眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

明日もし、

似たような毎日を繰り返していると、今日がいつか分からなくなって、ここがどこか分からなくなって、終いには自分が誰なのか分からなくなる。最高、日々を繰り返すのはまさに終わらないパーティを繰り返すかのよう。テーブルマナーに異常に固執していた叔父の強張った顔が思い出される。ステーキにざっくりとフォークを突き立てたときの叔父のあの顔を一生忘れることはない。愉快なことはいつまでも続かないなら、いっそこのくだらない時間を愉快だと思うことにする。人生は自分の考え方次第で如何様にも変えることができる。どんな出来事も、視点を変えたら耐えられると信じたい。どんなにしんどいことだって、頭の中であいつに思いっきり蹴りを入れてやればいつしかもやもやは晴れて、少しばかりスキッとした気持ちになれる。共同経営者が東南アジアの人だった親戚は元気にしてるか。親戚とは会わなくなって10年が経って、それで平常が続いていることが健康にやれている証拠。いつまでも幸せは続かないし、いつまでも不幸せは続かないように、その苦しみも風化して、いずれ忘れ去ってしまう時がくる。そのサイコーな時をえんえんと妄想し続けて朝。満員電車の中にできたくぼみの部分を狙え。頑なに入場者を拒むおっさんのつるんと向けた頭皮の刹那、輝きは失われる。太宰みたいに絶望的なまでの悲観さは持ち合わせていないけれど、そこそこ辛いとは身に染みている。そこで他人と比較するのはよくない。それぞれ、許容できる苦しみは異なるんだから、自分が「だめだー」と思ったら逃げろ。一目散に逃げろ。後ろなんか振り向いちゃいけない。前へ前へ、今までの自分では出せない、と勝手に決めつけていたそのスピードで進み続ける。いつかその走った記憶も懐かしい大切な思い出に変わる。明日は如何様にも変えられる。

 

 

それにしても、平日にコラボ商品を出すのはやめてもらえないですか、本当に。