眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

そう遠くない未来

式関係が苦手だ。格式ばった舞台で真面目くさった顔をしている人を見ると別に可笑しくもないのに顔がにやけてしまう。あまりにもその頻度が多かったので、何度も何度も口のなかを噛んで、たらたらと血が口のなかで流れるのを感じていた。あのまじめきった顔が苦手だったんだろうな。最近はそういう機会が減ってきたので(親戚付き合いというものが殆どないため)あの格式ばった舞台の怖さを忘れきっているが、そう遠くない未来にばたばたとやってくるのだろうめんどい。

 

意識が遠のく。このジジイより長生きしたいけど、それはどうにもハードルが高いような気がする。自分はいくつで死ぬんだろう。自分の死のことを考えるのがまだ少し遠いとしたなら、たとえば自分の母親は? 年上の知り合いなどは? あの先生は? そしてまた自分の年に話を戻して、自分の友人達と自分ではどちらが長生きなのだろうと思う。誰が誰を見送るのだろう。わたしは誰を見送るのだろう。誰がわたしを見送るのだろう。今死んだとしたらどんな感じだろう。

~中略~

すでに亡くなっている好きな人たちや偉人のことを死ぬ時、あの人も死んでいるのだからべつにいいだろうと思うことができるのだろうか。自分が死ぬ時、今の自分の年齢の人たちはどんな様子なのだろうか。世の中を良くしてくれているだろうか。けれど、いい世の中だったら生きることに未練が残りそうだとも思う。ならば、どうしようもない、生きていても仕方がないという世界であればすっぱり死ねるのかというとそうでもないような気もする。死ぬことと生きることとがあまりにもかけ離れていることに気付く。年をとれば、その境界はあいまいになってくるのだろうか。故人はどうだったのだろうか。生きながらにして、少しずつ意識を失っていくのだろうか。故人にそのことを訊きたいとヨシノは思う。生きている故人が、最後に意識のあった瞬間に、自分は居合わせたかったとヨシノは思う。

~中略~

生きていることと死んでいることは、まったくちがうことなのに。どのようにして理解したらいいかわからない。どのようにして納得したらいいかがわからない。何を今更。

 

この人の作品をこの頃毎日のように読んでいる。肩肘張らずにすっと読めるからこの時期には最適だ。作品に出てくる主人公などの、一見冷たいようにも見えるけれど冷静に物事を見ている姿が思わぬ出来事でぐらっと来るときにどう対応するのか、というのにとても関心が持てる。人間関係とかつまんない仕事とかさ、生きていればいろいろあるけれど、まあ気楽にやっていきましょうよ、とそっと肩を押されている気分になって、明日も楽しむ努力をしてみよっかなーと思える。おすすめの作家です。

 

 

婚礼、葬礼、その他 (文春文庫)

婚礼、葬礼、その他 (文春文庫)

 

 

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