眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

寝不足だって言ったじゃないか

中学生だった頃、同じクラスに本をよく読む女の子がたくさんいた。本を読むということが一種のおしゃれにでもなっていたのだろうか、あの頃も今も私はぼーっと生きているのでその辺の水面下での心理戦は皆目見当がつかないが、教室を見回すと本と向き合っている女の子が多くいた。男子は基本的に運動場や廊下で馬鹿してたので、教室には女の子ばかりいた。小学生の頃はかぜのこだった私だが、中学にあがると同時に寒さを感知する機能も発達して、冬などはぶるぶる震えながら教室に置かれたストーブの前でたむろしていた。よく教室にはいた方だと思います。そんなときにひときわ読書を愛していたのかどうかは知らないが、よく読む女の子がほんわかとしたイラストが表紙のハードカバーの本を読んでいた。その頃から断然文庫派の私はなんでかは知らないがその子の読んでいる本が気になって、でもタイトルまでは覚えていなかった。高校にあがって伊坂幸太郎という小説家に出会ったときに、「チルドレン」という本が当時の彼女が読んでいた本であったことに気づいた。彼女には先見の明でもあったのか、伊坂が流行りだしたのは私が高校にあがった頃だったような気がするので、その子が他にどんな本を読んでいたのかをもっときにかけるべきだった。中学生という、思春期の拗らせ期に一般的に異性という存在に必要以上に反応してしまうようだが、私はその辺の所もぼーっとしていたので女の子と話していても緊張しなかった。というか人にあまり興味がなかった。というか何かに熱中していたのかどうかも覚えていない。あの頃は何が楽しくて生きていたのかよく覚えていないが、松原くんという活発児とよく追いかけっこをしていた。松原くんはとにかくよくしゃべる子で、私と彼との会話の比率は彼9私1だった。だが基本的には追いかけっこをしていたので、会話というものはふたりの間であまり交わさなかった。そんなものがいらないほど、ふたりの間では意志が疎通していたわけではない。話すのが億劫だっただけだ、昔も今も。形にならないもやもやしたものを外部に出力するのは大変に骨が折れる作業で、うまく表現できたと思ったときにも相手がそれをきちんと理解してくれるわけではないので、一時期は自分の考えを懸命に伝えようとしていたけれどそのような努力に飽きた。合唱コンクールなんか消えちまえばいい。人前で歌いたいやつだけが好き勝手やってくれと思っていたけれど、クラス全員で一致団結して1つの目標に突き進むって楽しいじゃないか?私はそうは思いませんでした。さっさと帰って再放送のドラゴンボールなんか見て、そのあとにやるおかねがないでも見て、そんでニュースを見て、だらだら過ごして母が作ってくれた夕飯を食べて、だらだらして、風呂入って、だらだらして、日付が変わる前に寝たいのだ。小学生の頃に執拗に消しゴムと下敷きを集めていたんですけれど、なんであんなにも熱中していたのか今になってはよくわからない。自分といういきものが未だによくわからない。

 

 

チルドレン

チルドレン

 

 

 

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