっとんでいるのかぶっとんでいないのかよく分からない、取扱注意の人間を渾身に演じているのを観て、昂ってしまった気持ちを静めることが出来なかった。ああ、もっと菅田将暉の狂気じみた演技を観ていたい。

 

 

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「3年A組 -今から皆さんは、人質です-」

 

 

明日から3連休なので、少しくらいは夜更かししても罰は当たらないよね?