眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

金を払うから素手で殴らせてくれないか?

もうずっと本を読んでいたい読ませてくれよお願いだから。

 

「さてそこで、はたして良い面だけを見て付き合っていくことはできるだろうか?相手の良い面だけしか見ないってことは一見、素晴らしいようにも思えるけど、それは結局、自分に都合のよい面しか見ようとしない、つまり相手を自分を気持ちよくさせてくれる、自分の気分を害さないでいてくれる都合のよい道具としてしか考えていないってことじゃないか。何かそれって、すべてを損得で計って得することしか眼中にない浅ましい姿勢に通じるような、そんな感じがするんだよ。そこに欠けているものは情念とか情愛とかそういったものだ。それは俺が思うに、むしろ今の君たちのように悪い面を時には恥ずかしげもなく見せ合えてこそ、如何なる人生の風雨にも耐えうるほど強靱に育まれるものなんじゃないかな」

「そうね......私、ゴディバのチョコレートを食べ過ぎて死にそうになるまち子さんが好きだわ」

「私も、粘着質の近所付き合いを押しつけてくる長岡さんが何だかんだ言っても好きよ。時々、鮫に食われてしまえと念じるほど煩わしく思うこともあるけれど」

「独りでキャンプに行くと威勢よく豪語しておきながら結局生活範囲から一歩も出ない言行不一致なまち子さんが好きだわ」

「訳の分からない大して美味しくもない異国のパンを得意げに配って回るバイタリティ溢れる長岡さんが好きよ」

清水はテーブルをバンと叩く。

「二人共いい加減にしなさい。せっかく俺が極上の説教をしたのに」

 

こんな感じでいったい何を言っているのかわからなくなるほど突き詰めていく文章をそこかしこに巻き散らかして物語は進んでいくのだ。この小説家の作品は初めて読んだが、ちょっとはまりつつある。本屋で目立つように置かれていて、本のタイトルが印象的で後日図書館で借りたのだが、自分の手許に置いておきたいと思い始めている。本を読んでいるときは現実のことは一切考えないようにして、ただただ本の世界に没入していく。はまるときとはまらないときがあるんだけど、今日は現実に退屈していたからすごく入り込めた。往々にして、心身が傷付いているときに音楽や文学は心に響く。なので、心が外部や内部に影響を与えられて弱っていても、そこまで落ち込むことはないような気がしている。なんだかこんな小説を読んでいたら、明日もなんとかやっていけそうな気がしてくる。ありがとう。

 

(追記)

この作品は夜のぼんやりとしているときに読むときがいいかも。朝に改めて読んでみるとはなにつくぶぶんばかりに気がいってしまい、そのあざとさみたいなものが邪魔をした。こういった小説はよっぽどユーモアにセンスがないと往々にして陳腐なもの、内輪で騒いでいる感じになってしまうことを感じました。

 

 

金を払うから素手で殴らせてくれないか?

金を払うから素手で殴らせてくれないか?