眠たげな猫の傍で

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眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

きのうきょうあした

さっきまで一時間ほど山下澄人の小説を読んでいた。目まぐるしく場面は変わるわ、主人公の記憶がいい加減なもので、果たしてこれはなんの話をしているのかわからなくて心地よかった。どうも過去の話をしているような気がするのだが、何重にもその過去が織り込まれていて、事実みたいなものも話が進んでいくうちに変わっていくので、なんのこっちゃと思う。あと少ししたら寝なくちゃいけないのだけれど、寝るという行為は軽い死であると私は薄々気づいていた。そもそも生きるということが緩やかな自殺であるとなんかの小説で読んだが、なんの小説だったのかさっぱり覚えていない。それとも誰かが話していたことなのか。記憶とは曖昧なもので、時が経つにつれてそれは形を変えていく。何を話をしたかったのか私にもよくはわからない。ただ、たくさんの話を読んでいると、ふとその話の場面を思い出して愉快な気持ちになったりしょんぼりした気持ちになったり、つまり話を見聞きすることで私は私じゃない人の感じたことを結構リアルに感じ取っているんじゃないかと思うのです。小説って読めば読むほど読む癖みたいなのがついてしまって、手慣れた感じになってしまうのがあまり好きではないので、気づいたら小説を読み始めた頃のような、結構どきどきしてた気持ちを思い出しながら読みたいなと今思ったのです。明日どう思うのかは知らないけれど。では、お休みなさいといいたいところだが、同棲している子が帰ってくるまでは起きていようと思います。

 

 

壁抜けの谷

壁抜けの谷

 

 

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