眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

自分の頭で考えたい

今までの人生の中で、私は真剣に物事を考えたことがあっただろうか?向き合いたくないこの問いを自分に投げかけたのは、私が今とてもしんどい思いをしてて、一刻も早くその場所から遠ざかりたかったからです。

 

 

 

仕事ができない。この厳然たる事実に対して、私は成す術がないと思っていました。仕事ができない、という漠然としたイメージを解剖していくと、

 

 

「人の話していることが分からない」

 

「会社で取り扱っている商品の理解ができない」

 

「緊張してしまって、些細なことでも質問できない」

 

「仕事の進め方がめちゃくちゃで、先輩に怒られる」

 

 

その他諸諸、思い出したくもないあれやこれがぼろぼろと零れ落ちてきます。仕事から帰ってきて、休むのではなくその日のうちに、「どうして仕事ができなかったのか」という現実と向き合わなければならなかったのですが、プライベートでは一切仕事のことなんて考えたくなかった私は「できなかったこと、していくべきこと」を放置し続けてきました。見ないようにしてきました。それをずっと続けてきてしまったせいで、そろそろ社会人五年目に突入しようとしているのに、入社時からまるで成長していない自分がスタート地点で突っ立っています。スタート地点にいる限り、自分のできることなんて少なくてちっぽけで、そんなことをしてても仕事をしていて達成感を得られない → やりがいを感じられない、仕事をしていてもおもしろくない → 仕事を辞めたい、という思考の順路を辿ります。しかし、頭がパニックになっている状況だと、「仕事を辞めたい」という選択肢を素通りして、「いっそ死んでしまってこの状況から逃れたい」という選択肢をうっかり選んでしまいそうになります。後者を選んだほうが手っ取り早く苦しみから逃れられる、という妄想に取りつかれていたのです。今もそれは完全に取り除くことが出来ず、不意に私を誘ってきます。それについて考えているとき、苦しみからふっと離れることが出来て気持ちいいのですが、あとでずしんと重たいものを背負わなければいけなくなってしまうので、あまり考えたくはないんです。しかしながら、最近は無駄な残業続き、恋人との別離、仕事がうまくいかない、プライベートを楽しめない、という負の事柄が続いてしまっているせいで、ついつい手を出してしまいそうになります。どうしたらいいんだろ、これ。人生長いよ、一体いつまで、続くんだろう......。

 

 

 

今までの人生を振り返ってみると、反射ばかりを繰り返してきたなと後悔しています。ある物事が起こったとき、それについて深く考えることはしないで、今まで取ってきた行動を反射的に繰り返してきました。反射していれば、考えるという非常に労力のかかる行動をしなくてすむので、短期的な視点からでは効率的な行動のように思えます。しかし、反射ばかりを繰り返してているとそれが癖になってしまい、今までとは異なる状況下に置かれたときも、反射という楽な手段でその場を乗り切ろうとします。周囲の諦めなどからその苦境を脱したように思えますが、心身が鍛えられていなので、次によりしんどい事柄が迫ってきたときにうまく対処することができなくなってしまい、自分を追い込んでしまうのです。

 

 

 

他者に助けを求める、という行為が非常に苦手です。それは人と関わることに対して小さい頃から苦手意識を持っていて、それを改善してこなかったせいで、今もその苦手が持続しているのです。