眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

367日目「どうしても生きてる」

先ほどジムで一頻り汗を流し、家に帰って夕飯を食べ、お風呂に浸かりながら本を読み、今日すべきことを殆どし終えた今、パソコンの前に座っている。今日はとてもあっさりしていた日なので取り立てて書くようなことはないし、書きたい気分もあまり湧き上がってこないので、手短に済ませる。

 

 

仕事の話になるが、最近は新規客先へ行くことを怠っていた。それは純然たる理由で新規に行きたくない、面倒だ、という理由からではなく、既存客先の対応に時間を費やしていたから。と言ったとしても、上司から見たら「あいつサボっているな」という風に見えるのだろう。そういうあなたは社内でネットサーフィンですか、いいご身分ですね?と嫌味の一つも言ってやりたくなるが、私の自主性を尊重してあれこれうるさく言ってこないので、私の方から敢えて波風を立てるのは賢くないよな、と思ったりもしている。教育係の先輩は朝から会社におらず、上司もとんがりさんもそれぞれの動きをしていたから、私は自由に動いていいはずだった。それこそ新規客先へどんどん飛び込んでもいい雰囲気が漂っていた。ただ、私は日頃お世話になっているお客様に、年末の挨拶をするという選択肢を選んだ。本音を言えば、そちらのほうが楽だったからである。アポイントを取らずにお邪魔した客先に担当者はおらず、ただ挨拶と名刺を渡すだけで用件は済んだ。車で2時間もかけて、一体私は何をしているのでしょうね。虚しくなってくる。会社に戻っても営業の人々は誰も社内にはおらず、私一人だけがぽつんとデスクに座っていた。後ろで雛鳥がきゃっきゃきゃっきゃと、コーヒーを片手に仕事に関係のないことを話してはしゃいでいるのを聞きながら、「私の居場所はここではない」と深刻な表情で考え始めてしまってので、私は少しだけ、メンタルがやられてしまっているのだろう。気付いたら涙がぽろぽろ零れているとか、そういったことは起きていないのでまだ深刻ではないだろうが、早めに手を打っておかないといつかのあれになってしまうのは時間の問題である。やっぱり転職したほうがいいのかな。今の会社で営業をしていても、無駄な気がする。いや、生きていくことなんて無駄を積み重ねるようなものであると言ってしまえばそうなのかもしれないけれど、まだ20代に縋りついている私は仕事に対して希望を見出してみたくなるのです。

 

 

「どうして助けたんですか?さっきあのまま放っておいたら」
「分かんないっす。っていうか自分だって」
「警察、呼ぶんですか?」
「えっ?分かんないっす。分かんないっすけど、あいつのこと信じてみようかと思って」
「お兄ちゃん、深見さんが助けてくれたんだよ」
「うん」
「深見さんが助けなかったら死んでたんだよ」
「うん。」
「自殺しようとしてたんだよね?」
「いいよ、またするから」
「じゃあまた助ける。何回死のうとしても助ける。逃がさない。いろいろ聞いた。お前が自分自身を怖がっているみたいなことも。怖がってお前、自分の子供が生まれる前に殺したことも。亜季に生まれてこなければよかったって言われたことも。そんなくだらないことで殺したんだ」
「まだかな」
「俺さ、ずっとお前のことを捜してたんだよ。これで殺そうと思って。しばらく持ち歩いてたんだ。たぶんあの時、この人に止められなかったら、お前のこと刺して、殺して。今ごろ刑務所に入っててってなってたと思う。で俺は、まあ何も感じないまま、そういう運命かって普通に受け止めてたと思う。でもそうじゃなくなった。この人に止められて、この人と知り合って。俺、たぶん...。俺、変わったんだ。色々あったんだよ、あれから。色々。この人とも色々あったし、母親とも色々あったし。お前の両親とも色々あって。何ていうか、こう、もつれた釣り糸一つ一つほどくみたいにして。だけど時々、針とかぐいぐい刺さって痛くて。知らなかった方が楽で。知るのが痛くて。息詰まって。でも知りたくて。だんだん、だんだん何かほどけてきたら、俺、ホントはどうしたいのか分からなくなった。今も分かんない。分かんないんだけど...。もうお前を殺そうなんて思えないんだ。亜季がさ、何のために悲しいお話があるのかって聞いてきたことがあった。何でわざわざ人間は悲しいお話を作るんだろうって。亜季が殺されて、友達が犯人で。バラバラになった家族があって。兄身の無実を信じながら、苦しんで、信じなから生きた人がいて。悲しい話ばかりで逃げたくなる。だけど逃げたら悲しみは残る。死んだら、殺したら、悲しみが増える。増やしたくなかったから。悲しいお話の続きを書き足すしかないんだ。いつかお前が人間らしい心を取り戻して、初めからやり直して、償いを。いや、違うか。そんな話、どうでもいいんだ。どうでもいいや、どうでもいい。今の話、全部忘れていいよ。ただ、たださ。けさ、朝日を見たんだ。ゆうべずっと眠れなくて。朝方トイレに行って。トイレ、便所臭くて。窓開けたら、朝日見えて。便所臭いトイレの窓から朝日見えて。そんなこと、あそこに住んで一度も感じたことがなかったんだけど。また今日が始まるんだなって。楽しくてもつらくても、幸せでもむなしくても。生きることに価値があってもなくても。今日が始まるんだなって。あの、便所の窓からは、この15年間、毎日ずっと、今日が始まるのが見えてたんだなって。うまく言えないけど、文哉さ..。俺、お前と一緒に朝日を見たい。一緒に見に行きたい。もうそれだけでいい」
「ご飯まだかな?お兄ちゃん、おなかすいてんだよ」
「ええっ......」
「自首すればいいんだろ。謝ればいいのか。ごめんな洋貴。双葉、ごめんな」

それでも、生きてゆく」第10話「対決の果てに」より引用

 

とことん救われないドラマである。いよいよ加害者と被害者の家族が正面からぶつかった。加害者の家族は必死になって、今まで恨み続けてきた加害者を許そうとしている。これからの日々に希望を見出している。いつか二人で光なんてものを見れたら、と切実に願っているというのに。彼の話にちっとも耳を貸そうとしない加害者は、もう生きることに対して希望を持つことが出来なくなってしまったのだろう。ここまで来てこの場面を見せつけられてしまうと、「救いがない」と苦しくなってくる。現実はこのドラマの数十倍苦しいものが待ち受けているのかもしれない。どうにかなってしまいそうである。なんでこんなにも苦しいドラマを食い入るようにして観てしまうのか。それは絶望の中に少しでも、ほんの少しだけでも希望を見出したいからである。果たして希望は存在するのだろうか。明日、いよいよ最終話を観ます。

 

 

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定時になったらすぐに会社を抜け出して、すごい早い時間に家に着いた。それこそ短編が2作ほど書けてしまえそうなほどに豊富な時間が目の前に広がっていた。私しかいない家でドラマを観てから、そそくさとジムへ行った。2週間ぶり、27回目のジムである。ヨガでじっくりと体をほぐした。普段はあまり使わないような箇所の筋肉をぐぐぐと伸ばしたものだから、痛気持ち良くて、途中で意識を失いかけてしまった。いつも思うのだけれど、1時間弱のヨガの時間があっという間に感じられるほどに、私はヨガに夢中になっている。それ以外はテキトーに筋トレマシーンをちょこちょこと動かしてから帰った。

 

 

明日も今日みたいにぬるい一日なのだろう。そう思うと、「もう会社に行かなくてもいいんじゃないか。私は会社に不必要なんじゃないか」という方向に頭が持っていかれてしまう。今はまだエンジンを掛けている段階で、エンジンがしっかりと掛かったらもうどこへ行くにも少しの労力でびゅんびゅんと行けるはずなのだ。大した仕事はしていないけれど、きっと今が一番しんどい時だから。今乗り越えたら、あとはだいぶ楽に進んでいけるから。本当かな?その辺の本当のことを先輩方に訊いてみたい。私はあまりにも一人で、仕事の悩みを抱え込んでしまっている。気軽に相談できる人が近くにいてくれたら、今のこの、どうにもならなくてどうしようもない気持ちが報われるのだけれど。あと少しでまた明日が来るよ。

 

 

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