眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

201日目「いつまでたっても職場になじめない私へ」

バリバリと仕事をしているときの気分はどんなだろうか?私も違う道を選んでいたらそんな気分を味わうことができたのかな?

 

 

この一年間を形容するなら、「潜っていた」という言葉がぴったりな気がする。成長をすることなく、かといって劇的に落ちぶれるわけでもなく、ただ同じところで「潜っていて」、誰にも気づかれていなかったような気持ちがとまらない。私はもっと自分という存在を高めたかった。それは単なる願望に過ぎず、それを決行するほどの意思が私にはなかった。否、あのような環境ではそのようなことを思い浮かべるのは甚だお門違いというやつか。頼れるような、自分を最大限吐き出してぶつかっていけるような、そんな素晴らしい先輩は私のチームにはいなかった。否、あれはチームというよりかは個人個人が無理くり押し込められたケージと言った方が相応しいだろう。各々が各々を監視しあい、愚行とみなされるような行為が露見されたら直ちにそれを糾弾するような言葉、雰囲気が漂うまとまりだった。あそこにいるのはひどく窮屈で、最後の方は違う島に避難していた。あそこにいると、自分がひどくみすぼらしい存在に思えてきて、苦しくて仕方がなかった。下手な真似を取らなかったことは本当に褒めてあげたい。私はあのかたまりのなかで、ちゃんと一年間生き延びたのだから。

 

 

仕事があれば時間の流れるスピードはぐんと上がる。今日はそれが顕著で、節々に緊張を漂わせつつ進むその道のりはなんとも有難いものであった。ただ、自分の意思とは関係なく進まざるを得ないような今の状況はどうしても窮屈で、いつなんどき先輩の急な頼み、否、命令に心を突き刺されるのかしら、と震え続けるのは体にも心にもよろしくない。はっきり言ってこんな状況に甘んじている自分を蹴飛ばしてやりたい。ただ現実問題、私はひどく人見知りで、小さな頃はそれがどのような内容であれ、声を発することに対してどうしようもないほどに緊張していた。声を発したが最後、しょうもない誰かにやいのやいのと付き纏われるのではないかという危機感がいつも漂っていたような気がしている。今だってその感覚は抜けきれないが、あの頃よりかはだいぶましになった。しかし、一丁前にペラペラと話通す人間を見るたんびに、「自分もあんな風に思っていることを吐き出してみたいものだ」と、思ってもしょうがないことを考えてしまう。中途半端に手が届きそうもないところを無性に夢見てしまうのが人間というものなのだろうか。

 

 

昨日も今日も、仕事が終わって家に帰った時にグビグビとビールを飲んでやった。そうしないとどうにも平静を保っていることができそうになかった。アルコールを摂取してしばらくしたらやってくるあの鈍痛にも似た感覚で現実を誤魔化していないと、朽ち果ててしまいそうだったから。アルコールに頼らないのが一番だけれど、今の私には気軽に話せるような友人がいないし、ふんわりと包み込んでくれるような恋人もいない。家にあるのは膨大な数の本ばかりで、この山を眺めるたびに、「なんでこんなにも買ってしまったんだろうか......」と切ない気持ちに襲われてしまう。読みます、生きている間には何としてでも読みますから。どうかそんな恨めしそうな顔で私のことを見ないでくれないか。

 

 

薬が切れてしまったから、他の薬で代用しているけど、うまく効かないや。早く病院に行って適切に処方箋を頂かなければならないのに、引っ越しのせいで休日が縛られてしまう。次の土曜日は冷蔵庫と洗濯機を回収してもらうために午後の時間を潰してしまうことになった。当初は他のリサイクル業者に頼んで1万円で引き取ってもらう手筈だったが、他の業者は買い取ってくれるとのことなのでそちらに甘んじてしまったが、当日が来るまではそう安心していられない。というか、今度の土曜日に二つの電化製品を引き取ってもらったら、あとの1週間が少なからず窮屈になるであろうことは想像していた。ただ、そんな直前になって引き取ってくれるような業者はいないだろうという私の悲観的な考えが妨げてしまった。1週間、どうか何事も起こりませんように。もうこれ以上か傷付きたくないんだよな。かと言って傷付くことからはどこまで行っても逃げ切れることは出来ないのだから、いっそのこと真正面から傷付くことを受け止めたらどうだ。......ちょっと考えてみたけれど、無理です勘弁してください。早く明日よ終わってくれ。