眠たげな猫の傍で

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世界の果てで眠っていたいな

悪い芝居「純白」感想

悪い芝居の「悪いけど芝居させてくだ祭」初日の「純白」を観劇した。この劇を見ている間、ずっと考えていたことがある。あるなにかを経験していないことはそんなにも誰かにとやかく言われることなのか?それを経験するかどうかはたぶん偶然とか必然とかそんなもんじゃなくて、タイミング的に巡り合っただけで、それ以上でも以下でもない。主人公の純白は周りが恋愛を経験しているなか、自分だけ恋愛をしたことがなくてそれのせいで「恋愛をしたこともないのに分かるかよ」と友達に言われてかける言葉を見つけられずにいる。それでいろいろ悩んである行動に出るのだが、とにかく何かを経験していることは偉いことでも、凄いことでもない。ただ経験をしたということだ。それだけなのに、人はそれを土台にしていろいろとやかく言う。しゃらくせえ。お前らに何がわかるって言うんだよ。分からないからって開き直るんじゃないよ、相手の気持ちを考えてとかそういう次元の話じゃない。話にならないという話。

 

 

悪い芝居は今まで三作品観てきたが、「純白」が一番好きになれた。他のはいろいろごちゃごちゃしていて演劇を観ているときに全部を消化できずに苦しくなった。「純白」はとてもシンプルなお話で、奥手な純白、だめだめだけどどうにか立ち上がろうとする純白のお兄ちゃん、純白と仲良しの友達、純白のことが一方的に好きな近藤、名前は忘れたけどいつも斜に構えた態度で世界と対峙している女の子。とてもシンプルなのに、考えれば考えるほどどこまでも思考をめぐらせられる劇は、このさきの人生の先々でちょびっと思い出してはくすりと笑って少し切なくなる。ズイショにくすっとできるポイントが織り混ぜられていて、それに乗っかってくすっとするのは「やられた」感じがしてあまり好きじゃないけど、「純白」ではそんなつまらない考えが頭に浮かんでこないほどに熱中して観ていた。たくさん笑えた。たくさん苦しくなれた。あっという間の90分間で、テンポよく進む劇のなかに気付いたら僕もいた。なにもしていなくても時間は流れていくけど、それでもなにか残したい、今は今しかないんだと自分に強く言い聞かせてこれからもやっていくのだ。土曜日の全公演観劇が楽しみだけど、腰が持つかなあ。椅子が固くて、それのせいなのかどうなのか、劇を観ている間ずっと腰が痛かった。腰が痛いってこんなにもいたたまれないのねとしょんぼりしてしまった。今日の仕事のあれこれのせいで体を痛めてしまったんだろうけれど、それにしても今思い返してもあれが僕にとっての最適解だったんだと言い聞かせる。明日は二つの劇の初日ということなので、時間的に余裕があったら是非とも行きます。行きたい。観ている間現実から抜けだせられたのがすごくいい。お話は僕を現実から守ってくれる。そっと寄り添って、今の自分を肯定してあげようとサポートしてくれている。ように僕は思うので、これからもたくさんのお話をのみこんできちんと消化したい!以上です。

 


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