眠たげな猫の傍で

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眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

どっかで元気にうまくやっているだろう

小中高の友達だった人とはもう会うことはなくなってしまった。元々自分から積極的に人と接する性分ではないので、学校を卒業してどちらかから会おうとしなければ自然消滅してしまう関係性のなかで私は自然と今の状況を選んだ。彼らが現在何をしているのかは知らない。でもどこかで元気に今日も生きているんじゃないかと思うだけで少し元気が出てくる。私にとっては過去の人間との関係はそれくらいがちょうどいい気がするのだ。どこかで元気にやっているだろう、私もそれでは楽しく元気にやっていかなくちゃなって思える。それぐらいで、ちょうどいいのだ。いつの日か再会したときにお互いを尊敬しあえるような、そんな人間になっていたい。

 

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辛い顔をしてないと頑張ってないと思われる日本社会は、息苦しい。仕事をエンジョイしているうちはまだまだ序の口と思われて、次々に新しい仕事が降ってくる。仕事は大変で、なによりも優先しなければいけないという共通認識があるから、面倒なことに関わりたくないときや単純に興味の無い出来事に巻き込まれそうになったとき、「仕事がいそがしいから」と言い訳すれば、言われた相手は文句が言えない雰囲気が漂っている。実際に死ぬほどいそがしいならいいが、好きな、やりたいことは何を差し置いてでもやるくせに、やりたくないことに直面すると「仕事が」と言い出す人は、私は嫌い。やりたくないのは人の気持ちだからしょうがないけど、仕事が、と“社会に必要とされている“自分をアピールしながら相手に文句を言わせない言い訳が聞き苦しいと思う。だから私はどれだけいそがしくても、できるだけ涼しい顔をしていたい。必要とされる喜びと利用される悲しみが混ざり合う「仕事」に、魂まで食われてしまいたくない。

 

私をくいとめて

私をくいとめて

 

 最近の彼女の作品は若き頃の灰汁が抜けてしまったというか、そこが彼女の良さだったのにと思うぶぶんが抜けてしまっていて拍子抜けだ。もっと人間のどろっとした汚いぶぶんを全面に押し出して読者に「気持ち悪っ」と思わせるぐらいに人間の内面を描いてほしい。そんなに澄ました感じでこっちを見てきてもなにも感じないんだよ。また初期の頃のあの感じをお願いします、どうか。