眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2018年2月5日(月)

Netflixに加入した。「ストレンジャーシングス」が巷で大流行しているそうなので、今すごく暇だし見ておこうかという理由で加入して、「おそ松さん」を2話見てから1話を見たがあまりおもしろくなかった。これから徹夜してしまうほど引き込まれてしまうものなのだろうか。2話を見るのが正直めんどい。

 

筒井康隆虚人たち」に挑戦してみた。読んでも読んでも自分を取り囲む霧が一向に晴れなくてとても読みづらいな、これ面白くなるのかなと不安に思っている状態がえんえんと続いている状況です。これを乗り気ったら面白くなる、と思って読み続けても前に読んで理解が乏しかったところがあとからどばっと私には覆い被さってきて、読んでいて一時たりとも油断できない。果たしてこれは読むに値する小説なのだろうか。

 

中島京子「妻が椎茸だったころ」ははっきり言って底が浅すぎて、期待していたぶん大袈裟に躓いてしまった。あまりにもオチが短絡的すぎ。百田尚樹「幸福な生活」のあのくだらなさを思い出した。

 

「椎茸の学名はLentinula edodesといって、このedodesが、江戸です、と読めるから日本のものだという話があるけれど、本当はギリシャ語のであり、〈食べられる〉という意味なのだそうだ。 ギリシャ文字の丸々したところは、なんとなくかわいい。とくに、oに尻尾が生えた、おたまじゃくしみたいなのが二つ入っているところが好きだ。おたまじゃくしに見えるだけじゃなくて、それじたいがキノコのようにも見える。逆立ちしたキノコ。キノコが二つ並んでいるのはとてもかわいい。一つだけでは、あまり魅力的に思えない。 キノコといえば、子供のころに読んだ『キノコとキノコ』という話を思い出す。 キノコという名前の女の子が森に迷い込んで、自分そっくりのキノコと出会う話だ。もしかしたらこの話を読んだから、キノコは二つ並べたほうがかわいいと思うようになったのかもしれないし、それとはまったく関係ないのかもしれない。 そのキノコは茶色のおかっぱをしていて、赤いリボンをつけていたけれど、私は、あれは椎茸だったと思っている。 椎茸が二つ並んでいる姿はとてもかわいい。もし、私が過去にタイムスリップして、どこかの時代にいけるなら、私は私が椎茸だったころに戻りたいと思う」

 

○夢がとてつもないほどに恐ろしかった。そのせいか、腰がいたい。