眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

みじめなまじめ

恥をかきたくないという思いが人一倍強いせいなのか、私は分からないことを聞くことができなくなった。こんなにも会社にいたのにまだそれを知らなかったの?という冷たい目で罵られたら、と思うと人に聞くという概念を忘れて、ひたすら自分で考えてしまう。聞いた方が早い物事が大半な業務をネットを使って自分の頭であまり考えようとしない私はもう終わっているのかもしれない。小さい頃から自分を出すということが苦手だった。小学生低学年のときに服を学校に忘れて、翌日先生が朝礼のときに服を出して「これは誰のですか?」と聞いた。「私のです」と言ってもなにもおかしくはないのに、ここで発言をしたらみんなに馬鹿にされるんじゃないのか、忘れ物をするなんてへー、みたいな被害妄想を抱えてしまって、「私のです」と言えなかった。後日三者面談があり、あのときのあの服は私のですと母親に言ってもらってなんとか服は取り戻したが、そのときに何か大切なものを無くしてしまったようだ。話は逸れたが、未だにあの頃の自分から根源的には何も変わっていないことに嫌気がさした。あいつみたいに、もっと気楽に人に話しかけたい。意味なんかなくていい、話しかけるだけで私はあなたの敵ではないのですよ、と示したい。椅子に座って黙々とデスクワークをこなしていると、この人は何が不満なんだろ、何でそんなにいらいらしているのだろう、と思われていやしないかと不安になる。話しかけようと何度も試みたけれど、いざそのときになると怖じ気づいてしまって話しかける勇気が萎んでしまうのだ。ほんとはみんなと仲良くとまではないかないけれど、少しでもいいから意思疏通をはかりたいのです。それすらも叶わぬほどに、私は臆病者なのかな。