眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

苦悶の半年、そして

6/9(金)


大学生の頃に想像していた社会人の姿と今の自分の姿が全然一致しなくて笑えない。常に仕事を抱えていて、きびきびと動き、分からないことがあれば先輩に指導を仰ぎ、後輩から質問があれば適切に教えてあげられるような、そんな姿を思い描いていた。そんなできるやつはどこに居るんだよ。出勤してもやることはなく、ぽつぽつと先輩からこぼれてくる仕事を懸命に拾い上げ丁寧に仕上げる。ささっと終わらせてしまうと他にやることがなくて居心地が悪いから、何もやることがないと時間が過ぎるのがおそろしく遅いことにこの齢になって痛いほど実感している。ここでこんな風にすごしていていいのだろうか。違う場所で、自分を試してみるべきではないのだろうか。でも今の場所がそんなに悪い ということでもないから、こうやって半年以上もうだうだうだうだしてしまう。衝撃的なパワハラを上司に振舞われていたり、圧倒的なまでにしんどいノルマがあったり、仕事に対して全然興味が持てないとかだったら即刻そんなところは辞めてしまって新しいところで働き始めたほうがいいんだけど、そんなんじゃないしなあ。どうすればいいんだろうなあ、と半年も同じことを考えて、現実に向き合うのが億劫なので本や音楽で満足している。仕事でも満足したい、自分はメキメキと成長しているんだということを実感しながら働きたいのだけれど、今の環境では皆無。むしろ、学生の頃に比べて勉強の時間が減ってしまったせいか、頭の回転も遅い。濁った海の中で懸命にもがいているような、先輩から新しい ことを教えられてもすぐに理解することが出来ない、今までの知識とうまくつなぎ合わせることが出来ない。思考がへたっぴになって、アイデアもありきたりなのかしか思い浮かばなくて、平々凡々な生活をこれからも送っていくのか、本当にそれでいいのか、なあ今動き出さなければいけないんじゃないのか!どうなんだよ。と文章の中ではこうやって熱くなれるのだけど、現実問題は、ねえ。あーーー、いやだいやだ。

 

 


6/15(木)


やることがなくて途方にくれている。なんで何もないんだろう。なんで椅子に座って虚ろな目でパソコンのディスプレイを眺めて、ここにいるんだろうと不安を抱えて生きているのだ。いい加減ではないか、なんなんだこれは。嫌味ばかり撒き散らして先輩らしいことを一切しないあの人間は恥ずかしくないのだろうか、どの面下げて子どもの前に立っているのだ。不安が付きまとって離れる気配がない人生である。いつも何か得体の知れないものに怯えて、びくびくしながら毎日をやり過ごしていた、もう嫌なんだこんな生活、と思っても何も変わらないんだよ。生きている限りこのもどかしさから逃れることはできないのだろう、いっそ馬鹿を装ってへっちゃらへっちゃらと舞い踊ってみたいがそんなこ とをして正気に戻ったときの寂しさは寂寞としたもので到底耐えられるものではないのだろうな。つかさ、つかなんでこんな場所にふわーっと何もしないで居ることを良しとしているのか。時間は有限、気づいたら一生は終わっているのだ。だからこんなところでしょうもない油を売っていないで自分の道をしっかりと決めて、ここだと言うところで一点集中、力を発揮せしめるのが尋常な業というものではないか。自分の文書を振り返ってみると疑問形で自分の責任を放逐しているような気がして、たまらなく情けなくなる。現実の世界ではもごもごしていても、せめてネット上ではスパッとした物言いで行こうではないか。そうじゃないと生きてて恥ずかしくなる。どこかに立派な屋敷があるならそこでひっそり と暮らしてみたい、のんべんだらりとした心地に導いてくれ。

 

 

 


6/16(金)


文章を書くときは出だししか考えずに、どういう風に話が転がっていくかとかどんなオチをつけようとか一切考えずにだーーっと書いてしまう。この間文章の書き方の本をちらっと読んでいたら「しっかりとした文章を書くには設計図をきちんと描いてから書くべし」と書いてあった。そういう書き方もあるのだろう。でもそうやってあらかじめ書くことを考えてしまっては、思わず出てきてしまったというようなびっくり箱みたいな文章は書けない。第一、私が文章を書いているのは書いているときの快感が好きなだけで、完成品にはそこまで興味を持てない。先のことを考えずにがんがん書き進めていくときの得も言えぬ心地よさのために文章を書いている。私が書く文章はあまり読み手のことを考えな いで書いている。というか読み手を満足させられるほどの技量をまだ持ち合わせていないので、とりあえずは「自分」を満足させられるような文章が書けることを目下の目標にしている。文章の書き方といった類の本は作者のエゴが押し付けられるようで、どうも読む気が起きない。今まで積み重ねてきた経験と直感を信じて、自分の思ったことを書くだけだ。何かを調べてそれを読者に教えてあげられるような文章は書かないようにしている。そういったのは専門化がもっともらしいことを既に書いてあるだろうし、そんなことを書いても私はあまりおもしろさを感じることができない。

 

 

 


6/19(月)


太っていることが嫌だと感じるのは体の動きが痩せていた頃に比べてのっぺりとしてしまうこともあるが、他社からの評価がうっとうしく感じられるからだ。「あれ、太ったんじゃね?」というような言われた側がどのように感じるのかを一切考慮しないでぶちまける人が居る。「どうして太ったの?食べすぎなんじゃないの?食事を制限したほうがいいんじゃない?じゃないと死んじゃうよ」とまで言ってのけたあいつのことは忘れないからな。森の中で一人、動物と戯れながら暮らしてて、偏った種類の木の実の食べすぎで一時的に太ってしまうことはあるかもしれないが、じゃれあっている動物は私が太ったことについて一言もイヤミなことを言わないので、太っていることに関して引け目を感じない だろう、嫌な思いをすることはないだろう。仮に膨らんだおなかをぷにぷにとつついてきても、愛らしいやつだなあと余計に愛情を注いであげたくなるのではないか。その点、人間というやつは言葉という危なっかしいもので平気に人を傷つける。大人になるにつれて人に言ってはいけないことを学習していくのであるが、そんなものが存在することさえ知らないような無知な人間や、もっと邪悪な者になるとこういうことを言えば相手は傷つくだろうと己の剣を常に磨いているようなのもいることだろう。みんながみんな、そんなはしたない人間ではないのだけれど、残念ながらこの世界の至る所にそういった邪魔者は配置されているのだ。なんなんだこの世界の仕組みは。どこに言っても性根が腐ったような奴は 必ずといっていいほど配置されていて、ちょっとのことで傷ついてしまうような弱い僕みたいな人間の体力を根こそぎ削っていってしまうんだ。僕がどう足掻いてもそんな下らないやつらと出会うのなら、もう鈍感になるしかないですね。相手をやり込めるほど他者に対して自分の時間を費やしたくないので、そんな人間に出くわしたらひたすらに鈍感になって心の動きを鈍くして、風がおさまるのを待つ。ただ太っているということはあまり喜ばしくない状況なので、できることなら少しずつでも減量する努力をしてます。少しずつ、少しずつ。

 

 


6/21(水)

 
さて、おなかが空きすぎて頭がぜんぜん働いてくれないわけで。昨日からスタミナがつくようなものは食べていない。白米、刺身、納豆、キムチ、卵、シリアルぐらいしかおなかに入れていないので、昨日からそわそわそわそわしてしょうがなかった。ああもうがっつりと脂っこいものを食べたい、おなかいっぱいになって幸せをおなかの底から感じたい、全然力がでない、もういいよ太っていても。こんな気持ちを味わうぐらいなら、カロリーの高いものでも気にしないで食べたいよ。それ以前に栄養のあるものを全然取れていないからこんなにもネガティブな頭になっちまうわけか。よくわからない、早く何かおなかにガツンと入れたい。もう、だめだ......。

 

 

 


6/30(金)


日々の仕事のやるせなさを忘れるために、家に帰ったらひたすら読書をしてプライベートの充実を図り、仕事が私の人生ではないと思い込ませる。ことにもそろそろ限界が来ている。もうこんなことを続けていたら、自己嫌悪感でどうにかなりそうだ。なんなんだこの状況は、去年と比べて何か成長したところはあるのか。環境ばかりに責任があるわけではないけど、もう少し鍛えてくれるところで働きたかった。放置。この一年間を総括するとしたら、この言葉が最適だろう。適切な量の仕事を振られず、それに対する説明も人によって言っていることがまちまちだ。自分である程度勉強をして、これだろうという持論を持っていないと人の意見に毎回左右されて、軸が定まらない。それぞれが正しいと思 っていることはどこかが欠けていたり勘違いしていることがあって、それら一つ一つを拾い上げて毎回吸収していくことは難しい。些細な悩みでもすぐに打ち明けられるようなメンターが職場に居てほしかった。こんなことを書いている自分が居るんだということを小学生の頃の、何も考えていないようでいろいろと考えていた小学生の自分には想像もつかないだろうな。ふつうに生きていくって難易度高っ。

 

 

 
10/26(木)


周りを見回してみると、それぞれがそれぞれの仕事を行っている。ように見えるのはフェイクで、実はみんな仕事っぽいことをしてるだけ。ただぼけっとパソコンのディスプレイを眺めている人、隣の人と話すことに必死で手が全然動いていない人、さっきから同じことをぐるぐるぐるぐる考えて何も進んでいない人、やたら紙の整理をしたり肩を回したりすることで「自分は今、張り切って仕事をしています」アピールに必死な人。なんでこんな人間が集まっているのに会社が正常に前に進んでいるんだろう。いや、正常に見えるのは表面だけしかみていないからで、内部のほう見てみたら中身がすっかすかのバウムクーヘンみたいに腐りきっているのかもしれない。逃げるならいまだ。早くしないと沈ん でいく船から抜け出すことが出来なくなるぞ。なんてことを考えている私が全然仕事をしていないというカラクリカルカレ。早く楽になりてえ。

 

 

 


11/17(金)


やることがなくなると一気にテンションがだだ下がりになり、何もしていないのに一所懸命に仕事をしているときよりも疲れる。仕事をしているふりをすることにも疲れ、私はどうしたらいいのか分からない。どこか遠くへ行きたい。たまに湧き上がってくる逃避願望を実現していないから、くすぶった気持ちは浄化することなく、日々漆黒の闇を帯びていく。何もない日々、AmazonでセールのSF本を買う日々。いつ読むのかも分からない本をコツコツ買って、買ったときの「消費をした!」という瑣末な高揚感は今ではもう無意味になってしまってどこかに飛ばされたであろう。早く帰りたい。これ以上ここに居ても何もない。ただ体と心が磨耗していくだけ。幽玄な大地で横たわりたい、もう何もしたくな い。目を瞑って、何も考えずにただただ時間が過ぎていくのを感じていたい。パソコンの前でくだらないことをし続けることに意味を見出せない私は落伍者だと決め付けますか。もうどっちでもいいや他人の評価なんて。自分が信じたものをしっかりと握り締めて突き進むだけでいいや。余計なことは考えない。今、今だけを考えていたい。あいつ、どこかで元気にやっているのかな。私は東京でむなしい日々を送っております。無駄になったと信じたくない数年。あのときの決断は間違っていたと信じたくない。もうあれしか選択肢はなかったのだと自分に言い聞かせる。誤魔化すことでなんとかのらりくらりやってきたけれど、心のどこかで本当はこんなんじゃだめだって分かっていた。でも今では何がどうだめ だったのかもわからないほどに意識は曖昧模糊として気持ち悪い。今こんな気持ち悪い文章をこんこんと書き続けていたら、文章を書く前よりも心が少し楽になったようだ。中にたまっているものを吐き出すのって大事だ。寡黙なので自分の気持ちを外にあまり出さないで、くすぶった気持ちが腐ってたまに私に襲い掛かってくる。メンタルが弱っているときにやってこられると成す術もなく突っ伏してしまう。終わりのない苦悩の中を漂いながら、明日なんて来なければいいのにの願う。みんな偉いねえ、しっかりと働いたふりをして。全部なくなってしまえばいい、そうしたらもう考える必要がなくなる。もういいや、めんどくせえや。

 

 

 


11/28(火)


そろそろ将来のことを考えないといけないのに、家に帰ったらぐうたらして有意義になるはずの時間が無駄に消費されていく。このままでいいのかとうだうだ考えていないで動けばいいのに、その日の気持ちよさを優先してこれからどうなって生きたいのかを考えたりもしない。ぐうたらな自分に誰も喝を入れてくれないので自分で入れなければいけないのに、だめだね。自分がだめだっていうことはあまり認めたくないものだけれど、そこを認めて前に進んでいかないと何も始まっていかないからね。だから今日から、家に帰ってから自分がこれからどうしたいのか考えようね。

 

 


12/13(水)


やることがある(ような気がした)ときはせっせせっせと心と体が動いて「今充実してるやん、めっちゃ楽しいやん」とあっという間にするすると時間が流れていくのに、作業が終わってやることがなくなると「ふーーーーー、何もやることがねえ......」と何とはなしにExcelを開いたり閉じたり、データを並び替えたりピボットでグラフにしてみたり無意味な作業をしても一向に時間が過ぎてくれない。もうやることがないんだから帰っちゃってもいいですか?と誰かに愚痴を飛ばしてしまいたいけれど、自分の中で沸々とあーでもないこーでもないと思考をめぐらせる。暇。帰りたい。今こうやってパソコンに向かって意味のないことをやっている今ほんと無駄やん。なんなんこれ。しんどい仕事任されて いたほうが確実にメンタル的には楽でしょ。やることなくて、でも他ごとをする勇気もなくて、人生を無駄にそぎ落としている罪悪感がどかんと体中を覆っている。早く定時になんないかな......。

 


 


暇すぎると頭が勝手に考えなくてもいいようなネガチブなことを考え始めるからめんどい。でもそれらは普段考えないようにしてきた大切なことだから、この機会に腰を据えてじっくりと考えた方がいい。とわかっているんだけど、面倒だから今まで結論を出さずにずるずると引き摺ってきたものだから、考えるのはちとしんどいところがある。こうやってぐだぐだと心の中で管を巻いていたらようやく定時が見えてきた。早くライブに行きたい。

 

 

 


12/14(木)


やることがなくなった。始業30分で一日の仕事が終わった。早く動きすぎた。ゆーっくりゆーっくり、一文字一文字噛み締めるように、消化不良を起こさないようにしていれば、まだ、まだ何かしら作業をしていることができただろうに。私がしていることは仕事ではなく作業。じっくりと考えるような内容のものではない、ただただAからBにデータを移行して、それがきちんと移行できていることを確認するという、もはや作業の中でも最下層のいるようなことをもう二年近くやっている。こんなことしかしていないと、視野が全然広がらない。あっと吃驚するようなアイデアを思いつくことはないし、ただただ人生を無意味に磨耗している。なんだこれ、こんな風になろうなんて小学生の私はつゆとも 思わないのでした。もっとこうなんですか、社会のためになる、地域住民の貢献が出来るような仕事をしている!!なんてことは思ってはいませんでしたが、もう少しは大人チックなことしているだろうなとは夢想していましたよ。ふう、こんなものが現実でしたよ。

 

 

 


12/15(金)


各々が各々の価値観を投げ合って、それによって起きる不必要な摩擦で嫌な思いをする人がいる。僕はそれを遠いところから眺めている風を装って目の前の仕事、将来の仕事を淡々とこなしている。仕事をする際の潤滑油としてではなく、ただただ仕事のストレスを解消するためだけに楽しそうに会話を享受している、仕事をする時間を犠牲にしてまで。茶番のために消費されていく時間をぼけっと眺めている僕は有罪なのですか。