眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

日曜日はいつも憂鬱

最近はどうも酷く、日曜日の朝から明日の仕事の事を考え始めてしまう。あああああああ、明日が来たらまた不自由な生活が始まってしまう、と先走って考えてしまい、日曜日を存分に楽しめない。いつもはそんな思考に蓋をするために眠りに逃げることが多いけれど、今日は家族と喫茶店に行ってモーニングを堪能した。久しぶりに朝に喫茶店に来たけれど、こんなにもぽかぽかした天気の下でのんびり歩くのも、カフェオレを飲みながら家族と他愛のない話をするのも、本に夢中になって周りの音が聞こえなくなるのも、その全てが愛おしく思えるんだよ。今日は一日のんびりするぞーーーーーーー。

 

 

と決め込んだものの、ドラマを見たりお笑いを見たり、音楽を聴いているときも、気付けば頭の片隅に仕事がやって来て、どっこらせと胡坐を決め込む。趣味を楽しんでいる私の事をじーーっと眺めている。「で、明日から仕事だけど?」とぼそっと呟くそれは憎たらしくて。無視を決め込んで本を読んでいても、一度その存在に気付いてしまうと文章に集中できなくなってしまって、時折仕事の方を見てしまう。「おい、まだ明日なんだからあまり私に話しかけないでくれないか」そう言っても仕事の方は私の声が聴こえていないのか、徐々にその存在感を大きくさせていく。気づいたら私は先ほどまで読んでいた本を閉じていて、仕事との対話を始めている。対話ではないな、私の一方的な愚痴の零しである。その濃度が濃くなるにつれて、現在の世界が歪んできて、傲慢と偏見に塗り固められた不気味な仕事が浮かび上がってくる。やれお前は仕事をするのが遅いだの、人にちゃんと自分の意見を伝えられないだの、新規の一つも持ってこれないだの。気付いたら外は暗くなっている。陽が落ちるのも早くなってしまった。ああ、サザエさんが始まってしまう。もう日曜日が終わってしまう。あと数時間経ったら日曜日が終わり、ふてぶてしい顔をした月曜日がうちのドアをどんどんと叩くのだ。その音が聞こえなくなるように布団をばさっと頭に被せ、気付くと気絶するかのように眠りに落ちている。夜から朝にかけて見る夢が私の休日での最後の休息で、それが終わってしまったら仕事だ。今日も肩を落としながら、やりたくもない仕事を嫌々やるのだろう。そんな日々を繰り返してなんになる?嫌なことをやるからお金を会社から貰えるわけで、憂鬱でなければ仕事ではない、という考えもあることだろう。そんなことを考えられるような人は立派である。ただ、極端に嫌なことから逃げてしまいたくなるような小心者の私は、一日の大半を占める、人生の大半を占めてしまう仕事でも自分にとって意義のある時間を過ごしたいと思っている。上司から理不尽なことでえんえんと叱られるより、非効率的な今までのやり方で仕事をやらされるよりも、充実した仕事をして自己成長に繋げたい。幻想だろうか。それは仕事の出来ない人間が陥りやすい罠であろうか。仕事の基本のきの字も出来ないような下っ端は、辛い経験を重ねて重ねて、なんとか一人で仕事を回せるようになってからそのような取り組みを始めるべきだろうか。ああ、転職すればこの悩みは解消されるのか。そもそも人とうまくコミュニケーションを取れないような人間が仕事をうまくやっていこうだなんて夢のまた夢の話なのか。仕事に関するたくさんの考えが本やネットに散らばっているけれど、どれが本当なのかは分からない。分からないから、自分が信じられるような考えを見つけたらそいつをぎゅっと離すな。違うなと思ったらすぐに手放して、また新しい考えを取りこめばいい。トライ&エラーを繰り返していけばいつかは、ということは考えるけれど、何度も失敗するような体力を残念ながら私は持ち合わせていないのです。というのは勝手な決めつけか。

 

 

 

先週借りてきた菅田将暉のアルバムが頗るいい。特に「さよならエレジー」がいい。ずっと聴いていたい。ずっと、聴いていたい。

 

愛が僕に噛みついて 離さないと言うけれど
さみしさのカタチは変わらないみたいだ
舞い上がって行け いつか夜の向こう側
うんざりするほど光れ君の歌

菅田将暉「さよならエレジー」より

 

この言葉が、ぐらぐら揺らついている私の事をそっと支えているんだよ。

 

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