眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

いつだって弱虫でいたいんだ

私は引っ込み思案な子供だった。今も引っ込み思案なところは治っていなくて、もうこれでいいかこれで生きていくかと腹を括り始めている。とにかく自分を出すことができなかった。特に言語を使ってなにかを表現するのがどへたで、それは今も治っていない。そんなもんだ。なので、なにかに対して苛立ったときは言葉よりも先に身体が動いたし、嬉しいときはなんだかよくわからない躍りを踊っていた気がする。もうあれから20年近くもたつのか。おそろしっ、時間がたつのが最近早すぎて恐怖をおぼえるわ。

 

前にも書いたが、仲良くなった子とはその子とべったりしていた。四六時中、その子と過ごしていた気がする。昔からのめり込んだものにはとことん自分を注ぎ込む性分だったのだ。仲良くなる子は大抵おっとりとした優しい子で、私がふてぶてしい態度を取っても笑い流してくれていた。と思っていたが今思い返してみるともしかしたらもしかするとイライラしていたんじゃないか。あの頃も今も人の気持ちを察するのが絶望的に出来ない私は、自分の尺度でしか人の気持ちをはかれない。たぶん彼は気分がいいだろう、と安穏と思っていても彼の心では怒りの炎がめらめらと燃え上がっていたかもしれない。だとしたらそれを思い出すと夜も眠れなくなってしまう、本当は私のことが嫌いだったんじゃないか?とまでは思わないけれど、少しは気になる。人の気持ちなんて全然考えてこなくて、よーここまで来れたもんだ。私の周りの人が抜群に優しかったんだろう。これからは社会というしょうもない環境で、くだらない奴等と遭遇することもあるだろうから。今まで通りのほほんとは生きていけないだろうけど、今まで通り自分で世界と対決していかなくてはいけないんだろうな。他人事みたいに考えているけど、気付いたらあっという間に目の前にその状況が来ているんだろう。だっさ。なんてことを「弱虫日記」を読んでいるときにぼんやりと思い浮かべていました。映画化したら、けっこういいものになりそうだと言い残しておきます。

 

仲間ってのは互いの共通点が多いなんてことじゃない。

そいつのことを、全力で信じるってことが仲間なんだ......。

 

俺は今この瞬間、ここにいる全員のことが大好きだ。そして、こいつらのことを大好きな自分のことも大好きだ。

きっとこいつらだってそうに違いない。そりゃときには裏切ったり逃げたりしてしまうこともあるかもしれないけれど、でも一番そばにいてほしいときには絶対にそばにいてくれるって思える。それだけは信じられる。大笑いする仲間たちを見ながら、俺は今のこの時間が永遠に続けばいいのになって思っていた。

弱虫日記 (講談社文庫)

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