眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

365日目「生きてても仕方がない、なんて考えちゃ駄目」

飲み会後の帰りだというのに、なんと清々しい帰り道だろうか。たくさんの人間が飲み会に参加していると、一人に照射される時間が減り、特に話していなくてもその場に存在していることが成立する。今日は隣に大人しい先輩と、あたらしきものがいて、前には寡黙な人。左隣でワイワイガヤガヤやっているのをのんびりと眺めながら、軽く頭痛のする頭に少量のビールを注ぎ込んでいた。上司に無理やりアルコールを飲まされることがないのは、思ってもいないようなことを言わされることがないのはこんなにも落ち着けるものなのだな。飲み会は一次会で終わりを迎え、時間に余裕があったので丸善で今村夏子の「星の子」のサイン本を購入。一度読んでいる物語で、そこまで気に入ったわけではないけれど、最近の私はサイン本であればついつい買ってしまう属性を身に付けてしまったようだ。

 

 

f:id:bigpopmonsterpro:20191206204134j:image

 

 

昨日の夜は「今の会社で営業をやるというのはなんという悲劇か」と嘆いていた。その思いは今も変わらないし、早く成長して一端の社会人になりたいと思っている。でもそれは現実に可能なものなのだろうか、という疑問を抱いている。立派に働いている先輩方だって、大なり小なり苦しみを抱えながら働いてきたんじゃないだろうか。手放しに「今の仕事サイコー」なんて能天気なことを考えている営業マンは私の所属している職場にはいないと薄々気付いている。お金を稼ぐことは大変なこと。そこには苦しみや悲しみが伴うものだ。楽な仕事なんてない。そういう風に自分に言い聞かせるのが正しい選択かどうかは分からないけれど、今はまだ余力が残っているから、無理をしてダウンしてしまわない程度に働いていこうかな、と緩く考えている次第です。傷つきながら、私は前へ進んでいく。

 

 

「亜季が死んだ所に行ってきました。亜季が殺された所に行ってきました」
「何でそんな所に行ったの」
「そんな所じゃないわ。亜季が最後に生きてた所なんだから」
「いや、だからそういう意味じゃなくてさ」
「15年ぶりに家に帰りました。私たち家族が暮らしてた家です。12時半になるのを待って出発しました。あの日の亜季と同じ時間に同じ道、行くことにしました。小学校のチャイムの音が聞こえてきました。亜季の友達はみんなどうしてるのかな。もう亜季のこと忘れちゃったかな?怖い思い出なのかな?そんなこと思いながら橋渡ると角にクリーニング屋さんがあって、道が2つに分かれてます。あの日亜季が行こうとしてた公園はそのどっちからでも行けて。もともと亜季はお地蔵さんのある道を通ってたんですけど。あの日は郵便ポストの道を行きました。お地蔵さんの道は車が多いから、郵便ポストの道を通りなさいって私が、私が教えたからです。亜季はその道の途中で金づちを持った少年に会いました。大きなモクレンの木が立っていて、ヒグラシが鳴いてました。そこに私の何か、何か......何か人生の大きな、大きな落とし穴が見えました......。あれから15年たって、今の私は人から見たらずいぶんと落ち着いているように見えるかもしれません。でも、ホントは違うんです。私、みんな私と同じ目に遭えばいいのにと思って、ずっと生きてきました。優しくされると「あなたに何が分かるの?」って思いました。子供連れた母親見ると、疎ましく思いました。前向きに生きようって言われると、死にたくなりました。ごめんなさい、私はずっとそういう人間です。あー駄目だ駄目だ。人愛そう、前向きなろう。そう思った5分後に、みんな死ねばいいのにと思ってました。ごめんなさい。母親から子供取ったら、母親じゃなくなるんじゃなくて、人じゃなくなるのかもしれません。森の中歩きながら、今日私はこのまま死ぬんだろうって、ひとごとみたいに思ってました。森の向こうに地面が青く光ってるのが見えて。あああれか、あれがあそこで、あそこで亜季はって思ったら私、走り出してました。あーごめんね亜季。ごめんね亜季。ずっと来なくてごめんね。待ってたね、ずっとたくさん待ってたねって。そこで亜季の夢見たら、消えていこうって思いました。でも、夢に出てきたのはあの少年でした。「亜季がね、亜季がどんな悪いことしたの?」って、聞いたけど少年は何も答えてくれなくて、ただ私を見返してました。そのとき、気付きました。ああ、この子......この子と私、同じ人間だって。人やめてしまった人だって。ああ、目覚まさなくちゃって思いました。このまま死んだら亜季が悲しむ、亜季に嫌われる。そう思えたら初めて、生きようかなって思いました。亜季の分まで生きようかなって。目覚ますと、湖の水で何度も何度も顔洗いました。昔、亜季が殺されたとき、いろんな人がいろんなこと言いました。時代のこととか教育のこととか、何か少年の心の闇だとか。少年法だとか。理由を解明するべきだとかいっていろんなことを言いました。何を言ってもいまさら時間は戻らないって言いました。私、何言ってるか分かりませんでした。分からないから何だかよく分からないから。私が、私がほっといたから亜季は、亜季は死んだんだって思うようにしました。私が道変えたから、私がスカートはかせたから亜季は死んだんだって。そうやって少年のことは考えずにきました。だけど、だけど......そうじゃないの。そうじゃないの。私は誰かじゃないから。私は、私は新聞の記者の人じゃないから。私は偉い大学の先生じゃないから。私は、ただの母親だから。理由なんかどうでもいいの。私は、私はただのお母さんだから。私が言いたいことは一つしかないの。私が言いたいことはずっと一つしかないの。ないの。あ...亜季を返してって。亜季を返してって。亜季を返せって。私が言いたいことは一つしかなかったの。私、あの少年に会いに行きます。会って、亜季返してもらいます。」

それでも、生きてゆく」第五話「居場所を求めて…」より引用

 

 

このドラマはずっと苦しい。加害者家族も、被害者家族も、事件のあった日からずっと、ずっとずっと、苦しくて辛い日々を送ってきているのだろう。それらの苦しみや悲しみを演者の方々が丁寧に表現しているので、1秒1秒、息も碌に出来ないまま食い入るように画面を観てしまう。こんな苦しみがこの世界に存在してもいいのだろうか、神様、少し意地悪し過ぎではありませんか?と叫びだしたくなってしまう。このドラマを観終わったあと、私はいつも呆然として、日々の些細な行動がうまく出来なくなってしまうのだけれど、被害者の亜季ちゃんのお母さんの野本響子(大竹しのぶ)の今回の演技を観終わったあと、ぐんと心を持っていかれてしまって、ドラマだと分かっているのに、分かっているはずなのに、胸がぎゅうぎゅうと締め付けられて、苦しかった。この苦しみを癒すためにどうしたらいいのか分からなかった。真に迫るその演技はもはやえんぎなどではなく、現実そのもののように思えてきた。どうして私はこんな苦しいドラマを毎週借りてきて観ているのだろうか。現実で面白い思いをしていないなら、せめてフィクションの世界では楽しんでいたいはずなのに。暗い気分の時は、とことん暗くなったほうが立ち直りが早いのか。どっちでもいい。今はもうこのドラマの事だけ考えていた。一気に観てしまいたいけれど、加害者の少年だった男と対決するのを観るのが怖い。でも観たい。凄まじいドラマだ。坂元裕二のドラマはたくさん観てきたけれど、このドラマが一番凄い。もう毎回毎回飽きが来ない。飽きないどころか、「もっともっと」と求めてしまう自分がいる。

 

 

 

 

 

明日は5時30分に起きなくてはならないのが憂鬱だ。

 

 

8,647歩