眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

眠たげな猫の傍で、今日も私は欠伸をしていたい

 

bigpopmonster.hatenadiary.jp

 

 

本記事がこのブログにおける1,500記事めのブログになる。1,000記事めが去年の10月23日に上げたので、1年足らずで500記事も書いたことになる。たぶん、500記事の殆どが仕事に対する愚痴、呪詛、その他負の要素をぶちまけたものであろう。とてもじゃないけれど、現在進行形で同じ仕事をしている今、読み返すなんて出来ない。今はただ前を見ているふりをしていないとやっていけない気がしている。

 

 

仕事のことを考えると憂鬱が心の中に収まりきれなくなって、爆発してしまいそうになる。「やっぱり私には営業という仕事があってなかったのだ」と思うことが往々にしてあり、でも今の会社を辞めて転職するほどの勇気もなく。気づいたら働き始めて4年半が過ぎてしまった。これからもこんなぬるま湯に浸かっていられるとは思っていない。いつまでも先輩が守ってくれるとは思っていない。そもそも先輩に守られているという実感がない。仕事とは結局のところ、先輩から技を盗むものだったのか。それは職人などの「言語化するのが難しい職業」で成立するものであって、ある程度は言語化可能な営業という仕事では先輩がちゃんと指導した方がすぐに使える営業マン(笑になるのではないかな、と思っている。そんなことは口が裂けても先輩には言えないけれど。そもそも先輩とは雑談すら出来ないような間柄が未だに続行中で、まずは事務仕事が出来るようになる前に先輩との仲を良くすることのほうが大事なんじゃないか、と危機感を持っている。そろそろ新しきものがやってくることだし、仕事がなくて暇チンになっているなんてしゃれにならないぞ、お金を貰っているんだろ?という鬼気迫った気持ちは一瞬で、家に帰って少しでも弛緩してしまうとそんな悩みは心の奥の奥の奥に仕舞い込まれることになり、次の日の朝になるまで起こされることはない。ここまで書いてきて薄々勘付いてしまったのだけれど、私は仕事が出来る様になる努力を怠っているのではないか。不安になる。そんなことを考え始めるとたぶん夜も眠れなくなるほどに自分を苦しめることになる。簡単な仕事がしたい。簡単な仕事がしたい。簡単な仕事がしたい。仕事の話は常日頃から繰り返し書き連ねているのでこの辺で。

 

 

音楽は相変わらず狂ったように聴いている。好きなアーティストのライブにはとことん行く、というスタンスが自分の中で流行っている。最近だと、ピロウズのアルバムリリースツアーには3回行ったし、ユニゾンのアルバムリリースツアーにはたぶん4回行く。ピロウズもユニゾンもツアー中にセトリを変えることはほぼほぼないので、同じセトリのライブを何回も観ることになる。同じ内容のライブを観るのは退屈じゃないのか、と過去の自分は疑問に思っていた。本当に大好きなアーティストのライブは何回も観ても飽きないことが分かった。1回目はライブの全体を楽しみ、2回目以降は個々人の演奏や音源からは変えている曲のアレンジ、「あっ、ここではこんなふうに動くんだ」と観察してみたり、ツアー中に聴きすぎてあまりにも曲との距離が近くなりすぎて、前回のライブの時に聴いたよりもすごく濃厚なライブ体験になったりもする。贅沢である。同じアーティストのライブに何回も行くよりも、様々なアーティストのライブを観た方が有意義ではないか、といった意見も散見されるだろう。ただし、私もアーティストも有限の時間を生きている。出来ることなら最上の体験がしたい。なので、生半可な気持ちでライブに行くことが出来ない。必然、大好きなアーティストのライブにしか行けなくなっている現状である。大好きなアーティストのライブを厳選に厳選を重ねて選んでいるつもりなのに、今年もライブ参加本数は60本を超えるだろう。だから行き過ぎだって。

 

 

読書のほうはどうだろう。購入する量は意図的に減らしているし、図書館で本を借りるようになって期限つきが必定化すると、自然本を読む時間が増えている。月に5,6冊は読めているんじゃなかろうか。ただ、これまでにたくさん買ってきた本を全然読めていないので、図書館で本を借りる行為は10月いっぱいでひとまず終了するつもり。

 

 

ドラマはこの間まで全然観ていなかったけれど、10月に入って面白そうなドラマが次々と始まっているので、ドラマ充になっていく気がひしひしとしている。

 

 

運動の方は頻繁にジムに通って、エアロバイク、筋トレ、ヨガ等をしっかりとこなしている。やはり身銭を切るというのは大事である思う。自分で汗水垂らして働いて手に入れたお金を払っているのだから、少し疲れている時でも「お金を払っているのだから」という理由が私をつき動かしている。ただそのような強迫観念的な考えがいつもプラスに作用するわけではない。過剰に疲労しているのに無理してジムに行って運動をしたせいで、次の日は久しぶりに嘔吐を繰り返した。なので、ほどほどの運動をこなしていこうと思っている。運動とともに食生活も気をつけなければならない。最近は平日の昼は社内でおにぎりを食べることが多い。外食に払うお金がもったいない、千円も払うなんて正気の沙汰じゃない、という理由もある。でもそれ以上に「別に仲の良いわけではない先輩とご飯に行くのがしんどい」からである。あとは自分の行きたいお店に行けないことも理由に挙がる。せめて昼休みくらいは自分の好きなようにしたいと思っているのである。出来る社会人はお昼休みに先輩と懇意になって、仕事でのコミュニケーションを円滑にするのだろうけれど、私はそこまで器用な人間ではないので、その辺の努力はもう諦めている。不器用という言葉が具象化し、人間になって歩いているようないきものが私なのである。

 

 

あとはゴルフか。先月まで尋常ならざる熱量でゴルフスクールに通って、武士の洗礼をじゃぶじゃぶ受けていた。しかし9月の後半から緊張がぷつりと千切れてしまって、1ヶ月近くゴルフスクールに通っていない。他にしたいことがあるのである。12月にゴルフコンペが開催される雰囲気がぷんぷん漂っているけれど、私はたぶん出ない出たくない家でのんびりさせてくれ。

 

 

ふと疑問に思ったことがある。このブログにたどりつく人はどのような手段を使っているのだろうか。このブログは何か特別なものに特化したブログではない。凡人がつらつらと日々の苦しみを書いている平凡すぎるブログである。それなのに毎日、一定数の閲覧が繰り返されている。一体どのような人がこのブログを読んでいるのだろうか。このブログは読者を殆ど想定していないで、自分勝手に書き連ねている文章が大半である。自分にしか分からないような文章の書き方をしている時もある。そのようなときも辛抱強くブログに付き合って頂いている皆様方への感謝はどのような形で返していけばいいのだろう。これからも淡々とブログを続けていく以外に方法がないだろう。なのでこれからも飽きることなく、たぶんたまには飽きるけれど、ブログを書き続けていきます。

 

 

恋愛の方について明るい話題を書ければよかったんですけれど、特に進展はございません。彼女と別れてそろそろ1年が経とうとしているのに、次の恋人への準備を殆どしていないのが現状です。今年の初め頃にちまちまとしたことをやっていただけで、地元に帰ってきてからは全くと言っていいほど恋愛に関するアクションを起こしていません。月1でご飯を食べにいくような仲の先輩からは、「さっさと恋人を作って結婚すればいいのに。街コン街コン!」と言われているけれど、まだそのような気分にはなれない。別に別れた彼女のことを引き摺っているわけではない。ただ、限られたプライベートの時間は自分の好きなことを全力でしたい年頃なだけである。もし仮に恋人が出来てしまったら、今のような生活は維持できないであろう。頻繁にLINEで連絡を取り合い、休日は土日のどちらか、もしくは両日が拘束されることになるかもしれない。家や職場が近かったら平日の仕事帰りにも会うことになるかもしれない。そんなことになってしまったら、一体私はいつ本を読んだらいいですか?運動をしたらいいですか?ドラマを観たらいいですか?家族とバラエティを観る時間は確保できないんじゃありませんか?あまりにも悲観的に書きすぎた。そこまで恋人に拘束されたら私はノイローゼになって、スマホをそっと鞄の奥底にしまったままにしてしまうだろう。大丈夫、実家の住所は教えていないはず。平日の夜23時。不意に鳴るインターホン。不審げに母がモニターを見ると、そこにはひきつった笑みを浮かべた女性が立ち尽くしている。「あんた、誰か来ているわよ」恐怖で私は発狂するだろう。そんな未来が徐々に近づいているかもしれない......。というような妄想をしてしまうほどに女性に対して恐怖感はあるから、まだまだ恋愛には積極的になれないんです。

 

 

遊びすぎている、という自覚はあります。ライブに行きすぎている、旅行に行きすぎている、本を読みすぎている、音楽を聴きすぎている、などなどなどなど。主に親から指摘されることが多く、別に親に迷惑を掛けているわけではないけれど、申し訳ない気持ちが身体に充満してしまうもので、本能では「もっと遊びを減らそう。社会人なんだし」というよく分からない理由で自分を納得させようとしている。それでも気づいたらライブに行ってるし、旅行に行きまくるし、本ばかり読むし、音楽の聴きすぎで若干難聴気味になるし。あなたはどうしたら遊ぶのを止められるの?無理なんです、申し訳ないですけれど。遊んでいるときに感じられるあの幸福感がないと、私は生きている価値を見出せないのです。仕事で充実感を得られることができるのであれば、仕事から帰った後のプライベートの時間は軽く晩酌ぐらいで済まして早く寝ることが可能なのかもしれない。でも私は今の仕事で充実感を感じたことが一瞬たりともないのです、残念なことに。やりがい?そんなものはとっくの昔に犬に食べられちまったよ。日々は意味があるんだかないんだかよく分からないような雑務の繰り返しで、気が狂いそうになるよ。もしかしたらこんな状況でもまともでいられることが狂気に堕ちている証左かもしれない。なので私は、この歪な世界でサバイブしていくために、今日も全力で遊ぶのだ。

 

 

これからも楽しい人生を全力で生きたい。死ぬ間際まで、心を楽しい気分でいっぱいにしたい。そのつもりでこれまで生きてきたし、これからも生きていくのだろう。