眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

263日目「独特な視点」

ようやく自分が所属しているグループの構図が見えてきた。登場人物は三人。一人はおとぼけた調子を演じつつ、部下がきちんと仕事をしているのかを鋭く観察しているようである。普段はそんな様子はおくびにも出さず、のんびりを完璧に演じているが。一人はおなじみのとんがりさん。はきはき、きびきびとした行動を基本理念としており、曲がったことを忌み嫌っている。一見すると取っつきにくい印象を持つが、よく観察していると隙だらけ。その隙をちょうどいいタイミングで突いてみると、上手く事は運ぶと思われる。私は臆病なのでそんなたいそうな真似はまだしていないし、今後もするかは微妙である。そして最後の一人がグループのキーパーソンであり、ムードメーカーでもある教育係の先輩。私が名古屋に来てからお世話になりっぱなしで、基本的にはこの先輩から仕事を貰うスタイルを取っている。軽妙に軽口を叩きつつ、仕事はしっかりとこなし、ネゴもお手の物という尊敬する先輩。自身のことを「ぐだぐだの営業」と形容するが、そのような営業スタイルを確立するのはそう簡単にできることではない。どれだけ先輩が苦労していることだろうか。あまり職場にいないし、いても事務仕事に追われている先輩の姿を見ると、「上に上がっていくと先輩みたいに厄介ごとを上からも下からも押し付けられるんだろうな」と暗澹とした気持ちになる。そして私を含めた四人でグループは構成される。

 

 

朝、会社に行くとのんさんがネットニュースを舐めるように観ていて、独り言を呟いていることが多い。それは独り言なのか、でもよく聴いたら誰かに話しかけているような気がする。何か返答したほうがいいのだろうか、と迷っていると先輩二人のどちらかが変化球な豪速球で投げ返し、それに対してのんさんはご機嫌のご様子。私も先輩みたいに返答をしたほうがいいんだろうけれど、先輩にも返事をしてあげた方がいいよ、と言われるけれど、まだ自分の発言に自信がない。超えてはいけないライン、というものがはっきりと見えていないので、それが見えてからはどんどん突っ込みを入れていこうかなと思っている。とんがりさんはそれはもう、包み隠さず嫌味(というよりかはじゃれあいみたいなもの)を二人にぶつけていて、それを苦笑しながらうまくかわしている教育係の先輩を見ていると、「ああやって何とかかわしているけれど、たぶんいい気はしていないだろうな」というのが率直な感想。とんがりさんのそれは急に発動して、二人に向けられる。私はグループの中で存在感がないので標的にされることはないけれど、いずれ仕事を覚えていっぱしの存在を見せつけないといけない頃にはぎしぎしといじられているだろう。私の前任だったものは今は昔だが、その類まれなる存在感で先輩方をいい意味でも悪い意味でも愚弄して、可愛がりを受けていたそうな。その話を先輩から聴くたびに「あいつはやっぱり独特な奴だったんだな。私の見立ては間違っていなかった」と安心するとともに、嬉しそうにその後輩の事を話す先輩を見ていると、少しだけれど嫉妬が湧いてくる。そんなに長い期間いたわけではないのに、車中で先輩との雑談に詰まるときのその子のとんでもエピソードを聴くたびに「いっぱいやらかしているな」と思うとともに、「私もあいつみたいに先輩に迷惑をかけたほうが、先輩にかわいがってもらえるのかな」なんて考えなくてもいい愚考に頭を使ってしまう。自分ではそんなにでも、と思う作業スピードでも、先輩に「おお、もうできたのか」と言われると嬉しい。でもちょっと抜けていたほうが可愛がりがいのある後輩とみなされて、もう少しはくだけた調子で接してくれるんじゃないのかなあ、なんて思ってみたりもするのです。

 

 

今日はまさかまさかの三人から仕事を振られた。でも大した内容でも物量でもなかったので午前中にさくっと終わらせて、午後は初めて一人運転を試みた。別にその場所へはバスを使っていけなくもないんだけれど、そのときの私は無性に運転したかった。普段は助手席に先輩が座っていて、その先輩の視線が気になって運転はがちがちであったが、今日は一人。気負いすることなく、平静を保ちながら二時間弱の運転を楽しみました。自分ではそこまで力を入れていないし緊張もしていなかったつもりだったんですけれど、いざ社内に帰ってデスクについてみるとぐてーーーっとした疲労に襲われました。ああ、心地よいぞ。このままデスクに突っ伏してひと眠りをしてみたいものだ。そのあとはさくっと時間が流れ、定時になるとちょっとどぎまぎして、それからさくっと帰った。未だにこのスタイルが正しいのか、先輩に疎まれているのでないかとひやひやものである。現実はゲームよりもスリルがあって楽しい。一度しくじると、そこから這い上がるのに自分の時間と体力を存分に使わなくてはいけないところは特に痺れる要素である。

 

 

家に着いても誰もいなかった。もうこのまま寝てしまってもよかったが、図書館に行って予約しておいた本を受け取りに行けなければいけなかったので、自転車で図書館へ。夕方、あと少しで夜に突っ込んでいくような時間帯の図書館は妙にまどろっこしくて、だるさを纏った老人のような気分がうろついていた。ささっと手続きを済ませ、家に帰り、届いていたMy Hair is Badの新作を聴いてみる。うーん、いいんだか悪いんだかよくわかんないや。明日も聴いてみよ。

 

f:id:bigpopmonsterpro:20190625184924j:image

 

 

 

今日借りた本の中で一番気になっていた高山羽根子の「居た場所」をさっそく読んでみる。最初の短編からぐいぐいと引き込まれる出来。無理しないで、自分のペースで読書ができる文体って、最高だ。当分は読書の時間で溢れかえる日々を送れそうです。

 

 初めてひとり暮らしをした日の夜、人はどんな食事をするんだろう。私が経験したことのない、その食事というのは人にとってどんな意味を持つものなんだろう。自分が暮らすために持ってきた荷物の包み、荷ほどきもまだ済んでいない荷物以外になにもない部屋で、初めての場所で、初めて自分のためにだけ買った食べもの。食べたことのない、島以外の場所でとれた魚や野菜、初めての蛇口から出す水を飲む彼女。初めて会ったとき、私の手から、冷たい紙パック入りのお茶を受け取った彼女の手。
 私は床に倒れたまま手を伸ばして、左右を探り、彼女の指先を見つけるとつかんだ。指先が、勘ちがいかもしれないと思えるくらいほんのかすかに握り返してきたと感じたことにとても安心して、私の意識はそこでとだえた。

高山羽根子「居た場所」p78-79

 

とにかく読みやすい文章である。特に展開がころんころんと変化するでもなく、主人公の私にそっと寄り添って、妻の小翠が以前一人暮らししていた場所に行った時の描写が上記で引用したものである。文章の一文一文が丁寧に紡ぎあげられているのをひしひしと感じ、それをすーーっと飲んでしまうかの如く読み進めていくのがこのうえなく気持ちい。前作「オブジェクタム」も凄まじい作品で、その時は文章の読みやすさよりも話の方に頭がもっていかれていたので、高山さんの優しくて心地よい文章に気付きませんでした。なんて美しい文章なのだろうか。私も小説家であったら、彼女のようにきれいな文章を書いて、読み手の心をぷるぷると震わせてみたいものである。

 

 

居た場所

居た場所