眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

産声を絞り出したときからはみ出していた

非常な速さで口のそばまで来ると、吸いこまれるように消えてゆく有様は、精巧な機械を見ているようで、言葉をはき出すだけでなく、物を吸収するという仕掛けになった、この口というもののことをつくづく思わせられた。口という扉からはいる、もうそれっきり何もなくなってしまう、何という無駄なことだ、誰がいいことをするのか、胃袋か。そして人間は生きているという。この人間が生きているということで、誰が喜ぶか。誰も喜びゃしない。このように消えてなくなってしまう食糧のために──この女だって、そう大して生きていたくもなさそうだ。かれは今や、今更の如く、清潔な細君の指に玩ばれながら口の中へ吸いこまれてゆく三つ目の握り飯を見送りながら、何もかも忘れてしまった。

 

ぼんやりと文章を読みながら、最近は別世界に没入することがめっきり減ってしまっていたこと、それを当たり前のことのように放置していた自分を恥じた。小説がなくても楽しく人生を歩んでいけるなんて、精神の怠慢ではないか。何をそんなに強がっているのだ。辛いのなら辛いと表明してくれ、足りないのなら欲してくれ、強く強く。分かってほしいだなんて傲慢だと思わないか。

 

いつもそうだった。一人で周りの世界を構築して、そのなかで自由気ままに自分を走らせていた。その時間があまりにも居心地がいいから、ついつい長居してしまうことが多く、その度に現実というものが辛く感じるようになった。今もそうじゃないのか。普段の自分なら出来ないようなことを想像して楽しく過ごすことを怠っていたのはいつからだろう。この街の喧騒に苛立ちを感じなくなったときか。隣人の不躾さに嫌みの一つさえもいえなくなったときか。未来の自分を思い描いたときに胸がどきどきしなくなったときか。

 

いつまで動く、この体は。いつまでもここにいるのか、この自分は。旅立つべき時を見失って、手持ち無沙汰でどぎまぎしている場合じゃないぞ、おいおいおい。いつまでもこの時間というものが存在すると甘えるなよ。消えるときは何の前触れもなく、そう一瞬にして消え去ってしまうのだ。他人とのやり取りの不具合で頭悩ましている時間を無くして、それを自分を育てる時間に変えていくしか、自分を変える手だてはないってとうの昔からわかっていたはずなのに、知らない振りをしてやりすごそうとしていないかい?

 

 

アメリカン・スクール(新潮文庫)

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