眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

366日目「今日という日に名前を付けるとしたら」

気付けば外は冬の気配を濃くしていた。それなのに私はまだ、自分の心を整理できていない。「ここを離れる」のか、それとも「ここでやっていく」のか。どっちつかずの私を、誰かが後ろから指差して笑っている気がした。

 

 

変わらない何かに縋ろうとしても、どんなことだっていつかは変わってしまうから。強くありたい、と願う気持ちの純粋度が高いだけ人はそれに希望を見出す。今日だってよーわからんのに、明日?来月?来年?そんなものは靄のかかったSF映画のように現実味がない。任された仕事だけを淡々とやっていくだけじゃ能がないだろ。明言していないけれど、先輩がやってほしいと思っていることを進んでやること、想像してそれを思いつくことこそが仕事なんだと思う。与えられたことをただやっているだけ、それは単なる作業であって仕事とは呼ばない。ということで、私は今日も作業に終始して、その実少しだけ満足してしまっているのだ。自分を褒めるハードルの低いこと!でも無駄にハードルが高くて、出来ない自分を追い立てるよりかはましなんじゃないかと思うけれど、その辺りのことを考え始めたら止まらなくなるので、今日はこの辺りにしておく。

 

 

「この前言ってたじゃないですか。いつか、心の底からやったーってなれる日が来るんじゃないかって。なかなか来ないですね」
「はい」
「来る感じないですね。死にたい」

 

急ブレーキ

 

「別に、別に死ぬのは結構ですけど。遠山さんが死んだら、俺も死ぬと思います」
「何言ってるんですか。私と深見さんは加害者と...」
「そんなのもうどうでもいいだろ!死ぬとか言うなよ!あんたにそんなこと言われたら、俺は、俺は......。できるもんなら何もかも忘れて、できるもんなら何もかも投げ出して、どこかずっと遠くの、誰も知らない、僕らのこと誰も知らない所に行きたい。2人だけで」

 「それでも、生きてゆく」第8話「それぞれの覚悟」より引用

 

 

本当は自分の思うままに生きてみたい。でも「被害者家族」「加害者家族」という重たい柱を体にくくりつけられて生きてしまっているもので、勝手に行動を抑制してしまう。この柱は自分の考え方を変えない限り一生ついて回るものだろう。そんなものを抱えながら生きている人がいる、ということを能天気な私はついつい忘れがちだ。このドラマを観てて、私はなんて恵まれた環境で生活しているのだろうと安心すると共に、いつなんどきその重たい柱を背負っての生活が始まるのか、という恐怖を抱えながら生きていくのが筋ってものなのではないかと思う。末恐ろしいドラマ。たぶん、今年のナンバーワンだわ。

 

 

久しぶりに「リングフィットアドベンチャー」をやった。全部をやりきれなくて、それでも身体中からぼわっと吹き出してくる汗に塗れながら、「こんなことならもうジムに行く必要はないんじゃなかろうか」なんて思ったりする。私がこんなにもこのゲームに必死になるのは、圧倒的な腹のたるみが私の目の前で揺れ動いているから。学生の頃はお腹はぽっこりしておらず、それが当たり前なんだと思っていた。社会人になって、一人暮らしを始めて、酒をあられもなく飲むようになって、運動を忘れてしまった。気づいたらぽっこりお腹が完成していた。嫌だ嫌だ、こんなのは自分じゃない。そう思うだけで、私はなんの努力もしてこなかったのではないか。その結果が、未だにぽっこりと出ているお腹。だいぶ前の健康診断で「脂肪」のぶぶんで引っかかってしまったことを恥ずかしく思えよ。お前はもっと、シュッとした体でいたいんじゃないのか?でもさ、太っていることが悪いことなんて、一体全体どこのどいつが決めたんだい?

 

 

今日は定時になる頃には誰も残っていなかったので、鳩の声が轟くと同時に会社を後にした。そのまま直行で家に帰るのは何だか勿体ない気がして、近くの本屋でぶらぶらとしていた。読みたいな、と思う本はいくつか見つかるのだけれど、自分の部屋で読まれることを待ち続けている彼らのことを思うと、とてもじゃないけれど新しい本を買う気分いなれなかった。少しだけぶらぶらしてから電車に乗って、家に帰ったら誰もいなかったので、一週間という縛りで借りていた「それでも、生きてゆく」の、思い切った借りた2枚のうちの1枚を観た。ふっと心が軽くなったかと思うと、急にどーんと重くなるぶぶんが合って、どうにかなってしまいそうだった。どうにかなってしまってもよかったのかもね。おやすみ。

 

 

6,258歩