眠たげな猫の傍で

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眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

考えろ考えろ

今日の朝はあるブロガーの人が呟いた言葉が刺さって、物事をきちんとよく考えるということを考えていた。その言葉を噛み締めているうちに、今までの自分は外部の出来事にただ反応していただけだったんだと思い知らされた。次から次へと本を読み、その本がどういったものであったのかを深く振り返ることはしないで、楽しかったな退屈だったなと感情が生じるのを満足に思うだけだった。さて、この本ではこんなことが提示されているが、自分自身に置き換えてみるとどういったことが考えられるかとか、この物語の定義は正しいのかと突き詰めていくことで、普段は考え付かないようなものを生み出すことができるのに、僕はそれをしてこなかったのだ。たぶん、そういうことをしてこなかったのはこれまでの人生で危機に置かれたのがないからだと思う。甘やかされて育ち、学生の頃もぬるま湯に浸かって生きてきた。周りの人はほぼみんな優しかったし、僕が欲しいと思っている情報を提供してくれていた、はず。そこに甘えて、自分の生き方であった頭を使って考えることをさぼってきたつけが今ようやく回ってきたんだろう。できればそんなことは気付きたくなかったけれど、今の状況を否定して逃避し、居心地のいい部屋でのんびりと布団にくるまっていたらやがて頭は腐っていくのだろう。できればそうしたい。でも、今は守りたい人がいるし、親に甘えるなんてみっともないって思える。それに、思いっきり頭を使うことは周りの景色が違って見えるようになり、見えなかったものがよく見えるようになっているのだ。それがいいことであってもわるいことであっても、僕はそれを知っていく必要があるし、とことん突き詰めていって人間として奥行きのある形を作っていきたいのだ。今まで、自分は自分の人生に対して、どこか他人事みたいに思っていたところがあったと思う。なぜそんな風に振る舞っていたかというと、傷付くことを恐れていたから。外野にいる感じを保ち続けていたら、何か嫌なことがあってもそこまでダメージを受けることはない。でもそういう生き方はつまらないってようやくわかった。傷も受け入れることで、少しずつなりたい自分になれる。痛みを正面から受け止めることで、他人の痛みを想像することができると思えるようになった。これからはもう逃げないよ。

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