眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2017年12月後半~2018年1月の記録

 

bigpopmonster.hatenadiary.jp

 

 上記の記事以降のだらっとした日常の記録です。

 

 

12/18(月)


同じ場所に突っ立ってても、突飛な発想や思わず唸ってしまうような思いつきは生まれない。ただ、「今日も昨日とおんなじことの繰り返し。意味なんてとうの昔に捨て去ったのさ」と心の中で愚痴るだけで、なんにも発展しない。どころか、人間としてどんどんレベルが下がっていっているような気さえしてくる。家に帰ったら、思いつきで買った本をパラパラとめくって、すぐに飽きてしまうと他の本をパラパラとめくって。結果、どの本も中途半端に読むだけできちんと中味を摂取することができずに読みきれない本が堆く積み上げられていく。そんな本の群れを見るたんびに「なんで買ったんだろう」と苦笑を禁じえない。買った本の金額を計算するととんでもないことになって心を欠けさせるので 、記録は取っているけれど集計はしない。いやいや、こんなこと考えていないで何かしら仕事をしたいのだけれど何もない。もう何もしなくてもいいって事なのですか。誰か、私に指示をください。ほんと、なにやっているんだろうな。

 


12/19(火)


仕事って、上司から教えてもらうものだっけ?それとも自分からずんずんずんずん学んでいくものだっけ?両方をバランスよくやるのが理想なんだろうけど、最近、誰かから物を教わるということが極端に減った。一番近い先輩が消失して、さてわたしの直属の先輩は誰でしょうと考えても、その人にとっての直属の後輩は私ではないので、なんとも訊きづらい。そこでスパッと、ビシッと、スパパパパっと訊かなくちゃいけない、お金貰っているわけだし。いやあ、困りましたねって状態が半年以上も放置されていて「もう辞めたい」という苦悶を何百回と抱き続けて、体のそこここが磨り減ってしまって体が少し軽くなっている。そんなわけはないんだろうけど、そんな強迫観念に囚われているんだよな あ。無駄無駄、こんな考え無駄無駄。ぜーんぶ無駄だよ。

 

 
12/22(金)


お腹が痛い。今まで当たり前だったことがどれだけ有り難いことだったか思い知らされる。お腹が痛いとそこだけにしか注意が向かなくなり、しなければいけないことが出来ずにただただ悶える。はよ家帰って布団にくるまりたい。こんなにも痛みがあるのは、たぶん昨日、刺激物を大量に摂取したことと寝る時に掛け布団を羽織らなかったからだろう。寝るつもりはなかったが、マンガを読むのに疲れたので少し横たわっていた。そして意識を取り戻したときには午前6時43分だった。暖房はついたままだった。少しだけはながでて、ぼおっとした頭でもう一度目を瞑った。昨日、一昨日と同じような一日をまた今日も送るのか、そう思ったらどっと疲れが出て、どこか遠い所にでもぶらっと行きたくなった 。そんな欲求は組み込まれた仕事のシステムに一瞬にして消え去った。今日も就業したのだ。

 


1/10(水)


休みが長すぎると体調を崩す。外に出てアクティブに動く習慣を持ち合わせていないので、気づいたら一日中家に居て、体がずたぼろになっている。そんな日々を繰り返していたら、頭がおかしくなってしまう。先に心がやられ、次に体にガタが来る。がたがたの心身で新年を迎え、仕事が始まって少しは歩くようになったのでだいぶ楽になった。くだらないのなかに少しでも大切なものを見つけられたら、とは思っているが、ついつい楽な方向へ落ち込んでしまう。私は堕落に酔い痴れる弱い人間だ。それを真正面から認めたうえで、前へ進めるというものだろう。

 

 


1/18(木)


まだ木曜日。5連勤は長い。今年初のフル稼働は、やることがなくて疲れる。あるといっても数値の入力とか、知識がなくてもできるようなことで。ちしきよくが凄い。早く独り立ちしたい。誰かに頼られるような人間になりたい。そうなったら、承認欲求はけっこう満たされるんではなかろうか。今なんて、上司の「おお、早いね」という言葉ですら(これぐらいこんぐらいでできないと......)と思ってしまう天邪鬼ですから。


そういえば、勤務中にお菓子を食べなくなった。前は隙あらばグミを頬張っていたが、健康のことやご飯を美味しく食べることを考慮して、気づいたら間食の習慣がなくなっていた。喜ばしいことだ。間食のせいでお腹が馬鹿になって、常に満たされているといったおかしな状況に陥っていたから、今の状態はとてもいい。ただ、室内が乾燥してるせいか、異様に喉が渇いてガバガバとお茶を飲んでしまう。酷いときは一日に2リットル以上の水分を摂取していて、汗なんてかかないから、取り入れた水分はいったいどこにいっているんだ。汗なんてこれっぽっちもかいていないのに。


できるだけ考えないようにしてきたけれど、そろそろ今後のことについて考えなくちゃいけないと焦りを感じている。どうせまた「なるようになる」なんて思って放置してしまう気がするけれど、30が見えてきたので本腰を入れて取り組まなければいけない事だよな。と思っていても何をすればいいのかわからない。それっぽい自己啓発の本を読んで「あーやる気出てきた」と3日で萎む気持ちを抱えるのは嫌だから、自分の力で何とかやってのけよう、と考えているのが甘いんですよね。分かっているんです、分かっているんですけどどっかで他人事のように感じているのも確かである。あー、どうしよっかな。会社に残るか、抜け出して新しいことを始めるか。労働環境が劣悪になったら即刻辞めることを 考えるけど、ぬるすぎて逆にその辺をなあなあにしてしまうぶぶんがある。どうにかしなくちゃなあ。

 


1/19(金)


もう限界だ。何もしないで、ただ椅子に座って仕事をしている振りにも飽きた。こんな状況になってしまったのは一体どうしてなのか。上から下にきちんと仕事が回っていないせいか。それとも自分から仕事を取っていくという姿勢が私には欠如しているせいか。なんにせよ、何もしていないこの状況は精神衛生上、非常によろしくないことだけはわかる。早く異動したい。少々嫌なことが合っても、そっちのほうが今の状況よりかはましだ。といっても、いざそのような状況になったら「あのときの何もしなくても誰にも何も言われない環境は楽だったな...」としみじみしてしまうだろう。何にせよ、停滞して状況がえんえんと続くのはしんどい。誰か、仕事を分けてくれ。

 


1/23(火)


昨日の夜だいぶ前から抱えていたもやもやを彼女にぶつけた。ひどく雪の降り注ぐ夜だった。感情を溢しながらでも答えてくれたことに対しては感謝しているが、彼女の意見に100%同意はできなかった。僕には僕の譲れない価値観があって、それは違う視点から見たらただの頑固なのかもしれない。でもそれを曲げてまで付き合おうとは思わなかった。


「僕はこういうことに対して不満を持っている。だから今後はこのようにしてくれないか。もちろん無理にとは言わない。できる範囲でやってくれればいい。ただ少しだけでも努力をしてほしいな。もちろん、君が僕に対して抱いている不平不満もぶつけてほしい。できる範囲で改善するつもりだから」


付き合っていて、わくわくする気持ちが死滅した。ただ惰性で一緒に居る、引っ越すのが面倒だから今の状態をずるずるとひきずっているというよろしくない状況であったことはだいぶ前から気づいていて、見てみぬ振りをしてきた。時間が解決してくれると思った。そんなことはなかった。何も変わらなかった。それが僕は嫌だった。


「このまま関係が改善しないのなら、別れようか。そうした方がお互いの今後のためにもいいんじゃないか」と言った。すると、あっさりと「じゃあ引越しをする」と彼女は言った。そんなにあっさりしていいのかと戸惑った。いやまあ、もう少しこう「別れたくない!」と言うのかと思ったので拍子抜けだった。最後まで聞き分けのいい彼女を演じたかったのか。それとも、彼女にとってももうこの辺が潮時なんだと思っていたのか。ただ、「引っ越す」と言われて、僕は寂しかった。


いろいろ話し合って、今まで僕たちには互いの気持ちを伝える努力が欠けていた。めんどくさがらずに気になったことは逐一伝えようということで話し合いは終わった。0時40分過ぎ。眠い。話し合ったけど、おそらくいずれ我慢ならなくなって、また別れを切り出すと思う。次はもう未練も残さないほどに努力した後だろうから、その言葉を伝えて別れる段になったら清清しい気持ちになっているんだろう。そうならないことを願う。

 

 


1/24(水)


一ヶ月のうちに「ああ、今日は仕事をしたな」と思える日は多く見積もっても3日ぐらいしかなくて、他の日はただそこに佇んでいる。課における仕事の配分がおかしいんじゃないか。それはこの課に配属されたときから思っていたけれど、初めの頃は仕事がよく分かっていなかったから「まあ、こんなものなのか」と納得していた。でも仕事の雰囲気をなんとなくだけれど掴んでいくうちに「さすがにこれはおかしいだろ」と気づいた。上司が上司の機嫌を気にしすぎるあまり、下の状況を把握していないんだろうと推測している。怯えすぎなのだ。そして、傲慢に振舞い過ぎなのだ。それがおかしいことだと、仕事が効率よく機能していないことを彼らは理解しているのか。もし理解していて見てみぬ振 りをしているのなら、近いうちにこの課はうまく立ち行かなくなるだろう。まあ、私はあと少しで旅立つのでどうなってもいいんだけれど。今この時間に何もやることがない、そして終業時間まですることがおそらくないということが異常であることをどうか忘れたくない。

 

 


1/25(木)


起きているときの緊張が解れないままに寝ているせいか、ここずっと夢を見ている。愉快な夢なら特に文句はないが、どろっとした感じの、見終わった後にいやーな気分になる夢を見ることがある。例えば、不可解なことが立て続けに起こるがそれの原因が分からなかったり、ただただ不気味さが余韻としてじわっと残っている夢とかを見ると、起きて30分ぐらいはどうも調子がすぐれない。うまく睡眠を取れていないため、日中の大半は眠くて、またマスクの着用化が義務付けられているせいで、仕事をしているときはひたすらにねむみがすごい。こんなんじゃだめだと思っているけれど、でも現状を打開するためにどうしたらいいのか分からないから、特に何もしないで日々を送っている。日常に支障は きたしていないから看過できているが、ねむけがずっと取れないとか、まともにものを考えることができないとか、厄介な状況になったら対策を考えないといけないなあ。何ならそうなる前に策を練っておくのがいいんだろうけど、送りバント主義が身に染みているせいか、腰が重くてどうにも行動を躊躇ってしまう。どうか、今日は気持ち悪い夢を見ませんように。

 

 


1/29(月)



4日ぶりの職場は非常にゆったりとした環境で、落ち着きを取り戻すことができる。最近は家での時間はどうも窮屈で、あまり落ち着くとぴりりとした状況に落とし込まれるので、最低限の気配りが出来ていれば誰かにどうこうと咎められる事のないこの環境は素晴らしい。大した仕事を与えられていないので、締切や無理難題にやきもきさせられることもなく、のんびりと自分のペースで仕事を進められる。なんて素晴らしい環境だ。ただ、残念なことを一つ挙げるとすれば、ここにいても成長なんざなんら期待できないということだろうか。あまりにものんびりしすぎていて、自分を締め付けて成長させようという気分が全然起きないことだ。ここに後2,3年も放置され続けたら、おそらく人間としての向 上心が死滅して、どうしようもない人間に成り果てるだろう。だからこんな生活はあと2,3ヶ月ぐらいあればいいのだ。

 



自分の物差しを頑なに固持して、限られた時間の中でただでさえかつかつな状況で「迅速さと正確さ」を求める。もうあいつは何を言っても変わらない、と思われている上司は害悪以外の何者でもないだろう。そんなくだらない奴が上にのさばっていることのメリットはそいつの悪口を言うことで課員がほんの少しだけど「一致団結」できるぐらいだろう。正直そんなしょうもない団結なんて不要だから、そいつが居ることだけで周りの人に悪い影響を与え続けるだろう。ひょんなことで私はそのような場所から隔離されているので蚊帳の外から「大変そうだなあ」と思うぐらいだが、渦中の人たちはそれこそたまったもんじゃないだろうね。どうぞ頑張ってくださいね。

 



引き続き今週もマスク着用を義務づけられた。マスクを着用して効果があるのは感染者のほうであり、非感染者はマスクをしてもメリットは殆どない。マスクの網目よりもウイルスのほうが小さいので、せいぜい保湿効果ぐらいしかないだろう。マスクを着用することによって息苦しくなって眠くなったり頭痛を催したり、耳が痛くなったり眼鏡がずり落ちたりしやすくなるので、私のとってマスク着用はデメリットでしかない。もういいではないか。むしろマスクよりも手洗いうがいを徹底させるべきではないか。他人が自分の不注意でどうなろうが興味はないが、仕事が忙しいときに休まれて周りに迷惑をかけるのだけは避けていただきたいです。

 

 


1/30(火)



こんなにも暇に慣れてしまうと、常にやることがある(追われている)状況になったらどうなろだろう。嬉々として頭と手を動かすのか、それともやることの多さにげんなりして過度なストレスを感じてしまうのか。どうなるのかは今からのお楽しみとして、本当にすることがない。それを目ざとく見つけた後輩が「あー、せんぱあい、ひまでしょ。ぼくのぎょうむやってくださいよお。それぐらいしてくれてもいいでしょう。ぼくはいそがしいんですよ」と下手な仕事のせいで時間が足りなくなっていることを棚に上げてぺらぺらとしゃべっているのを軽くあしらう。「ひまなんだからいいじゃないですかあ。ぼくはね、」とえんえん愚痴混じりの自慢を聞かされる時間は無駄だな。絡まないでほしいと切 に願う。あと少しで私はいなくなるから、それまで静かにしておいてくれ。

 



ようやく筒井康隆の小説が読めるようになってきた。1年ほど前、職場で「アルファルファ作戦」を読んでみたがあまりにも合わなくて、2日で読むのを放棄した。先日、「大いなる助走」を読みきって、とても読みやすい文章なのにズイショにきらりと光る才能が粋だなと感じ、今までが自己満足で買い込んでいた筒井康隆を読み尽くしてやろうと思う。昔に刊行された物が多いので、本を買おうにも小口の研磨が気になってしまって買えない。ので、Kindleで読むようにしている。あと、保坂和志の「未明の闘争」がなかなか読み終わらない。それはある意味では幸せな読書体験なのかもしれない。がばっと読んでしまうのも好きだし、ちびちびと自分のペースで読むのも好きなので、これからも末永く付き 合っていくことでしょう。ようやく本の購買意欲を少しずつではあるけれど減退してきたけれど、まだまだ減らしていけるので、来月は購入数を5冊までにしたい、といっておきます。

 



何もしなかった仕事帰りは夜風がすんごく身に凍みて、「こんなんでいいのかよ。いいわけないだろ」と心の中で繰り返して、一人、寂しさを噛み締める。

 


1/31(水)


大学時代にたくさんの時間を共に過ごした人たちと大学を卒業してから全然会っていないなあと思い、どちらかが積極的に働きかけないともう会うことはないのだ。私は自分から他人に働きかけるのが億劫だと感じがちであり、地元を離れてしまったので、相手からの連絡がなければたぶんもう会うことはない。そして、今までの人生で他人から「会おうよ!」といわれた実績が殆ど無いので、大学時代の友人・先輩方はもう思い出の中だけの存在になってしまうんだろうな、と少し寂しくなってしまった。でもそれでいいのだろう。当時と比べ、仕事にもまれて変わり果てた旧友の姿を見て失望してしまうぐらいなら、思い出の中の勝手に補正された存在とたまに戯れているほうがよっぽど 有意義なんじゃないか。そんなつまらないことを考えながら、私の人生の時間はまた一秒削り取られていくのだ。