眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

脳が捩れるくらいに頑張れば、何かが変わるのかな

ここ数年、特に大学生になったあたりから勉強するのを怠ってきた。それはモラトリアムの享受であり、単純にややこしいことを考える体力がなくなってきたせいでもある。社会人になっても高校生の頃のようにシャカリキに勉強すると思っていたが、蓋を開けてみるとそんなことはなく、だらだらと怠惰な日々を過ごすことになった。1,2年はそんなだらだらを楽しんでいる節はあったが、4,5年と経ち、同い年の人間が一端の活躍を眺めているだに、「自分はなぜこんなところで立ち止まっているのだろうか」という焦燥に駆られることが多くなった。努力という行為が頭からすっかり落ちてしまって、ただ目の前にある享楽物をがぶりがぶりと楽しんで、無為に日々が過ぎていく。

 

 

眠れない夜なぞは自分の現在の状況を深刻に考えたりして、そのくせ現場を打破するような行為は一切しない。めんどくさがりな性格がここで私を立ち止まらせている。こんなところでうだうだしている場合じゃない、周りの諸先輩方のように立派に働き、誠実に会社に貢献しないといけないのに。そんなことは自分の好きな音楽を聴いていると綺麗さっぱり忘れてしまって、「早くリタイアしたいな。南の国の島でのんびりした生活を送りたい」と呑気なことを考えている。

 

 

転職したいという気持ちは、今の会社ではもうダメだということの裏返しである。しかし、よくよく考えてみると、今の状況すらあっぷあっぷな私にとって転職したとしてもあまり変わらないのではないか。エレベータで一緒になった会社員の、あまりの品のなさに、「今の会社の人はそこそこ普通な人が多いのかもしれない」と気付いた。あなたは恵まれている、だから今の会社で頑張りなさい、という親の言葉が私の心を揺り動かして離さない。確かに、ある側面では私は恵まれているだろう。側から見たら「なんていい会社なんだ」と言われるかもしれない。しかし所詮、他人は他人だ。他人と比較して恵まれていると思っても、自分が辛い辛いと感じていれば、どうあがいても辛いのである。会社を辞めて、少し休憩をしたいのである。

 

 

根本的な話、私は人間という生き方が合っていないのかもしれない。うまく人とコミュニケーションが取れず、些細な報告ですら謎に怯えて伸ばし伸ばししてしまうし、人混みの中でふと感じる虚無感はすさまじくて、出来ることならば自分の部屋で、布団の上で、買い込んだ本を淡々と読み続けていたい。家の外に出れば私を傷つけるような存在がたくさんおり、おちおち心の休息を取ることすらままならない。小さな頃はそんな風に周りに対して緊張するということがなかった。自意識が異常なまでに発達してしまったのだろうな。

 

 

これからどうしていくのか、どうしていけばいいのか皆目見当がついていない。なので、現状をだらだら続けていくしかないのだろうけれど、そんなことを続けていたことをいつか後悔する日が来るかも知らないので、早め早めで自分の身の振り方を決めないとな、と思っている。そこまで深刻には考えていないのが深刻なのだけれど。