眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

一人で生きていくということに意味を見出したくて

東京の街を歩いていると、嫌と言うほど目にする人人人。それらの人を眺めていますと、時折見かけるラブラブそうなカップル。そのあまりの幸せそうな感じに神経がグラッといってしまいそうになります。「いいな、いいな」と嫉妬の念を燻らせながら、カップルを視界から除外したくていつにも増して早くなる歩行。彼らが視界からいなくなり安心したのもつかの間、また別のカップルを発見して......というのを繰り返して、さすがにこのような心の動きをどうにかしないとなあ、と。なぜ、幸せそうなカップルをみると心中穏やかではない気分になってしまうのか。そんなものはじっくり考えなくてもあっさりと答えは導き出されます。私には恋人がいないから。昨年まで、私には恋人という存在がおりました。そのような存在がいた頃は、街中でいちゃいちゃしているカップルを見かけても、微笑ましいものを見つけたような気持になっていたと思います。人は自分が持っていないものを見ると、普段は意識していないどす黒い感情を刺激され、どうにもこうにもなくなってしまうようです。なので、さっさと恋人をつくって、街中で公然といちゃいちゃしちゃいたいな、でもそんなのみっともないから、家でいちゃいちゃしたい!なんて風には考えられないのです。5年ほど付き合っていた恋人とは最終的に愛情が無くなってしまったため別れたのですが、別れるときに思っていたのは「当分は恋人はいらないや」ということです。生まれてから今に至るまで、私は一人でいる時間をこよなく愛していました。人とコミュニケーションを取るということが苦手であり特段必要としてこなきませんでした。しかし、そんなことでは社会では生きていかれぬ、と考えた私は大学三年生の時に一念発起して恋人を作りました。それからはなんとかかんとか恋人とうまくやってきたのですが、休日、彼女といるときにたまに考えてしまうのが、「ああ、早く一人になって読書を満喫したい」という不埒なことでした。彼女は私の事を束縛するような人ではなかったのですが、少々淋しがりやなところがありまして、ちょこちょこかまってあげないと不貞腐れ、面倒な事態になることは往々にしてありました。そんなことから、恋人がいるから毎日ハッピー、なんて単純なことはなく、面倒なこともひっくるめて恋愛をやっていくしかないんだな、ということがとても印象に残っています。

 

 

彼女と別れてからというもの、一時期は恋人を作ろうと努力していた時期もありましたが、今はもうどうにでもよくなってしまいました。率直に申し上げますと、恋人を作ろうとする努力が面倒だな、と痛感してしまったのです。マッチングアプリに費やしている虚しい時間を読書やゲームに充てたら、充足した人生を送れるということに気付いてしまってから、てんでアプリを触ろうともしていません。本当は、根っこの部分では、恋人という存在を手にし、心の底から安心した気持ちになりたいとは願っているのですが、残念ながらめんどくさがりな私はそのような手続きを踏んで自分の貴重な時間を使ってしまうくらいなら、自分の趣味にその時間を充てていたほうが有意義だな、と思ってしまったのです。

 

 

さて、心の底から「恋人が欲しい」と願い、実際に恋人ができるような努力をする、という時期が私のもとにやってくるのだろうかというのが現在危惧していることです。いずれは結婚したいな、でもそれは今ではないな、とずるずるやっていった歳になっていた、なんてことがありうるかもしれない。でも、そうなったらなったでその状況を受け入れていくしかないよな。さて、今からどっぷりと読書をして一人の時間を満喫するか。

 

人生パンク道場 (角川文庫)

人生パンク道場 (角川文庫)