眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

悪い芝居「それはそれとした」感想

ありもしない子供時代を想起させるような、蝉の声がやけに喧しいような、何かしたくてでも何もできなくて、何がしたいのかよくんからなかったあの頃。僕はどこにも属さず、ふらふらとその辺を彷徨いては何をするでもなくまた歩き続けた。あの時代の、なんとも形容しがたい感覚、あれを思い出してしまった。現実と非現実の狭間で自分が何者なのか忘れてしまいそうな気分で狭い路地裏を全力で突っ走るような、そんな感じが「それはそれとした」を観ている間チクチクと私を突き刺した。伝えたいことなんかなくても作品としての雰囲気が全てを物語っていた。それは感覚で感知するもので、言葉に起こすことはできない。あの日、あのときに行われていたことが全てであって、思い返している今このときからあの感覚は失われ続ける。なんだよ、これ。最高じゃないか。あのときに感じたものが全てであって全てではない。多くは求めない余白がありあまっている「それはそれとした」が前の演劇「神様それではひどいなり」の演出過多とうまいこと対比していて、退屈しそうなところでもなんとか眼は開いていた。なんなんだ、あれは。あんなのありかよ、と思わせてくれる作品は僕の価値観をがしがしとぶっ飛ばしてそのまま、再構築することもなく放置しておいてくれる親切設計なものなんだ。そういうことなのか、そういうことなのか?よくわからなくなってきたのでこのへんにしておくけれど、この演劇を作った人の作品がまたどこかの舞台で披露されるときが来たなら、そのときは是非とももう一度この眼に焼き付けておきたいと、そう思った次第です。


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