眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

やりたいことをするためにやりたくないことを我慢してやるべきなのか

ということを最近考えるようになって。やりたいことをするためにはお金が必要で、それをどこから手にするのかってのは働くということが手っ取り早いんですね。株とか家賃収入とか働く以外にもお金を手に入れる手段はあるにはあるんですけど、それを実行するためにはある程度まとまったお金が必要だし、親がそのような財産を持っていることが必要なわけで、ふつうな家庭で生まれ育った私にとってはそのような方法をとることが困難で。そりゃ、違法なことに手を染めるってのもあるんでしょうけど、そんなことをしたら肝っ玉が小さい私は始終びくびくしてしまって、やりたいことをやっているときにも心の底から楽しめないんですよ、たぶん、いけないことをして誰かにばれてしまうんじゃないかという怯えのせいで。それに働くということよりもリスキーなことがたくさん纏わりついてくるので、ふつうな人間がお金を手にするためには社会で働くということが一番安全で確実な手段なんです。でも、そうはいっても働くっていうのは大概楽しくないんですよね、ある作業を社員にしてもらうためにわざわざ賃金を払っているわけですから。でも、働いている時間は一日のうちの三分の一は占めているし、それの準備であったり通勤時間を含めるとおそらく一日の半分はそれに時間を費やしていることになるんです。そこまでして手にしたお金じゃないとやりたいことができないのかなっていうことなんです。そこそこのお金があれば一か月は楽しく気楽にやっていけるし、そう考えると正社員として働くよりもバイトで短時間働いてあとの時間をやりたいことに費やすのはすごく魅力的なんですよね。でも、ここで世間体っていうもんが幅を利かしてきて、なかなかそっちにシフトできないっていうわけなんです。親戚の視線とか、大学時代の友達の評価であったりとか、そんなんは気にしたほうが負けなんですけど、どうしても気にしちゃうんですよね。それのせいでやりたくもない仕事をやって疲弊して一日を終えて、その気分を少なからず引きずりながら休日を過ごしてしまうっていう。完全に仕事に支配されている生活を送っている現状に疑問を感じている、これをどうにかしなくちゃいけないな、でもこのまま何も考えないでそのままレールに乗って生きていくのってすんごく楽なんですよ。誰かに「あいつ働いてないらしいよ」とか、そんなみみっちいことを言われるのが嫌だから嫌々働いているってすごくダサいので、なんとかして今やっている仕事を楽しめないものか、意味を見いだせないものかと思っているんですけど、なかなかうまくいかないもんなんですよね。って愚痴を零したくなった日曜日の夜なのでした。