眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

二〇一七年七月七日のきもち

今年の七夕は晴れた。そうか、さっきから浴衣の老若男女が入り乱れて新宿を闊歩、雑談をしているがその関連なのか。それはそうとさっき、太陽が照りつける横断歩道を歩いているとき、まるで生きていないような、材木が水に浮かんでいるような感覚がした気がした。どうもうまく生きている実感を掴めるような行動を怠ってきたせいか、体がぬめっとしている。これは人として良い状態なのか否かよくわからないが、あまり心地のよいものではない。職場、パソコンに向き合う人の群れ、やることがあまりなくポツンと佇む午後4時の僕の気持ちはもう死んだ。今あるのは今から日曜日の夜まで仕事を忘れきって楽しもうとする高揚感、それに付随する心身ののほほんとした心地よさ。これを感じるために一週間を生きている、一ヶ月を生きている。休みがしっかりとしている会社に入ってよかった。残業続きの平穏な日常ぶち壊しブルドーザーがないことを幸せに思う。でも、こんなにのほほんとしていていいのか、成長しない私の。社会人としてのスキル(漠然とした禅問答のようにあるようでないようである)なんて無いに等しい、なんなり日々人としてのスキルが衰退して、ただそこにあるのみの本を読み続ける怪物と化している。四六時中、寝る間を惜しんで文章の海にもぐっていたいんだ、そこにこそ現れる幸せの果ての果て。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

満員電車の仄かな暖かさ、それとこんなにも人がいるのに誰も知らない知りたくない私は唯一人ということを嬉しく思う。うまく生きようとしなくていい、そんなものいらない。自分の心の赴くままに、その先の花を眺めるために生きていたい。もうここで終わってもいいかんじもある。でもまだ道が続いているのなら歩いていこうと思うのです。