眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

くねくね

長い。ひたすらに長い。途中で放り投げ出してしまおうと何度思ったことか。町田康の特大長編「宿屋めぐり」をようやっと読み終えて、もう懲り懲りだと思いながらKindleを閉じた。「告白」はすんごく面白かった。まあ途中中弛みするところもあったけれど、ほぼほぼほくほくしながら読めた。けれど「宿屋めぐり」は終始ぼんやりとした様相で、このまま読み進めて面白くなるのか?どうなんだ?と不安になりながら読みましたが、だめでした。

 

やろうと思った。行って帰ってこようと思った。考えてみればこの世界に落ちて以来、俺はどこか欺瞞的だった。どうせ贋の世界だ、と思って退嬰的な言動をとっていた。人間はそんなことではだめだ。いずれいま生きているところが真実・真正の世界だと思って行動しなければ人生そのものが噓になる。いく先には様々な困難が待ち受けていることだろう。でもそれを恐れて欺瞞的に生きるより困難にたち向かって生を実感していた方がよい。俺はそのことを肴春五郎親分に学んだ。いやあ、目が覚めた。あのまま欺瞞的な態度で贋の世界を漂っていたら俺はいずれひどいこと後悔することになっただろう。いやあ、学んでよかった。

 

贋の世界で主を頼りにしながら孤軍奮闘でなんとか危機困難を乗り越えて行く主人公に全然感情移入できなかった。感情移入しなければ小説が楽しめないなんてことはないのだけれど、あまりにも彼のことがどうでもよくなって、どうなろうがもういいよと投げ槍な気持ちで読んでいた。この本の読書体験というものを簡潔に表すとしたら「飽き飽き」といったところだろうか。ただただ苦痛でした。そしてすごく長いんだよ、これ。三週間以上もこの小説に休み時間を縛られてしまったことがもったいない。

 

おまえらの言う、まともと私の言う、まともは違う。おまえらはおまえらを爪弾きにした連中にとっての、まともを、まともと信じている。しかし考えてもみろ。その、まともはおまえらを爪弾きにした、まともなのだ。だから私は、別の、人を爪弾きにしない、まともをおまえらに教えたのだ。にもかかわらず、おまえらはそれを実行しようとせず、その理由として、俺たちは元々まともじゃないから、と言う。けれどもそのまともは私の言うまともとはまったく違ったまともなんだよ。ところがおまえらは頑なにまともはひとつだと信じようとする。私はなんども言っている。おまえらの信じるまともはおまえらを爪弾きにしたまともなのだ。

 

くにゅくにゅした小説でした。

 

 

宿屋めぐり (講談社文庫)

宿屋めぐり (講談社文庫)