眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

大学生のときにたくさんの人と出会っておくべきだった

家にいると心が腐っていくような気がした。ドラマはたんまりと溜まっているし、借りてきた本は殆ど手つかずのまま本棚に並んでいる。平日に楽しめなかったぶん、休日にどばっとそれらを楽しもうと決めていたのに、いざ休日を迎えてそれらに手をつけようとすると楽しむ気持ちはなくなって、楽しまなくちゃ、と逸る気持ちで苦しくなる。そんなんじゃ到底楽しめるものも楽しめないし、時間の無駄だ。それでもだらだらとゲームを続けて下らない気持ちを燻り続けていたのは、なんとしてでも休日を充実させないと、という謎の使命感に駆られていたからだ。誰のための休日なんだ。パートナーがいなくなってしまった今、休日は私一人のためだけにあるのだ。私一人だけ。なんて悲しい響きなんだろう。それでも現実問題一人なんだし、今のところ恋人を作る予定はないので、当分の間、休日は私のものだ。恋人か。どうやって作るんだろう。大学時代はサークルに加入していて、そこで毎日わいわいやっていたから、サークルのメンバー殆どとはいろんな話をしたし、たくさんご飯を食べに行った。馬鹿をたくさんしたし、それが凄く楽しかった。何年もそういうのを続けていたら必然的に仲はよくなるし、相手の良い面も悪い面も見ることができる。そこで、「この人と付き合ってみたいな」という気持ちが生まれ、せっせと努力してし自分のことを見てもらえるようにし、頃合いを見て告白した。そういう機会は自分から積極的に作っていかないと、会社勤めをするようになってからは皆無というか0だ。なのでこの間マッチングアプリを試してみたが、あんなのではだめだ。全く相手のことが見えてこないし、人間を機会的に取捨選択していることにおぞましさを感じた。私が今切り捨てた人にもたくさんの物語を抱えていて、私ともし話す機会があったら波長があうぶぶんもあったかもしれない。その機会を無残に切り捨ててしまった自分に嫌気がさすし、かといって一人一人にいいねを押していたらきりがなくなってしまう。根本的に、このシステムは脆い土台の上に立っていたのだ。

 

 

かといって、社会人サークルというもので人と「繋がる」、ということにも不信感を抱いている。大学生の時、大学の近くを歩いていると高校の同級生に会った。そこで「フットサルをやっている社会人サークルに入っていてとても楽しいんだけど、お前も入ってみろよ」と軽い感じで誘われた。就活も終わって弛緩しきっていた心は軽い刺激に飢えていたので、すぐに返事をした。結論から言うとそのサークルはとある新興宗教のサークルだったわけで、純粋にスポーツをして今まで会ったこともない人と会って刺激を受けようと思っていた自分は少なからず失望した。新興宗教は危ない、と一方的な偏見を持っているわけではないけれど、人に流されやすい優柔不断さを兼ね備えている自分がここにいたらいつか痛い目を見るだろう、と同級生を即座にブロックして学校の通り道を変更した。

 

 

そのあとも、本屋で本を選んでいるときに変な勧誘をしてくる奴に遭遇して、それから社会人サークルには良い印象を持たないようになった。そんな体験ばかりしてしまったので、とてもじゃないけれど社会人サークルに入ろうという気分になれない。でも、そんなことを言っていたら会社以外に知り合いが出来ないし、と思い立ってネットでいくつか調べていたら胡散臭い感じがぷんぷんしているのが見つかってげんなりした。もうちょっと上手にやれよ。

 

 

ということで、当分は一人で寂しくも逞しく、人生を送っていくことにします。さて、結婚できるようになるのはいつになるのかしら......。